第160話 触らせて
翌朝、冬華達は船着場にやってきていた。
ジェスのギルドの船が迎えに来ているとの事で、冬華達も乗せて行ってもらう事にしたのだ。
冷たい潮風に吹かれ、冬華は肩口で黒髪を揺らしていた。
大分寒いはずなのに、相変わらずミニスカートの冬華は、海から覗く太陽を見据え、腰に手をあて叫ぶ。
「やっほーっ!」
と。
その声にジェスは思う。
(それは、山に向かって言うべきじゃないか?)
と。
ジェスのギルドの大型船が港には停泊していた。
昨夜遅くに到着したのだ。
それ故に、現在荷運びをしていた。
大量に買い込んだ食糧や、武器など運び込んでいた。
小規模なギルドの為、ギルドマスターであるジェスやアースも一緒に荷運びをしていた。
女性陣である冬華、クリス、ルーイットの三人は甲板からそんな作業をするジェス達を見据えていた。
獣耳である事から、ルーイットがシオと同じ獣魔族だと分っている冬華は、その紺色の耳を興味津々に見据えていた。
シオの金色の耳とはちょっと違う形状のその耳を、触ってみたいと言う好奇心にかられていたのだ。
ヒクッヒクッとその耳が動くたびに、冬華の肩も同じように弾む。
そんな冬華の視線に気付いたのか、紺色の長い髪を揺らしルーイットは振り返る。
「な、何?」
しおらしく胸の前で手を組むルーイットの赤い瞳が左右へと揺らぐ。
それ程動揺していた。
その姿がまた愛らしく、冬華は胸をキュンキュンさせていた。
元々、犬や猫といった動物が好きな冬華にとって、ルーイットのその動きがとても愛らしくてたまらなかった。
目を輝かせる冬華の姿にルーイットは本能的に後退りした。
「ねぇ! 触っていい?」
「はへっ? さ、触るって?」
冬華の突然の声にルーイットは表情を引きつらせる。
だが、冬華はルーイットの答えを待たず、両手をワキワキと動かし、詰め寄った。
その迫力に押され、ルーイットは更に後退り、「えっ? えっ?」と表情を引きつらせていく。
そして、冬華はついにその手を伸ばした。
「わーっ! やわらかーい!」
「わわっ! や、やめて! く、くすぐったい!」
「いやいや。よいではないか! よいではないかーっ!」
えへへ、と笑う冬華は、赤面するルーイットの紺色の獣耳を両手で触っていた。
コリコリとした手触りに冬華は「ふにゃーっ!」と声をあげ、ルーイットはそれから逃げる様に両手で耳を覆い隠し、蹲った。
そんなルーイットに冬華は不満そうに頬を膨らせる。
「あーっ! もう! 隠しちゃダメだよー! もう少し触らせてよー!」
「ダメ! 絶対に! こそばゆいし、何か、背筋がぞわぞわぁぁぁって、するから!」
「そんな事言わずにぃー!」
両耳を隠すルーイットに冬華は緩んだ顔でそう叫んだ。
こんな二人のやり取りを横目に、クリスは小さく息を吐いた。
少しだけ安堵していた。
シオとは違うが、冬華と馬が合いそうな獣魔族が暫く傍に居ると言う事が、心の底から安心できた。
これでまた、冬華が笑顔を取り戻す。
これでまた、冬華に悲しい顔をさせずに済む。
自分一人では到底冬華のこの笑顔を取り戻す事は出来なかった。
そう考えるとクリスは胸が痛い。
深く息を吐き出し、空を見上げるクリスは、静かに瞼を閉じた。
ゆっくり静かに流れる時の中、騒がしく響く冬華とルーイットの声。
その声がクリスの心を安らかにした。
「マスター! 出航準備、整いました!」
アースが声を上げる。
その声に、ジェスは腰へと右手をあて、小さく頷く。
そして、甲板を見回し、船員の顔を見据え声を上げる。
「よしっ! 出航だ!」
ジェスが声を上げると、船員達は「うおおおおっ」と地響きにも似た声を上げた。
その声に冬華は耳を塞ぎ、ルーイットも迷惑そうな表情を浮かべる。
獣魔族であるルーイットにとって、その声は相当の大きさだったのだ。
そんな二人の下へと荷積みを手伝っていたティオがよろよろと近付いた。
王国では王子と言う立場だった為、この様な仕事をした事がなかった為、腰が激しく痛んでいた。
船が船着場からゆっくりと離れ、波を受け大きく揺らぐ。
その揺れにすら耐え切れず、ティオは甲板へと横転した。
「うわっ!」
転げるティオは、そのまま壁に頭を打ちつけ、蹲った。
呆れ顔の冬華は、僅かに肩を揺らし笑い、静かに尋ねる。
「だ、大丈夫?」
「え、えぇ……だ、大丈夫……です……」
頭を押さえ蹲るティオのくぐもった声が静かに聞こえた。
その声に冬華は「そ、そっか」と答えたが、その表情は引きつっていた。
冬華達の乗る船は、鉄板で作られた魔導船。
この世界でも珍しい船で、本来は海軍などが仕様する戦艦だ。
何故、その船をジェスが所有しているのかは定かでは無い。
だが、鉄鋼船ならばそう簡単に沈没する心配も無い為、冬華達は安心だった。
「しかし……この様な鉄が水に浮くなどと、信じがたいですね」
ティオがそう呟き、手すりから身を乗り出し水面を覗き込む。
自分の国から出た事がなかった為、ティオが船に乗るのは初めてだった。
その為、水よりも重い鉄の塊が水に浮いている事が不思議でならなかった。
やや興奮気味のティオの反応に、冬華は苦笑し、右手で髪を耳へと掛ける。
「そう言えば、私も魔導船に乗るのは初めてです」
不意に思い出した様にクリスが呟いた。
「へぇーっ。そうなんだー……そんなに珍しいモノ?」
「まぁ、一般の人が所有すると言う意味では珍しいですね。普通は水軍や海軍などが所有する戦艦ですから」
クリスが腕を組み自分の知り得る知識を冬華へと伝えた。
その説明に冬華とルーイットは「ほへーっ」と理解したのかしていないのか微妙な返答をする。
妙に息が合い、同じような表情で感心する二人に、クリスは少々困った様に笑みを浮かべた。
「え、えっと……」
「て、事は、ジェスはまたやったのかな?」
冬華が眉間にシワを寄せ、顔の横で右手の人差し指を立てそう言う。
その言葉にクリスは「やった?」と小さく首を傾げる。
冬華が何を伝えたいのか分らなかったのだ。
クリスの不思議そうな表情に、冬華は眉間にシワを寄せる。
「アレ? クリス、忘れてる?」
「えっ? 何をですか?」
「ジェスが、盗賊ギルドだって事」
「…………あぁー」
冬華の言葉にやや間が空き、クリスはそう声を上げた。
完全に忘れていた。
言われてみれば、ジェスは盗賊ギルドのマスター。
そして、彼らは様々なモノを奪ってきていた。
最新式の鉄の馬車に、飛行艇。
この魔導船も恐らく盗品なのだろうと考え、クリスは目を細めため息が自然と漏れた。
「そうでしたね……。色々と助けてもらっている為、忘れていましたが……」
「へぇー……盗賊なんだ……」
二人の話を横で聞いていたルーイットがそう呟き小さく頷いた。
その言葉にクリスは苦笑する。
「言っておくが、私達は盗賊じゃないからな」
「えっ? でも、あの男と知り合いでしょ? 盗賊じゃないって……あぁー……確か、英雄だって……」
思い出したようにルーイットがそう呟き、冬華へと目を向ける。
その眼差しに冬華は照れ笑いを浮かべ、右手で頭を掻いた。
冬華のそんな姿を目の当たりにし、ルーイットはとても彼女が英雄と呼ばれる恐ろしい存在とは思えなかった。
だから、多少なりに疑いの眼差しを向け、
「本当に、英雄?」
と、確認の為にそう尋ねる。
すると、冬華は困った様に右手の人差し指で頬を掻き、
「うーん……どうなんだろ? 私は私だし、英雄だなんて自分で思った事無いし……」
と、眉を八の字に曲げ告げると、クリスが声を張った。
「冬華は異世界から呼び出された英雄です! 変な事を言わないでください!」
クリスのその声が甲板に響き、冬華は恥ずかしそうに微笑んでいた。