第159話 信じない
アレから三日ほど掛け、冬華達はついに港へと辿り着いた。
雪が降り注ぐ中に香る潮風が、冬華の髪を優しく撫で、肩口でふわりと冬華の黒髪が揺れる。
鼻腔を刺激する潮の香りに、冬華は大きく胸を張り、深呼吸を一つ。
「んんーっ! 海だーっ!」
叫び、両拳を空へと突き上げた。
つい先日の事があり、溜まっていたストレスは吹き飛んだのだろう、その声は弾んでいた。
嬉しそうな冬華のやや後方に控えるクリスは、疲れたようにと息を漏らすと肩を落とした。
そんなクリスの姿に、隣りで苦笑するティオは、「大丈夫ですか?」と小声で尋ねる。
すると、クリスは軽く右手を挙げ二度、三度と小さく頷いた。
とりあえず、大丈夫だと言う事なのだろうと、ティオは「そうですか」と苦笑し冬華の背中へと目を向けた。
ティオの声はやはり聞こえていなかったのだろう、冬華は背筋を伸ばし「んんーっ」ともう一度声を上げる。
そして、跳ねる様にクルンと振り向き、二人へと満面の笑みを向けた。
「海だよ! 海!」
声を張り上げる冬華に、クリスは苦笑いを浮かべる。
「そ、そうですね……。それより、早く宿を探しませんか? 少々疲れました……」
「うーん……」
腕を組み、右手の人差し指を唇へと添えた冬華は、右斜め上へと目を向けた。
暫しの考案の後、冬華は笑顔をクリスへと向け、
「そだね。じゃあ、宿を探そっか」
と、冬華は明るく弾んだ声で告げた。
その声にクリスは安堵した。
それだけ、クリスは疲弊していたのだ。
三人は宿を探し港町を散策していた。
予算的には大分余裕があるものの、船代の事を考えると少しは節約しなければならないと、今回は少々安上がりな宿を探していた。
港町と言うだけあり、宿の数は多い。
その為、よりよい値段の宿を探すのは一苦労だった。
町中を彷徨う中、冬華は不意に足を止める。
「冬華? どうかしましたか?」
丁度、十字路の真ん中で足を止めた冬華に、僅かに前に出たクリスが足を止め、振り向きそう尋ねた。
冬華のやや後ろを歩いていたティオは、冬華が足を止めると同時に足を止め、小さく首を傾げる。
冬華は十字路の右の方へと顔を向けていた。
その視線はジッと何かを見ていた。
その為、ティオもその方角へと目を向け、クリスも訝しげにその方角へと顔を向ける。
「離して!」
「待てって言ってるだろ!」
女性の声に続き、男の声が聞こえた。
男女間のもつれ……の様にも見える。
だが、雰囲気は明らかにそんな風ではなかった。
その為、冬華の目付きが変る。
本来なら揉め事は起こして欲しくない所だが、クリスも流石にこれは見て見ぬフリは出来ないと、腰に手をあて息を吐いた。
「行きますか?」
「うん。行こう! あの娘、完全に嫌がってるもん!」
クリスと冬華は顔を見合わせ、小さく頷く。
二人の女性に逆らう事などできず、ティオはふっと静かに息を吐き二人へと続いた。
紺色の長い髪を揺らす女性の腕を、真紅の髪の男が掴んでいた。
非常に修羅場な空気に冬華とクリスの足取りはやや速まる。
「もう! いい加減にしてよ!」
「いい加減にするのはお前だろうが!」
紺色の髪から覗く獣耳をピョコピョコ動かし、女性の方が男の掴む腕を激しく振る。
しかし、それでも男は手を離そうとせず、強い口調で更に言葉を続ける。
「助けてやったんだ! ちょっとはコッチの言う事を――」
そう言う男の腕をクリスが掴み凄む。
「止めろ! 嫌がってるだ……ろ……」
クリスの声が途切れる。
そして、冬華もその男に目を見開く。
「ジェス!」
「冬華! クリス!」
三人の声が重なる。
驚きのあまり、ジェスの手が少女の手から離れ、紺色の髪を揺らす獣魔族が本能的に冬華の背中に隠れた。
恐らく、この中で冬華が一番安全だと見抜いたのだろう。
驚くジェスに対し、蔑む眼差しを向ける冬華とクリス。
まさか、助けた事にかこつけ、女の子を宿に連れ込もうとするなんて、思ってもいなかった。
二人のあからさまな冷ややかな眼差しに、背を仰け反らせるジェスは、表情を引きつらせる。
「な、何で、お、お、お前らがここに……」
明らかな動揺が見て取れ、冬華とクリスの眼差しは一層冷ややかなモノへと変った。
動揺していると言う事が、冬華とクリスの考えを肯定していると言う表れだったからだ。
そんな二人の後にゆっくりと続いていたティオは冬華の背に隠れる紺色の髪を揺らす獣魔族の少女の姿に眉を潜めた。
その背に見覚えがあった。
だが、ここに彼女が居るわけが無い、と言う気持ちもあったため、ティオは半信半疑のまま彼女の背に声を掛ける。
「ルーイット?」
「ふぇっ!」
ティオの声に紺色の髪の獣魔族がそう声を上げる。
その声に冬華は驚き肩をビクッと跳ねさせ、振り返った。
「ど、どうかした?」
しかし、彼女が冬華の声には答えず、ティオの顔を見て驚き目を丸くしていた。
暫しの間が空き、やがて彼女はパッと表情を明るくし声を上げる。
「ティオ! ど、どど、どうしてここに?」
「いや、それは、コッチのセリフですよ?」
知り合いに会い喜びを爆発させるルーイットは、嬉しそうに紺色の獣耳をパタパタと動かし、ピョンピョンと跳ね回る。
その姿は犬の様で、冬華は妙に和んでいた。
と、同時にシオの事を思い出し、その目が僅かに悲しみに染まる。
だが、その事に気付く者は居なかった。
「それがさぁ、私、変な奴に石化させられて……それで、気付いたら変な男に宿に連れ込まれてて……」
「ジェス! お前、こんな娘を宿に連れ込んで――」
ルーイットの言葉に激昂するクリスが、ジェスへと詰め寄る。
「いや、俺が連れ込んだ――じゃなくて、持ち込んだのは、化物の石像で、朝起きたら、コイツがベッドの上に――」
「言い訳など聞かん! お前は、何て最低な……」
シドロモドロなジェスの答えに、クリスは右手で頭を抱え、大きく息を吐いた。
完全に呆れていた。
よもや、この様な事をする男とは思いたくなかったが、ルーイット自身の口から告げられた事は紛れも無い事実だろう。
その為、クリスは拳を握り締める。
「歯を食いしばれ!」
「待て待て! 落ち着け! コッチの言い分も――」
「問答無用だ!」
鈍い打撃音が響き渡り、ジェスは「ぐへっ!」と声を上げた。
痛々しい音に冬華は思わず目をそむける。
一方で、ルーイットはキョトンとした顔でその光景を見据え、小さく首を傾げていた。
しかし、すぐにルーイットはティオへと向き直り、真剣な眼差しを向けた。
「そんな事より、シャルルは? ティオがここに居るって事はあの戦いは終わったって事だよね? 他の皆はどうなったの?」
「いえ……私もあの戦いで皆さんとはぐれて……気付いた時には城だったので、何があったのかは分りません」
ティオが小さく首を振ると、ルーイットは「そっか……」と沈んだ声で呟いた。
余程シャルルの事が、他の仲間の事が気に掛かっているのだと、ティオもすぐに理解し、険しい表情で俯いた。
二人の話し声が聞こえた冬華は、複雑な心境で二人へ歩み寄り、告げる。
「さっきの話だけど……その……シャルルって人――」
冬華が真実を告げると、ルーイットの目付きが変る。
明らかな怒りの滲むその目が冬華を睨みつき、やがて胸倉を掴み怒鳴った。
「嘘よ! そんなの信じない! シャルルが! シャルルが死んだなんて! あんたみたいな誰かも分らない人の言う事なんて――」
「やめてください! ルーイット! 彼女は、英雄として呼ばれた人ですよ!」
冬華の胸倉を掴むルーイットを後ろから押さえティオがそう告げた。
その言葉にルーイットは目を見開き、やがて唇を噛み締める。
「英雄が何よ……私は信じない……シャルルが――」
ルーイットはそう呟き、涙を零した。
その泣き顔に、冬華はただ拳を握り締める事しか出来なかった。