第184話 火斬
冬華の体がゆっくりと前方へと倒れていく。
視界は霞み、同時に腹部に激痛が走った。
何が起こったのか分からない。そんな冬華の顔が左へと向き、ようやく少しだけ状況を理解した。
自らの体に深々と突き刺さる刃。その刃が赤く染まっている事から、自分が大量の出血をしているのだと冬華は理解する。
しかし、そこまでだった。自分に刃を突き立てているのが誰なのか、それを確認する前に冬華の意識はプツリと切れた。
光を纏った槍は、それにより消滅。化物と化したルーイットには届かなかった。
「ぐおおおおおっ!」
ルーイットの雄たけびが轟き、
「冬華!」
クリスが叫ぶ。
うつ伏せに倒れる冬華の傍に佇む小柄な影。
黒髪を逆立てたその少年は、自分の背丈以上もある長い刃の剣を持ち上げると深々と息を吐き出す。
そして、肩を揺らし笑うと、その剣を振り上げた。
明らかに冬華へと止めを刺すつもりだと分かるその行動に、クリスは激昂する。
「きさまぁぁぁぁぁっ!」
怒声を轟かせ、クリスは走り出す。先程までふら付き、今にも倒れてしまいそうだった者とは思えぬスピードで、ルーイットへと迫る。
その足音に、ルーイットは右拳の甲を振り返り様にクリスへと振り抜いた。
だが、クリスはそれを身を屈めかわすと、その横をすり抜ける。その際、右手に一瞬にして大刀を呼び出し、ルーイットの左脇腹を切りつけ、また瞬時に大刀を消す。
持って走れば重くスピードが落ちる。一瞬の間にそこまで判断したのだ。
脇腹を切りつけられたルーイットは鮮血を噴かせ、同時に低くおぞましい悲鳴を轟かせる。
「うごおおおおおっ!」
背を仰け反らせ、呻くように何度も何度も声を上げるルーイットは、痛みに狂ったように右拳を地面へと叩きつける。
地響きが何度も置き、砕けた地面は拳を打ち付けられる度に陥没していく。
だが、クリスはそんな事に構わず、冬華へと刃を向けるその少年の方へと一直線に迫った。
クリスの足音が聞こえたのか、少年は顔を挙げやがて振り返る。
その瞬間、クリスは両手を頭上へと構え、振り下ろす動作と共にその手の中に大刀を転送した。
重量を加え振り下ろされる速度が増すが、少年は構わず右手に握った剣を振り抜いた。
少年の細い刀身の剣が、クリスの太い刀身の大刀とぶつかり合い衝撃が駆ける。地に踏み締めた少年の両足が地面を砕き、砕石が腰まで舞う。
一方のクリスも上半身を大きく弾かれた。だが、クリスはすぐに大刀を消し、体勢を整えると右手と左手を右腰の位置で構え、再び大刀を転送する。
とても、先程まで集中力を欠いていたとは思えぬ程、鮮麗された動きだった。
そんなクリスの背後で巨体を揺らす化物と化したルーイットが、右拳を振り上げる。狙いは自らの体を斬りつけたクリスだった。
赤く濁った瞳が白銀の髪を揺らすクリスの背中へと向けられ、拳は叩き下される。拳が地面へと突き刺さり、地面の砕ける乾いた音が響き渡った。
大刀を消し跳躍するクリスは、空中で後方に一転しつつ三度その手に大刀を転送する。そして、ルーイットの背後に着地すると、その背に向かって大刀を振り下ろした。
「ぐああああっ!」
背を仰け反らせルーイットが濁った声を上げる。傷は浅いが、血は激しく噴き出す。
一歩、二歩と前方によろめくルーイットに対し、続けざまに小柄な少年が剣を振るう。
「うがああああっ!」
少年の振るった剣が腹部から胸にかけて大きく切り裂き、鮮血が迸る。
化物と化したルーイットの巨体が僅かに傾いた。
「邪魔だ……化物」
少年がそう口ずさみその刃を水平に構え、切っ先をルーイットの胸へと向かい突き立てる。
しかし、その瞬間、ルーイットの巨体の影からクリスが飛び出し、その刃を大刀で右へと払い除けた。
姿は大分変ってしまったが、この化物はルーイットだ。殺させるわけには行かなかったのだ。
金属音の後、刃同士が激しく擦れ合い火花が散る。
静まり返る中に僅かに響くルーイットの呻き声をバックに、クリスは額から汗を滲ませていた。ここまで、何度大刀を転送しただろうか。
溜まった疲労が体を蝕み、意識が揺らぐ。だが、ここで倒れるわけには行かない。
クリスには今現在守るべきモノが二つ。少年の足元に倒れる冬華と、呻き声を上げる化物と化したルーイット。
だからこそ、クリスは揺らぐ意識を精神力のみで支え、体を動かす。
すり足で右足を前に出したクリスは、斜に構えると大刀を左腰の位置に構える。太い刀身を紅蓮の炎が包み、クリスは深く吐き出した。
(長引けばコッチが不利だ……)
奥歯を噛み締め、クリスはその足に力を込める。
そして、間合いを測りやがて動き出す。地を蹴り間合いを詰める。
クリスの動き出しに、少年は剣を頭上へと構えるとその刃に炎を灯した。
(アレは――)
見覚えのある構えに、クリスは驚き動きを止めた。
その構えはまさしく自分が使う紅蓮流の一刀、火斬の構え。何度も使用した事のある技だ、見間違えるはずがなかった。
「紅蓮一刀――」
構えに続き、少年の発したその言葉が、紛れも無い紅蓮一刀の火斬の構えだと言う事を証明した。
「くっ! 何故、貴様が――」
クリスはそう声を荒げ、右足を踏み込むと、大刀を左から右へと外に払う様に右腕で振り抜く。
「――火斬!」
遅れて、少年は炎に包まれた剣を振り下ろす。
二人の刃が衝突し、激しい衝撃が生まれる。両者の刃を包む炎が周囲へと散り、大刀は地面へと突き刺さっていた。
横一線に振り抜いた大刀を上から地面へ叩きつけた為、この結果に繋がったのだ。
僅かに炎をまとう大刀だが、それもすぐに鎮火し、クリスの肩が大きくうな垂れる。精神力も底をつき、もはや彼女を支えるのは何もなかった。
上半身を前後に揺らし、フラフラと後退するクリスに、少年は未だ炎をまとう剣を構え、不適に笑う。
「ごめん。クリスさん。僕は、もう、あなたを越えた」
その少年の言葉に、クリスは悟る。
「そうか……お前……」
薄れる意識の中、そうクリスは呟いた。そして、右腕を少年の方へと伸ばす。だが、それが届く事は無く、クリスの体は仰向けに地面へと倒れた。
僅かに土煙が舞い、消えていく。それを見届け、少年は不適に笑う。
「僕は……強くなった……力を……手に入れた」
そう口ずさみ、少年は自らの手を見据える。
そんな折、ルーイットの低くおぞましい遠吠えが轟き、その拳が振り上げられた。
「うごおおおおっ!」
雄たけびと共に、ルーイットの拳がクリスの体へと振り下ろされた。
鈍い打撃音が地面の砕ける音にかき消され、地面に突き刺さった拳の合間から鮮血が迸る。
ゆっくりとルーイットの拳が持ち上がると、その下から地面へと押し潰された血に染まるクリスの姿があらわとなった。
その姿を見据え、少年は不快そうな表情を浮かべる。
「残念だ。けど、もうあなたは僕に必要無い。ここで静かに眠りに就くといい」
少年の冷ややかな言葉の後、更にルーイットの拳がクリスの上へと叩きこまれる。
地面が割れる音が何度も何度も響き、その度に鮮血が弾け飛び、やがてルーイットは大きく雄たけびを上げた。
大気を震わせ、悲しみとも怒りともとれる様なそんな声を、森の中へと轟かせた。