第162話 関所
一月程掛け、冬華達は西の大陸バレリアへと到着していた。
三日月形の大陸で、その両端の岬は海を割る様に向かい合う。
それにより、海峡は狭まり、いい具合に関所の役割を果たしていた。
その関所に停泊するジェスのギルドの巨大船の甲板で、冬華は手すりに肘をつき頬杖をついていた。
「まだかな?」
暇そうにそう冬華は呟いた。
彼是、三時間ほどが過ぎ、いまだに入港の手続きが取れずにいた。
一体、何をそんなにもたついているのか不明だが、後から来る船は次々と入港を許可され、あっさりと関所を通り過ぎていた。
そんな事もあり、冬華は不満そうに頬を膨らしていた。
甲板で一人素振りをするティオは、オレンジブラウンの髪から汗を滴らせ、深く息を吐き出す。
「どうかしましたか? 冬華殿」
「んっ? うーん……別にどうかしたわけじゃないけど……なんでこんなにも入港に手間取ってるのかな? って」
「それは、恐らく、ジェスのギルドが問題かと」
腕を組んだクリスが、渋い表情で冬華の方へと歩み寄った。
頭の後ろで留めた白銀の髪を僅かに揺らすクリスは、冬華の前で足を止めると手すりに身を寄せ海面へと視線を向けた。
何か憂鬱そうなクリスに冬華は小首を傾げる。
この大陸はクリスの生まれ育った場所だと聞いていた為、何故、クリスがこんな憂鬱そうな顔をしているのか分らなかった。
不思議そうな冬華の視線に気付き、クリスは苦笑する。
「すみません。ここに来ると、昔の事を思い出して……」
「昔の事?」
冬華がそう聞くと、クリスは小さく頷いた。
「えぇ……前にも話したかもしれませんが、私はこの大陸の出身です。そして、その当時この大陸は最悪な状況で、私は色々なモノをその目で見てきました……」
クリスは語った。
幼い頃、目にしたこの国の姿を。
暴君と呼ばれた一人の男によって支配された忌まわしき国の実体を。
一人が逆らえば、反逆罪でその町の全ての大人が殺され、子供は奴隷とし連れて行かれる。
重税をかけられ、苦しかった日々。
思い出すだけでも胸が締め付けられる。
何より、母の事を思い出す事が辛かった。
唇を噛み締めるクリスに、冬華は微笑む。
「じゃあさ、とりあえず入港出来たら、クリスのお母さんのお墓参りに行こうか?」
「えっ?」
「暫くあってないんでしょ? だったら、私はこんなに成長しましたって見せるべきじゃない?」
笑顔でそう言う冬華にクリスは小さく頷いた。
「そう……ですね。是非、冬華の事も紹介したいですし……」
困ったような笑顔を見せるクリスに、冬華は「うん」と明るい声を上げた。
そんな二人のやり取りにティオはふっと息を吐き、やがてぼんやりと空を見上げるルーイットの方へと目を向けた。
紺色の髪から出た獣耳を忙しなく動かすルーイットに、ティオは目を細める。
何となく分かったのだ。
彼女が現在、耳を澄ましている事を。
何を聞こうとしているのか定かではないが、ゆっくりとルーイットへと歩み寄ったティオは静かに尋ねる。
「何をしているんですか?」
「えっ? あぁ……うん。ちょっと」
苦笑するルーイットに、ティオは首を傾げる。
そして、思い出したように尋ねた。
「そう言えば、ルーイット殿はつい先日までバレリアにいたのでは?」
小さく首を傾げるティオに、ルーイットは軽い口調で、
「うん。そうだよ?」
と、答えた。
その答えにティオは微笑し、
「それでは、ルーイット殿がその知人に繋いでもらって入港を許可してもらえばいいのでは?」
と、ティオが提案する。
しかし、ルーイットは困った酔うにハニカミ、右手で獣耳へと触れた。
「まぁ、そうしたいんだけど……問題は別のところにあるっぽいし……」
「……? 別のところ? 何の話ですか?」
「うん……まぁ、その……」
非常に言い辛そうな瞳を動かすルーイットにティオは訝しげに首をかしげた。
場所は変り、関所内部へと移る。
そこにいるのはギルドマスターのジェスと付き人のアースの二人と、関所の管理者であるバレリア六傑会、第六席のキースの計三人。
キースはボサボサに伸びきった髪を右手で掻き、あまり威厳があるとは言えぬだらしない格好で書類に目を通していた。
穏やかな顔立ち、静かな雰囲気を漂わせるキースは、深く息を吐き出すと、もう一度ジェスとアースの二人を見据える。
真紅の短髪を逆立てるジェスは、堂々と仁王立ちし、その僅か後方に深い蒼の髪をしたアースが少々残念そうに背を丸め立っていた。
凛としたジェスの堂々とした態度に、キースは書類を机の上に静かに置き、困った様に笑みを浮かべる。
「うん。正直な事は良い事だって、僕は思うよ。けどね……」
静かに椅子から立ち上がったキースは、鼻から深く息を吐き出すと、呆れた様に言い放つ。
「関所で堂々と盗賊ギルドだって書かれて入港を許すと思ってるのかい? キミは……」
呆れた様に右手で頭を抱えるキースに対し、
「ああ。俺はこれで何度も関所を通ってきている!」
と、ジェスは自分は正しいと胸を張る。
これで、数十回目となるやり取りだった。
入港に時間が掛かっている理由は、この盗賊ギルドと言う記載があった為で、ルーイットはこの会話の一部始終が聞こえていた。
その為、複雑そうな表情を浮かべていたのだ。
呆れるキースに、非常に申し訳なさそうに背を丸めるアースは、深く頭を下げる。
「すみません……馬鹿正直なマスターで……」
「いや。正直な事は良い事なんだよ。けどね、僕としても立場があるわけなんだよ」
「立場? いいじゃないか、正直に言ってるんだから通してくれても!」
何が不満なんだと、言いたげな顔でジェスがそう言い鼻息を荒げる。
しかし、キースは眉をひそめ、右手で頬を掻いた。
「盗賊ギルドだと、胸を張って言えるのは良い事だ。けどね、関所を任される身として、盗賊を安易に入港させるわけには行かないだろ? そう言ってるんだよ」
「……なるほど。一理あるな」
キースの言葉に腕を組むジェスは、納得したのか小刻みに頭を振った。
しかし、すぐに「それで?」と真顔でキースに返す。
これも、今日何度目のやり取りになるだろう。
流石にアースも呆れて言葉を失っていた。
いや、もう恥ずかしくて顔を上げる事すら出来なくなっていた。
そんなアースを尻目に、ジェスは力説する。
「いいか、悪いことする奴が、盗賊ギルドだって関所で正直に書くと思うか?」
机を右手で叩くジェスの言葉に、キースは小さく頷く。
「まぁ、書かないだろうね。普通は」
「だろ? なら――」
「無理です」
突如、キースとは別の女性の声が部屋へと響き渡った。
その声に「むっ」と声を漏らしたジェスは、不快そうにその視線を声の方へと向ける。
そこには長い黒髪をポニーテールにした正装の女性が立っていた。
大人びた雰囲気を更に増す様にメガネを掛けたその女性は、右手でそれをクイッとあげ、切れ長の鋭い眼差しをジェスへと向ける。
威圧的――と、言うか好戦的なその眼差しにジェスは眉をひそめた。
キッチリとした服で締め付けられた胸を揺らす女性は、フンと息を吐くと、キースの横に並び、
「キース様。何を何時間も時間を費やしているんですか?」
「いや、まぁ、僕としても正直な――」
「正直に言えば過去の罪が消されるってわけではないのですよ? 盗賊ギルド、マスターのジェス」
眼鏡越しに向けられる鋭い眼差しにジェスはうろたえる。
珍しいジェスの姿にアースは驚きを隠せなかった。
何故、彼女に対し、そんなにうろたえているのか、アースにはさっぱり分らなかった。