第174話 ルーイットの何分クッキング?
寒空の下、冬華達は調理を開始していた。
包丁を握るのはルーイットで、クリスは火を熾し、冬華は調理のアシスタントに回る。
調理の材料となるのは、この辺りではよく食されると言うジャイアントラビット。
その前に佇むルーイットは深く息を吐き出すと、下準備を開始する。
「まずは、皮を剥ごうかな」
ルーイットはそう言うと、慣れた手つきで包丁をジャイアントラビットの体に入れていく。
それから器用に毛皮を剥いでいき、物の数分でジャイアントラビットは丸裸になっていた。
剥がされた毛皮をかたわらに、手を真っ赤に染めたルーイットは深く息を吐き出す。毛を剥ぐのは結構な力仕事で、ルーイットの額には大粒の汗が滲んでいた。
アシスタントの冬華はそんなルーイットの汗をタオルで拭う。
「大丈夫? 何か出来る事あったら言ってね」
タオルを片手に、胸の横で拳を握る冬華に、ルーイットは苦笑し小さく頷く。
「うん。じゃあ、鍋に水汲んで、お湯沸かしてもらっていいかな?」
「分かった! お湯を沸かせばいいんだね!」
冬華は明るくそう声を上げると、両手鍋を抱えて水瓶へと急いだ。
枯れ枝に火を灯すクリスは、ルーイットへと顔を向け、小さく首を傾げる。
ジャイアントラビットを捌くルーイットの慣れた手つきは、まるで料理人の様だった。しかも、ジャイアントラビットの体の構造を知っているかの様に、部位事に体を切り分けていた。
腕を組むクリスは、そんなルーイットへと歩み寄ると、切り分けられた肉を見据える。
「ルーイット」
「んんっ? 何?」
クリスの声に、手を動かしたままルーイットはそう答えた。
骨と肉の間に包丁の先を沿わせ、綺麗に肉を剥ぐルーイットへと、クリスは静かに尋ねる。
「ルーイットは、料理人なのか?」
「えーぇ? 違うよぉー。料理はただの趣味だよ」
「趣味? ……の割には、捌き方が専門的じゃないか?」
クリスがそう言うと、ルーイットは手を止め、顔を向ける。
「まぁ、結構長い間お城で働いてたから、ある程度の知識はね。それに、獣魔族だから、獣に関しては結構詳しいんだよ?」
ルーイットが微笑しそう説明するが、クリスはやはり納得できないと眉間にシワを寄せる。
そもそも、獣魔族だから獣に詳しいと言う理由にはなっていなかった。
怪訝そうな表情を浮かべるクリスの眼差しを気にせず、ルーイットは鼻歌混じりに肉を捌き始める。
相変わらず滑らかに滑らせる様に刃を入れていくルーイットに、クリスは感心していた。
料理は得意――と言うわけではない為、その技術の高さにただただ見入る事しか出来なかった。
「水汲んだよぉー」
鍋一杯に水を汲んできた冬華がそう声を上げる。
すると、ルーイットは手を止め笑顔で、
「それじゃあ、火にかけて沸騰させておいてね」
と、明るい声を張った。その声に冬華は「分かったー」と声をあげ、鍋を焚き火の上へと持っていった。
ジャイアントラビットを捌き終えたルーイットは続いて、そのモモ肉を切り分ける。筋肉質で筋ばかりのモモ肉を一口大に切り分け、更にそれを包丁の平で力強く叩く。
何をしているのか分らず、冬華とクリスは顔を見合わせる。冬華と顔を見合わせたクリスは肩を竦め、やがて視線をルーイットへ戻す。
「なぁ、食べるのか?」
「うん。食べるよ?」
「ジャイアントラビットのモモ肉は筋ばかりで硬くて美味しくないぞ? 昔は渋々食べていたが……」
困った表情のクリスに対し、ルーイットは自慢げに胸を張り、包丁を持った右手を軽く振る。
「甘いなぁー。ジャイアントラビットのモモ肉は煮込むと柔らかくなって美味しいんだよ?」
「いや、一度煮込んだ事があるが……更に硬くなって食えた物じゃ……」
過去の経験からそう述べるクリスの怪訝そうな眼差しに、ルーイットは左手を腰に当て鼻を鳴らす。
その自信満々のルーイットに、冬華とクリスはもう一度顔を見合わせる。それから、二人は首を傾げた。
クリスは幼い頃に何度もジャイアントラビットを食べた事があるが、とてもルーイットの言っている事は信じられなかった。
疑いの眼差しを向けるクリスに対し、ルーイットは深く吐息を漏らす。
「ジャイアントラビットのモモ肉はただ煮込むだけじゃダメなんだよ。ちゃんと下準備をして、低温でジックリ煮込まないと」
「ジックリって……どのくらい?」
冬華が思わずそう尋ねると、ルーイットは満面の笑みで答える。
「そうだねー。大体、一日……二日? くらいかな?」
ルーイットの言葉に、冬華とクリスは絶句する。
丸一日、いや、二日も煮込み続けなければいけないのか、と。それから、冬華は目を白黒させ、小さく左右に頭を振った。
「はぁー……そんなに煮込まないといけないなんて……大変だねー」
「そうだよ。料理は手間ひま掛かる物なんだよ?」
「しかし、低温のお湯で煮込むなら、アレじゃ温度が高いんじゃないか?」
クリスは焚き火に掛けられた鍋へと目を向ける。そこにはお湯がグツグツと泡を吹かせていた。
その光景に冬華は慌て「あわわわっ!」と声を上げるが、ルーイットは至って冷静に、
「大丈夫だよ。一度、高温で煮て、灰汁を取り除くんだよ。余計な油も取って置きたいし。それに、高温で熱する事で、表面に火が通り、旨みがギュッと濃縮されるんだよ」
まるで料理人の様にそう語るルーイットに、冬華もクリスも呆気に取られていた。
流石に、ここまで来るととても趣味の領域とは思えなかった。
そんな二人を尻目にルーイットは切りそろえたモモ肉をザルに乗せ、トテトテと鍋の方へと駆け出した。
冬華とクリスは邪魔にならない様に道を空け、ルーイットの背を見据える。
ほぼ調理の腕は皆無の冬華にとってルーイットが何をしようとしているのか、理解に苦しむ所だった。
一方、料理の腕はそこそこのクリスも、イマイチ、ルーイットの言葉が信じられずに居た。この地で育ってきたが、そんな調理の仕方は全く聞いた事がなかったのだ。
二人の視線を浴びながら、ルーイットはザルに盛られたモモ肉を一気に鍋へと投入する。
「いーち……にーい……さーん……」
ルーイットは静かに時間を数え、約二十秒程でモモ肉をお湯から取り出した。
お湯にはモモ肉から出たであろう油が浮遊し、完全にお湯と分離していた。
「この油は、後で揚げ物に使おうかなぁー」
ルーイットはそう言いながらお湯に浮遊する大量の油をオタマですくい別の鍋へと移した。
呆然と立ち尽くす冬華は、首を捻り、
「何だか……料理人って感じだね」
と、呟いた。そして、クリスも小さく頷き、
「そうですね……。趣味であのレベルとは……本職と言っても過言ではありませんね」
と、感嘆の声を上げる。
とても、二人が手伝える様なレベルではないルーイットの調理技術。その為、二人は結局料理が出来るまで、それを眺めているしか出来なかった。
晩ご飯が出来る頃には、エリオも果物を両手一杯に持ち道場へと戻り、陽が完全に落ちた頃、四人は大量の料理を囲っていた。
メインはジャイアントラビットの胸肉のから揚げ。モモ肉に比べ、胸肉は柔らかく揚げ物に最適の部位だった。
それから、ステーキやら何やら、肉付くしの料理が並べられていた。
「凄いですね……」
並べられた料理の数々に、エリオが思わず声を漏らす。
「えへへー。作りすぎちゃったかなぁ?」
照れ笑いを浮かべるルーイットは右手で頭を掻き、僅かに頬を赤らめる。
久しぶりに料理の腕を振るう為、ルーイットは何処か嬉しそうだった。
「じゃあ、食べよっか!」
冬華が声をあげ、両手を合わせる。
「いただきまーす!」
冬華がそう言うと、他の三人も手を軽く合わせ、頭を下げた。
まず冬華が箸で摘んだのは胸肉のから揚げだった。表面はカリカリでスパイス香るそのから揚げに、かぶりつく。
「はふっはふっ!」
皮が破け、肉汁が口いっぱいに広がり、冬華は思わずそう息を吐き出す。甘みを含んだ肉は、その内に口の中に溶け込み、喉を流れた。
「んんーっ!」
胸の横で両拳を上下に振る冬華は、硬く瞼を閉じ、笑みを浮かべる。
「おいしーっ! 外はカリカリだけど、中は肉汁たっぷりで柔らかくて……」
「えぇ、私も、ジャイアントラビットの肉でこんなにも美味しいのは初めてです」
絶賛する二人に、一層ルーイットの表情は緩み、恥ずかしそうに耳まで赤く染めていた。