第178話 静明流
一通り汗を流した冬華とクリスは、冷たい水で顔を洗いタオルで汗を拭っていた。
陽はすでに傾き始めていた。
ルーイットは相変わらず焚き火の前で鍋をかき混ぜている。
長い紺色の髪は束ねられ、額から溢れる大粒の汗がシトシトと地面に落ちていた。
それでも、手を休める事無く鍋を見据え、お玉を回していた。
縁側に腰掛ける冬華とクリスはそんなルーイットの姿を眺めていた。黙々と鍋をかき回す姿に、いつもの騒がしさはなかった。
肩口で黒髪を揺らす冬華は、体の後ろに手を着くと、背を仰け反らせ天井を見上げる。
「あぁー……平和だねー」
背筋を伸ばしながらそんな事を呟く冬華の黒髪がサラサラと風に揺れる。
隣りに腰掛けるクリスは、頭の後ろで留めていた白銀の髪を解くと深く息を吐き出し背を丸め地面へと目を向けた。
対照的な体勢の二人。もちろん、二人の気持ちも対照的だった。
「しかし……何だか、悪い事の起きる前触れのようですね」
深刻そうに眉をひそめ、クリスは顔の前で手を組んだ。
今までが異常だったと言えば、確かに異常な程悪い事が起きていた。常に戦いの中心に置かれている、そんな風にクリスは感じていた。
それが、偶然なのか、それとも英雄として召喚された冬華が必然的にその状況を引き起こしているのかは定かではない。
だが、間違いなく今の状況は冬華を中心に回っているような気がしていた。
クリスもそんな風には考えたくはなかった。だが、状況が状況なだけに、自然とそう考えるようになっていた。
複雑そうな表情で俯くクリスは瞼を閉じると深々と息を吐いた。
「何でもマイナスに考えすぎじゃないかな?」
冬華が笑顔でそう言うと、クリスは小さく頷き、「そうですね」と呟いた。
だが、やはりその表情は浮かなかった。考えれば考えるほど、悪い方へ悪い方へと考えてしまう。
これも、自分の悪いクセなんだろうか、とクリスは複雑そうに表情を歪める。
そんな折だった。今まで話に加わっていなかったエリオが、不安そうな表情で口を開く。
「クリスさん達はこれからどうするんですか?」
唐突なエリオの問いに、俯いていたクリスは顔を挙げ、冬華の方へと顔を向けた。
エリオに言われて気付いたが、今後の予定など全く考えていなかった。
クリスの目的は母の墓参りとこの道場に立ち寄る事。すでにその目標は達成した為、現状、目的などなかった。
クリスの視線を浴びる冬華は、唇を僅かに尖らせると「うーん」と唸り声を上げる。正直、冬華もこの先の事など考えていなかった。
ここバレリア大陸の現状を知らないと言う事ある為、何をどうしていいのか分からないのだ。
困る冬華とクリスに対し、エリオは困った様な笑みを浮かべる。
「も、もしかして、何も考えてなかったんですか?」
「あ、ああ……。元々の目的は母の墓参りだったし……」
「そうなんですか。なら、暫くここに滞在するんですか?」
僅かにエリオの声のトーンが上がった。だが、クリスはそんなエリオの期待とは裏腹に目を細めると、腕を組み首を捻った。
「悪い。ここに滞在するのは、多分、今日までだ」
「えっ? ど、ど、どうしてですか!」
クリスの答えに対し、エリオが驚きの声を上げる。
今後の予定が無いと言っていたのに、どうしてと、不思議そうな表情を見せるエリオに対し、クリスは深く息を吐き出し答える。
「ここに居たいのは山々なんだがな、私達の仲間が一人行方不明だからな……」
「そう言えば、そうだったね。ティオ、何処行ったんだろう?」
ティオの事を思い出し、冬華が遠い目で空を見上げる。
一体、あの後どうなったのか、どうして自分達が砂浜に倒れていて、ティオだけが居なくなったのか。
今に思えば、色々と疑問が浮かぶ。
彼らは何だったのか、何故、襲われたのか、どうして助かったのか。
暫く考える事をやめていたが、思い返し冬華は考え込む。ひたすら考える。
だが、結局考えても考えても答えなど出るわけが無く、冬華は深いため息を吐いた。
「あぁー……ダメだー。全然だねー」
「そうですね」
「えっ? えっ? 何が、ダメなんですか?」
困り顔の冬華とクリスに対し、わけが分らないエリオがオロオロと尋ねた。
すると、クリスは苦笑し、
「色々とあってな。今はまだ考えがまとまらないんだ……」
「そ、そうなんですか?」
「ああ。そうなんだ」
鼻から息を吐き出し、クリスは小さく頷いた。
そんな時、クリスは思い出した様に呟く。
「そう言えば、静明流の道場はどうなっているんだ?」
クリスがエリオへとそう尋ねた。
静明流剣術道場は、ここ紅蓮流剣術道場とバレリア大陸でも二極を争う剣術道場だ。
紅蓮流の激しく荒々しい剣術とは真逆で、その名の通り静かなる剣術。属性も火である紅蓮流に対し、水の属性で昔はよく対抗戦を行ったり、お互いに高めあうライバルの様な存在だった。
剣術を習う時、クリスはこの二つの道場のどちらに入るが迷った結果、属性適正があった紅蓮流に入門したのだ。
その為、静明流剣術道場の師範とも顔見知りで、親しくさせてもらっていた。
穏やかな笑みを浮かべるクリスに対し、エリオは複雑そうに眉をひそめる。その表情で、クリスはおおよその事を理解し、その笑みを曇らせた。
「そうか……静明流も……」
「あっ! いや、静明流は、実はよく分からないんです」
落ち込むクリスに、エリオは慌ててそう声を上げた。
「よく分からない? どう言う事だ?」
エリオの言葉に訝しげな表情を向け、クリスは首を傾げる。すると、エリオは俯き小声で告げる。
「実は、静明流は、突然解散したんです」
それは、紅蓮流剣術道場で処刑が実行されて半年ほど過ぎた頃だった。
静明流剣術道場の師範が忽然と姿を消し、そのまま自然消滅と言う形になったのだ。
何があったのかはエリオ自身分らない。だた、道場の神器と呼ばれていた刀が消えていた事から、恐らくなんらかの事情で師範が刀を持ち出し旅にでたのだ、と言う推測だけが流れていた。
もちろん、それを証明するだけの証拠などは無く、ただの噂話として町中に広がっていった。
「そうか……。しかし、バレリアで二極を争っていた紅蓮流と静明流がほぼ同時期につぶれるとは……」
「これも、その暴君って呼ばれてた王様の仕業なのかな?」
身を乗り出し、冬華がそう口にすると、クリスの表情はやや険しく変わった。
すでに亡くなったとは言え、やはり暴君バルバスの所業は許せぬモノが多々あった。その為、その名を、その顔を思い出すだけで、胸の奥で何が黒いモノが沸き立つ、そんな感覚になる。
唇を噛み締め、それを堪えるクリスは静かに息を吐き出し、心を静めた。
「それは、分りません……。ただ、もしかすると、そう言う事もありえるかもしれません……」
硬く瞼を閉じたままそう言うクリスに、冬華は「そっか……」と呟き背を丸める。
暴君と呼ばれた男、バルバスが一体何を考えていたのか、冬華には全く理解出来ない。
人を苦しめて、楽しかったんだろうか。
争う事が楽しかったのか。
死人の事を悪く言いたくはなかったが、とてもまともな人間とは思えず、冬華はただただ複雑そうに眉をひそめていた。