第157話 兄弟
「なにっ! 冬華とクリスが居ない!」
朝早く、アオの声が轟いた。
その声にライは目を覚まし、眠そうに大きな欠伸を一つ。
「ふぁぁぁぁぁっ……朝から、何騒いでんだ? リーダー」
右手で眠気眼を擦るライは、部屋の中心に佇むアオへと視線を向けた。
茶色の髪をなびかせるライはそれから辺りを見回しもう一度大きな欠伸をする。
窓際に佇むコーガイは何も言わず鎧を纏い、レオナは慌てた様子で何度も頷く。
「そ、そうなの! 冬華もクリスも姿が無いのよ!」
「くーっ! あいつら……勝手に出て行きやがって!」
黒髪を掻き毟り、アオがそう叫んだ。
こうなるんじゃないかと、予期していた。
だが、まさか、あんな事件があった直後にこんな事になるとは思っていなかった。
未だ、顔の腫れの引いていないアオは、慌てて身支度を始め、レオナも我に返り身支度を開始する。
そんな中、一人眠気眼のライは右手でボサボサの頭を掻き、首を傾げた。
「何だよ……。俺、もう少し寝てたいんだけど……」
二度寝しようとベッドに倒れこむライに対し、アオは真剣な顔で告げる。
「バカ! 今すぐ冬華達を追うんだよ! 昨日、散々話したろ!」
「あぁー……どうせ、リーダーの空間転移あるんだし、焦る必要ないじゃん」
左腕を挙げ手の平をヒラヒラを揺らすライだが、アオは深くため息を吐き、右手で頭を抱える。
「お前なぁ……マーキングして無いんだぞ? どうやって冬華を追うんだよ……」
「はへっ?」
奇怪な声を上げたライは、瞬時にベッドから飛び起きると、ベッドの上に仁王立ちし、声を上げる。
「なっ、何でそれを早く言わないんだよ! 大変じゃないか! 何処のバカだ! 二度寝なんてしようとした奴は! 永眠してろってんだ!」
そう言いライはベッドから飛び降り、支度を始める。
そんなライへと鎧を着たコーガイは呆れた様な眼差しを向け、小さく首を振り息を吐いた。
慌ただしく支度をする三人に対し、静かに支度を済ませたコーガイは窓の外を眺め一息ついていた。
だが、その時、町の光景にコーガイは違和感を感じる。
早朝だが、人の動きがやたら激しい。
まるで避難させられている様に、兵に先導され、城から遠ざかっていた。
この事からコーガイは何か異変が起きていると直感し、盾を取りドアの方へと目を向ける。
直後だった。
爆音が轟きドアが吹き飛ぶ。
激しい土煙と共に、部屋へと一人の男が転がり込む。
部屋へと転がり込んできたのは、額から血を流し、赤黒い長い髪を揺らすこの国の第二王子グラドだった。
何があったのか、まとっていた鎧は砕け、その手に握る槍は刃に亀裂が生じていた。
立膝を着くグラドは、深い呼吸を繰り返し、両肩を激しく上下に揺らす。
慌ただしく支度をしていたアオ・レオナ・ライの三人の手は止まり、視線はグラドへと向く。
驚きのあまり言葉を発する事を忘れる三人に対し、グラドが声を上げる。
「お前達! 今すぐ、ここから逃げろ!」
その怒声で、三人は我に返る。
「な、何なんだ! 一体!」
アオが声をあげ、グラドを睨む。
「今、ゆっくり説明している暇は無い!」
アオの言葉にグラドはそう怒鳴り、ゆっくりと立ち上がる。
その直後、土煙の向こうに鋭い赤い眼光が輝き、雄々しい声が響く。
「この俺が、逃がすと思ってるのか?」
「――ッ!」
その声の後、息を吸う音が部屋を包んだ。
甲高い音に皆気付く。
相手が咆哮を放つつもりなのだと。
それに遅れ、グラドも息を吸う。
「コーガイ!」
アオはコーガイへと顔を向ける。
盾をその手に握るコーガイは、アオと目が合うと小さく頷き、前へと踏み出した。
「レオナ! ライ! コーガイの後ろに!」
「アオはどうする気よ!」
「俺の事は心配しなくていい!」
アオがそう怒鳴り雷撃をその身にまとう。
それが、雷火であるとすぐに気付いたレオナは心配そうにアオを見据えながら、コーガイの後ろへと隠れた。
轟々と轟く風の音にアオは表情を引き締め、静かに息を吐き右手で剣を抜いた。
見据えるのは土煙の向こうに佇む龍魔族。
そして、ゆっくりと腰を落とし、タイミングを計る。
土煙の向こうに赤い輝きが圧縮され、やがて放たれる。
“フレアブレス”
怒号と共に炎のブレスが――。
だが、それに僅かに遅れ、グラドも放つ。
“アクアブレス”
蒼い輝きと共に水のブレスが――。
二つのブレスは激しくぶつかり合い、凄まじい衝撃を広げる。
四人で使っても持て余す程の大きさの部屋は、その衝撃を受け、壁も天井も窓ガラスさえも崩壊する。
炎と水の対なるブレスがぶつかり合い、蒸気が辺りを包み込む。
激しい衝撃にやや遅れ、コーガイが盾を床に突き立て、声を上げる。
「鉄壁!」
盾が眩く輝き、襲い来る衝撃を受け止める。
更にそれに遅れ、アオは床を蹴った。
蒼い閃光がぶつかり合うブレスの合間を縫い、土煙の向こう側へとアオは飛び出す。
「雷鳴剣!」
蒼く輝く剣をアオは横一線に振り抜いた。
金属音が響き渡り、アオの表情は険しくなる。
その刃は鱗模様の浮き上がった右腕で受け止められていた。
「くっ!」
声を漏らすアオへと、その人物は切れ長の眼を向けると、口元を緩ませた。
そして、その腕を一振り。
指先から伸びた鋭利な爪が、アオの剣を弾き、火花を散らせた。
直後、爆音が轟き、二つの咆哮が相殺され、衝撃波がその場に居る全ての者を襲った。
廊下を横転するアオは、すぐに体勢を整える。
一方、部屋の中――。
激しい衝撃を間近で受けたグラドは太い柱へと背をぶつけ、ゆっくりと床へと横たわる。
水と火と言う相性では圧倒的に有利にありながらも、互角の力関係。
それ程、その男とは力量に差があった。
自分の兄であるガガリスとの差が。
吐血しながらも、グラドは体を起こすと、虚ろな眼差しを崩壊したドアの方へと向けた。
僅かに舞い上がる土煙の中、無傷で仁王立ちするガガリスの姿に、グラドは瞳孔を広げる。
(これ程まで差があるのか……)
グラドは悔しげに奥歯を噛み締めた。
衣服に付いた埃を払うガガリスは、静かに息を吐くと完全に崩壊した部屋を見回す。
「随分と派手に暴れたものだ……」
まるで他人事の様にそう述べるガガリスの背後に青白く発光するアオが姿を見せる。
だが、その直後、ガガリスは右足で床を蹴り、体を反転させ回し蹴りをアオへと放った。
後ろが見えているかの様に正確にその足がアオの側頭部を抉る角度で飛ぶ。
(くっ! コイツ!)
完全に意表を突かれたアオは、後方へと跳躍しその蹴りをかわす。
と、同時に壁へと足を着くとそのまま壁を蹴り、一直線にガガリスへと突っ込んだ。
「速いな……」
ボソリと呟いたガガリスは右足を床へとつくと、不適な笑みを浮かべ、右拳を突き上げた。
「ぐっ!」
鋭く突き上げられた拳が不気味なほどの風音が響く。
一瞬の判断でガガリスの横をすり抜けたアオは床へと落ちると、二度三度と横転し、盾を構えるコーガイの前で動きを止めた。
横たわり、胸を上下に揺らすアオの右頬に赤い筋が走ると、鮮血がジワジワと溢れ出す。
ガガリスの拳はかわしたはずだが、その風だけで頬が裂けた。
「うーん……今のは逝ったと思ったが……」
納得いかないと言う様に、ガガリスはそう呟き振り返る。
その全身から放たれる魔力の波動と静かな殺気に、誰もが息を呑んだ。
「早く! ここから逃げろ!」
グラドが叫ぶと同時に走り出す。
直後、ガガリスは右腕を突き出す。
その指先を前へと向けたまま。
衝撃が走り、次の瞬間、グラドの体が後方へと弾かれた。
「ぐかっ!」
体を弾丸が撃ちぬいたかの様に五つの穴が空き、鮮血が迸る。
「グラド!」
体を起こし、アオが叫ぶ。
「大丈夫さ。死にはしない。龍魔族は丈夫だからな」
アオの声にガガリスが答える。
その声にアオは背筋をぞっとさせ、同時に叫ぶ。
「コーガイに掴まれ!」
その合図にレオナとライはコーガイに掴まる。
そして、アオはコーガイの盾へと触れ、精神力をこれでもかと放出する。
精神力を制御している余裕など無い。
目的地を設定するだけの時間は無い。
だから、アオは念じる。
(何処でも良い! ここから遠くへ!)
眩き光が四人を包む。
「逃がすと思うのか?」
眩い光に向かい、ガガリスは右腕を振り抜く。
鋭利な爪が床を抉り光へと向かう。
だが、爪が光を切り裂く前に、眩い光は消滅し爪は壁を裂き、天井を切り崩した。
「……逃がしたか」
ボソリと呟いたガガリスに、グラドは血を吐きながら笑う。
「ざ……んね……ん……ごふっ、だ、ったな……」
「ふん。まぁ、何の支障も無い」
ガガリスはゆっくりと瓦礫を踏み締めながらグラドへと歩み寄ると、何の脈絡も無く右拳をその顔面へと振り下ろした。