第175話 異世界から来た者
食事を終えた冬華達は風呂に入り寝る準備をしていた。
布団を敷き、まだ湯気の上がる冬華はその上に横になる。
ひんやりと冷たい布団に冬華は「ひゃぁーっ」と声を上げた。
冬華の行動に苦笑するルーイットは静かに布団の上に座り、遅れてやってきたクリスは白銀の髪から雫を零しながら、タオルを首に掛け布団の前までやってくる。
それから、クリスは辺りを見回す。
「おや? エリオは?」
一通り道場内を見回したクリスがそう尋ねると、ルーイットが顔を挙げ答える。
「エリオなら、鍋を見てもらってるよ?」
「鍋? ……あぁ、ジャイアントラビットのモモ肉か」
「うん。明日には多分、食べられるようになると思うから」
満面の笑みを浮かべるルーイットに、クリスは小さく頷いた。
「そうか……。それは、楽しみだな」
「だねー。今日の晩ご飯、凄く美味しかったもんねー」
微笑するクリスの言葉に、冬華も賛同し頬を両手で持ち上げ「えへへー」と無邪気に笑う。
そんな冬華に、ルーイットは照れ笑いを浮かべ、右手で頭を掻く。人に美味しいと言ってもらえると胸の奥がこそばゆくなって仕方なかった。
照れるルーイットを尻目にクリスは冬華の横に座り、思い出したように切り出す。
「そう言えば、ルーイットが異世界から来た者を知ってるようでして……」
「えっ? 異世界から来た……者? ……それって、私の事?」
思わず自分の事を指差し笑ってみせる冬華に、クリスは苦笑する。確かに冬華は異世界から来た者で、ルーイットも今はもう知っている人物である。
だが、そうじゃない。冬華以外の異世界から来た者を知っていると言う事だ。
もちろん、冬華も冗談のつもりだ。しかし、場の空気の重さから、笑える状況ではなく、肩を落とし俯いた。
一拍間を空け、クリスはホッと息を吐き出し、ルーイットへと目を向ける。
照れていたルーイットはその視線に気付き、姿勢を正した。反射的に行った行動で、自分でもどうしてそうしたのかルーイットにも分からなかった。
三人で円を描く様に座り、クリスが静かに口を開く。
「ルーイット。異世界から来た者について詳しく教えてくれ」
「えっ、うん。名前は……クロト。今は魔人族だけど、この世界に来る前はちゃんとした人間だった……らしいよ」
ルーイットは右手の人差し指を顔の横で立て、そう説明する。
すると、クリスは解せないと腕を組み表情を険しくする。
それはそうだ。何故、異世界で人間だった人物が、この世界に来て魔族になるのか、理解に苦しむ所だった。
そんなクリスの疑念とは裏腹に、冬華は別の事を考えていた。そのクロトと言う名前に、聞き覚えがあったのだ。
ずっと昔から知っている気もする。けど、何故だか思い出せない。記憶力は良い方だと自負していた為、それが少々気持ち悪かった。
眉間にシワを寄せ、不快そうな表情の冬華を尻目に、クリスとルーイットは話を進める。
「それで、そのクロトって言う奴は、どんな奴なんだ?」
「えっ? うーん……私は……うん。かっこいいと思うよ?」
妙に照れ臭そうにそう言うルーイットの頬が僅かに赤く染まる。そんなルーイットに、クリスは小首をかしげ、眉間にシワを寄せた。
「いや、かっこいいかどうかはどうでもいい。何の為に、この世界に来たのか、どうやってきたのか、聞いてないのか?」
「えっ? あぁ、うん。何でも、何か起動させたら、突然この世界に連れて行かれたみたいだよ? クロトも詳しく分ってないみたいだし」
「詳しく分らないって事は、もしかして帰る方法は……」
クリスがそう尋ねると、ルーイットは小さくうなり声を上げた後に、半笑いで、
「多分、わかんないと思うよ? 本人も世界を巡ってるみたいだし、帰る方法を探してるんじゃないかな?」
「そうか……」
「まぁ、クロトの場合、セラに振り回されてるだけかもしれないけど」
笑いながらルーイットがそう言うと、クリスの表情が僅かに険しくなる。その名に聞き覚えがあった。
この世界で最も大きな大陸、ルーガスの支配者である魔王デュバルの娘。その娘の名前がセラと言う名前だった。
箱入り娘の世間知らずだと言う話を聞いていたが、まさか城を出ているとは思ってもいなかった。
その為、クリスは聊か驚いた表情をルーイットへと向ける。
そんなクリスの眼差しに、ルーイットは訝しげに首を傾げ、
「な、何?」
と、恐る恐る尋ねる。すると、クリスは感嘆の声をあげ、小さく二度頷く。
「ルーイット。お前も苦労してるんだな」
「はい?」
「いや、城に仕えていたって言うのは、魔王デュバルの所なのだろ?」
「はぁ? ち、違う違う! 私が、クロトやセラと出会ったのは、ゼバーリック大陸だよ! ルーガスなんて行った事無いし、デュバル様なんて会った事もないよ!」
驚き、目を白黒させた後に大慌てで両腕を振り、ルーイットはそう言い放った。
三人の魔王の中でもデュバルは特別な存在で、あの広大なルーガスを収める最強の魔王。何処にでもいるような小娘であるルーイットがそう易々と会える存在では無いのだ。
それに、ルーガス大陸と言うのが特別な場所で、年に数回上陸するチャンスがあるだけで、とても外部から入るのが困難な場所でもある。
大慌てのルーイットの反応に、クリスは更に眉をひそめた。しかし、すぐに理解する。
異世界から来たクロトと魔王デュバルの娘セラと、ゼバーリック大陸で出会ったのなら、ルーイットが仕えていたのは、シオの父である獣王ロゼの城だと言う事に。
その為、クリスは「あーあ」と声をあげ、納得したように頷いた。
「な、何、一人で納得してるの?」
思わずルーイットが尋ねると、クリスは目を細め呆れた様に笑う。
「そうか……獣王ロゼに仕えていたのか……ルーイットは」
「えっ? あっ、うん。まぁ、獣魔族だし、獣王様には色々とお世話になったから……」
ルーイットがそう言うと、クリスは右手で白銀の髪を掻き揚げた。
「確か、ロゼは食にうるさいと聞いた事がある。そう考えれば、ルーイットの料理の腕があれほどなのも納得だな」
「はへっ? ち、違うよ! わ、私はシェフじゃなく――」
「まぁ、そう謙遜するな。料理の腕が抜群なのは、証明済みだ。隠す必要も無いだろ?」
「えっ、いや、だから――」
「今度、私にも色々と教えてくれると助かるよ」
ルーイットの言葉など聞こうともせず、クリスはそう言い大人びた笑みを浮かべた。
そんな二人の会話の中、冬華は必死に思いだそうとしていた。クロトと言う名前について――。
道場の外、焚き火の前でエリオはその手に握られた小さな水晶を真っ直ぐに見据えていた。
焚き火に掛けられた鍋はカタカタと蓋を揺らし、湯気を僅かに噴かせる。
しかし、エリオはそれに見向きもせず、瞼を閉じると水晶を強く握り締めた。
遡る事――夕刻。
一人で果物を集めに森に行ったエリオは、一人の男に出会った。
漆黒のローブを纏い、不気味なオーラを放つ異様な存在の男に。
腰にぶら下げたガンホルダーが揺れ、銀色の銃が光を反射していた。
エリオはその男の存在に動く事も、声を上げる事も出来なかった。それ程、恐怖を掻き立てる存在だった。
ローブに隠れたその顔はハッキリとは見えなかったが、その奥に浮かぶ赤い瞳からエリオはこの男が魔族だと悟った。
(殺される)
そう直感したエリオだが、そんなエリオに男は静かに笑い手を差し伸べる。
「力が欲しいか? お前の父や母を殺した者達へ復讐する為の力が――」
男の不気味な程静かな声が、エリオの耳に届いた。
その瞬間、エリオの胸の奥底に沈んでいた憎しみと言う深くどす黒い闇が目を覚ます。
力が無いから何も出来ない、どうする事も出来ない、と押し殺していた闇が、その男の声に鼓舞する様に力を求める。
“力が欲しい……圧倒的な力。誰にも屈する事の無い力が――”
そう望んだ時、エリオはその手を男へと差し出していた。
そして、男はその手に与える。闇を映し出すようなその美しい水晶を――……。