第166話 消えた三人
落雷により木々は燃え、地面は大きく陥没していた。
砕けた土がパラパラと空から降り注ぎ、黒煙が地面から漂う。
静まり返ったその場所に、冬華・クリス・ルーイットの三人の姿は無い。
あるのは、龍魔族のティオの姿だけだった。
その手に持った盾の先を地面に突き立てるティオの体からは、僅かに黒煙があがる。
オレンジブラウンの髪は毛先が多少焦げ、嫌な臭いが薄らと漂っていた。
だが、そんな臭いを気にする余裕など、今のティオにはない。
肩を上下に揺らし深い呼吸を繰り返し、ティオはその赤い瞳をゆっくりと動かし辺りを見回す。
陥没した地面には亀裂が深く刻まれ、落雷を受けた為黒焦げていた。
木々も燃え上がり、辺りは炎に包まれ、熱気が大気を歪める。
そんな中、佇むティオは、僅かに燃える服の右袖を剥ぎ取った。
あらわとなった引き締まった二の腕を僅かに隆起させ、盾に収まった剣を静かに抜いた。
それと同時に複数の足音が燃え上がる炎の音に混じり聞こえ、燃え上がる木々の合間から男達が姿を見せる。
数は正確にわからないが、彼らは皆その身に鉄の鎧をまとった兵士の様だった。
右胸に刻まれる国章から、この国の兵だったのだとすぐにティオは理解し、眉間にシワを寄せる。
「目的は何ですか? 彼女達は何処に?」
静かな口調でティオが尋ねる。しかし、返答は無い。
分りきっていた事だった為、驚きもせず、ティオはもう一度周囲を見回した。
皆、同じような胸当て、ガントレット、レガースを装備しているが、その中で一人だけ明らかに他と違う色のガントレットをした兵が、ティオの方へと一歩前に踏み出す。
黄緑色のガントレットを装着するその兵は、顔を覆うタイプの鉄兜から長い真っ赤な髪を出し、背中でゆったりと揺らしていた。
異様な程の殺気を漂わせるその兵士に、ティオは息を呑む。
僅かに右足が後ろへと退かれ、足元には少量の土埃が舞い上がった。
緊張が漂う中、ジリジリと兵達はティオとの間合いを詰める。
恐らく、ティオの耳の付け根に見える角から、龍魔族だと言う事を知られていた。
その為、咆哮を警戒し、兵達は派手に動く事が出来ないのだ。
咆哮の破壊力はよく知っていると、言う事なのだろう。
警戒する兵達にティオは薄らと汗を滲ませていた。何故なら、ティオは咆哮を使う事が出来ないからだ。
だから、それを知られてはならぬと、慎重になっていた。
静寂の中でティオの喉元がゆっくりと動き、滲み出た汗が頬を伝い顎先から静かに零れ落ちる。
それに合わせたように、黄緑のガントレットをした兵士が右腕を振り上げた。それを合図に、兵達は動き出す。
後方から四人の槍兵が腰の位置に槍を固定し、ティオへと突っ込む。
前方からの攻撃に対する鉄壁を誇るガーディアンの守りを崩す為の作戦だった。
ガーディアンは、防衛に特化した能力を持つ。盾だけでなく、全身を覆う鎧を強化し、自らを襲うありとあらゆる攻撃から身を守る事が出来るが、現在ティオは鎧をまとっていなかった。
いや、本来、ティオはガーディアンと言う職ではない。その為、元々鎧は装備せず、その盾一本でガーディアンとしての能力を発揮しているのだ。
そんな中途半端なガーディアンと言う自分の立ち位置を理解しているからこそ、ティオは微動だにせず様子を窺っていた。
下手に動けば他の者に背を打たれると分っているのだ。
「死ねぇぇっ!」
背後から迫る兵の一人が叫び槍を突き出す。
十分に引き付けたと同時にティオは身を反転させ、槍の軌道を盾で逸らし、振り返り様に剣を一振りした。
切っ先が兵の右腕を切りつけ、鮮血を僅かに弾けさせる。
「うぐっ!」
表情を歪める兵だが、それだけでは決して槍を手放そうとはせず、踏み込んだ足へと力を込め、すぐにその場を右へと飛び退いた。
そんな兵に続けと、二人目、三人目もティオへと槍を突き出す。
しかし、一般兵如きに遅れを取るティオでは無く、軽々とその突きをいなし、先ほどの兵と同じように右腕を切りつけていった。
だが、やはりどの兵も腕を切りつけられた程度では槍を落とす事無くすぐにティオと間合いを取り体を向ける。
兵達の目は血走り、その表情は怒り狂っていた。
明らかに様子はおかしいと、ティオは分っていたが、それでも、命までは奪いたくない、と、表情を険しくする。
どうすれば良いのかティオは必死に考えていた。
だが、兵達の手は緩まず、三人は代わる代わるにティオに槍を突き出していく。
それを、ティオは盾と剣を上手く使い受け流す。
激しく金属音だけ響き、火花が迸る。
休まず続く三人の連続した攻撃に、ティオは完全に忘れていた。
背後に姿を見せた、気配を絶っていた四人目の兵の存在に――。
彼は肩幅に両足を開くと、その手に持った槍を大きく振り上げる。
そして、それを地面に叩きつける様に勢いよく振り下ろした。
柄が大きくしなり、鋭い風切り音が唸りを上げる。
その音にティオもすぐに気付く。
(くっ! まだいたのか!)
ティオの反応が僅かに遅れる。だが、すぐに体を捻り盾をかざし、しなる槍を受け止めた。
重々しい金属音が響き、火花が散る。
盾に受け止められた槍は衝撃で跳ね上がり、槍を受け止めたティオの両足は衝撃を受け地面を砕き、砕石と土煙が舞い上がった。
僅かに膝を曲げ衝撃を地面へと受け流したティオだが、それでも全身を突き抜けるその衝撃に噛み締めtた歯の合間から血が噴出した。
「ぐふっ!」
表情を歪めるティオの動きが僅かに鈍り、それを好機だと判断したのか、次の指示を男が出す。
その指示に槍兵達はその場を飛び退き、その瞬間、複数人いる弓兵が一歩前へと出ると、矢を引きそれを天へと放った。
矢は弧を描き、次々とティオへと向かって降り注ぐ。
「くっ!」
降り注ぐ矢に、ティオは思わずそう声を漏らす。
鏃が服を裂き、皮膚を切りつける。
血が僅かにはね、血痕が地面へと散らばった。
時間にしてものの数秒程の時が過ぎ、矢の雨は止んだ。
地面には大量の矢が突き刺り、その中心にティオは佇む。
盾を頭上にかざし致命傷だけは免れるティオは、表情を歪め唇を噛み締める。
しかし、致命傷を免れただけで、ティオの体にも数本矢が突き刺さり大量の血がその体からは溢れていた。
「はぁ……はぁ……」
俯き荒い呼吸を繰り返すティオは、盾を静かに下した。
圧倒的な数の差はイコール戦力の差となる。
今のティオではこの大人数を相手にするだけの力は持ち合わせていなかった。
その為、思考を張り巡らせ、考える。
この状況を打開する為の策を。
しかし、そうさせまいと、次なる指示を黄緑のガントレットを装備した兵士から出される。
「グランド――」
数人のガーディアンが今度は一歩前へと踏み出し、その五角形の大きな盾を振り上げる。
(まずい……)
ガーディアンとしての経験上、その行動から繰り出される技を理解しているティオは、今、それを受けると非常にまずいと直感していた。
その為、ティオは瞬時にその盾を地面へと突き立て、身を屈めた。
それが、被害を最小限に抑える為の最善の方法だと考えたのだ。
しかし、それは同時に背中を無防備にすると言う最悪な状態でもあった。
それを、あの兵士が見逃すわけも無く、黄緑のガントレットをした腕が静かに振り上げられる。
「疾風突き!」
ティオの背後に居た四人の槍兵が低い姿勢から一斉に突きを見舞う。
素早く鋭い一撃。
それが、ティオの背を貫き、鮮血が激しく散った。
「うぐっ!」
背中に突き刺さった四本の切っ先が、骨を激しく軋ませた。
噛み締めた歯の合間から血が噴出され、ティオの表情は歪む。
地面に突き立てた盾はティオが前のめりになった為に地面へと倒れ、そこに更に駄目押しの声が響く。
「――スマッシュ!」
振り上げていた盾が一斉に地面へと突き立てられる。
輝く盾が地面へと突きつけられ、地中からうごめくような不気味な音が響き渡る。
そして、ついに土が――いや、地面が大きなうねりを上げ巨大な波となりティオへと襲い掛かった。
「ぐっ!」
激しい揺れにティオはその場から動く事は出来ない。
もちろん、ティオの背に槍を突き立てた四人も――。
間違いなく彼ら四人もろともティオを呑み込むつもりなのだ。
(くっ! 仲間を見殺しにする気か!)
ティオは表情を歪め、空を覆うほど大きくうねる土の波を見上げた。
そして、すぐに自らを突き刺した兵達へと目を向ける。
死へ対する恐怖が無いのか、全く微動だにしないその姿に、ティオは疑念を抱いた。
だが、その疑問を考えるよりも先に、ティオはその手に持った盾を持ち上げ、四人の兵へと投げつけた。
この場から彼らを遠ざける為の行動だった。
例え相手が死ぬ気の攻撃でも、人の命が奪われると言う事がティオは嫌だったのだ。
盾が一人の兵を弾き、その兵の体が他の三人の兵を巻き込み地面を転がる。
それを見届け、ティオは安堵したように息を吐き、そんなティオを土の波が轟音を轟かせ呑み込んだ。
激しい土煙が舞い、突風が吹き荒れる。
燃えていた木々をも吹き消す突風に、周囲に居た兵達はその身をかがめていた。
全てが終わり、未だ地面が揺らぐ中、黄緑のガントレットをした兵士がゆっくりと歩みを進める。
燃えていた木々の半分は吹き飛ばされ、残り半分は土の波に呑み込まれ、辺り一体は土だけが残っていた。
「幾ら何でもやりすぎじゃないか?」
静かな男の声が響き、二つの足音が緩くなった土を踏み締める。
「ここまでする必要があったのか?」
土に足跡を刻み込む真紅の髪を僅かに風に靡かせる男が、黄緑のガントレットをした兵へと歩み寄った。
すると、真っ赤な髪を揺らすその兵は、鉄兜を取ると、美しく整った顔をその男へと向け、
「魔族は殲滅する」
と、棘のある女の声でそう言い放った。
黄緑のガントレットをした兵士は女だったのだ。
鼻は高く筋が取っていた。そして、その両脇を挟む切れ長の眼の奥には赤黒い瞳が憎しみの炎を燃やしていた。
美しく凛とした女は、表情を一切変える事無くその男へと目を向ける。
「それより、他の三人が消えた。何をした? ジェス」
淡々とした口調で尋ねるその女性に、佇むジェスは肩を竦めた。
「さぁな。それより、ギルドへの依頼は何だ? まさか、人殺しか? 悪いが、人殺しはうけねぇーぞ」
「ああ。お前達への依頼は――」
僅かに疑いの眼差しを向けた女だったが、静かに瞼を閉じ、ジェスへと話を始める。
そんな女の話を聞くジェスの足元には、少量のクリスタル片が散らばり輝きを放っていた。