第156話 こっそりと
朝方、冬華は自然と目が覚める。
まだ陽が差さぬ時間帯にも関わらず、ベッドから起き上がった冬華は大きく腕を振り上げ背筋を伸ばした。
「んんーっ!」
思わず声を上げた冬華は、ハッとし両手で口を覆った。
だが、すでに遅かったらしく、ベッドからムクッとクリスが起き上がる。
「どうかしたんですか? 冬華」
眠そうに小さく欠伸をするクリスがそう尋ねると、冬華は困った様に笑う。
「ごめん……起こしちゃった?」
「いえ……。別に構いませんが……まだ陽も昇ってませんよ?」
「うん。ちょっとね」
冬華がそう言い微笑する。
そんな冬華に違和感を感じ、ベッドから出る。
「どちらへ?」
「う、うん……」
言い淀む冬華に、クリスは深くため息を吐き、腰に手を当てた。
「おおよそ、何を考えているのかは分かってます」
「えっ?」
「一人で出て行こうとしてるんでしょ?」
「あっ……ううっ……」
クリスに自分の考えを言い当てられ、冬華は肩を落とした。
正直、クリスの言ったとおりだ。
冬華は一人でここから出て行くつもりだった。
自分と一緒にいると、皆不幸になってしまう、そう冬華は思っていた。
実際、セルフィーユは消滅し、シオは大切な人を失った。
そう考えると、やはり自分が誰かと一緒にいるべきではないと言う答えに行き着いたのだ。
そんな冬華の気持ちを悟ってか、クリスは白銀の髪を整えるとそれを頭の後ろで留め、ふっと息を吐いた。
「私も一緒に行きますよ」
「で、でも――」
冬華の言葉を、クリスは右手で制止すると、小さく首を振った。
「それ以上言わないでください。私はあなたを守ると決めたんです。今まで何も出来なかったからこそ、これからはずっとあなたの傍を離れない」
強い眼差しでそう言うクリスはその手に刃の折れた剣を転送し、左膝を床に着き誓いを立てる。
「我が命は主である冬華、あなたに捧げる。この剣は汝の為に」
胸の前に剣を構え、クリスはそう告げる。
しかし、折れた剣ではどうにもしまらず、クリスは困った様に微笑し剣を消した。
「まぁ、折れた剣じゃ台無しですけど……」
「ううん。そんな事無い……ありがとう」
涙目で冬華はそう言い、頭を下げた。
改めて思う。クリスが自分の事を慕い、信頼している事を。
肩を震わせる冬華にクリスは優しく手を掛け、小声で呟く。
「私は、決してあなたの傍からいなくなったりしませんから……」
と。
その言葉だけが、冬華を安心させ、今まで塞き止めていた涙が静かに零れ落ちた。
それから、冬華は泣き続けた。
クリスの胸に顔を埋めて。
今までどれ程の重圧を抱え込んでいたのか、クリスはようやくこの時気付いた。
そして、今まで自分の事しか考えていなかったのだと、思いクリスは奥歯を噛み締める。
もっと彼女の事を考え、もっと彼女の気持ちを分かってあげなければならない。
そう自分に言い聞かせ、改めて誓う。
“もう二度と冬華を苦しめない、冬華一人に背負わさない”
と、強く心の中で。
それから、一時間後、二人は旅の支度をし、城をコッソリと抜け出した。
まだ多くの兵が寝ている為なのか、それとも和平条約を結び気が緩んでいたのか、見回りは少なく、城を抜け出すのは容易かった。
城を抜け出し、雪の積もった静かな街道を二人は駆けた。
なるべく、人に見つからぬ様に、足音を消して。
それはまるで夜逃げをしているかの様な光景だった。
白い息を吐き出し先行するクリスは町の門の前で足を止めると、建物の影に身を隠した。
突然のクリスの行動に冬華も思わず身を隠した。
半開きの口から息を吐き出すクリスは、肩を僅かに上下に揺らし唾を呑み込む。
そして、建物の影から門を窺う。
「――っ!」
門を窺うクリスは表情を険しくする。
そこにいたのは一人の青年だった。
背中に盾を背負った龍魔族だった。
オレンジブラウンの髪の合間から覗く耳の付け根から生えた小さな角で彼が、龍魔族だとすぐに分かった。
眉間にシワを寄せるクリスに、冬華は静かに尋ねる。
「どうかした?」
冬華の問いかけに、クリスは冬華の方へと顔を向け答える。
「えぇ、龍魔族の青年が門の前に」
「門番?」
「いえ、恐らく、この国の第三王子ティオかと……」
クリスがそう言うと、冬華は眉間にシワを寄せる。
「第三王子? えっと……それって?」
冬華が首を傾げると、クリスは小さく頷く。
「確か、人間と龍魔族のハーフで、能力は三人の王子の中で最も弱いと……」
「私は、人間達の間ではその様に言われているわけですか……」
クリスの言葉に続き、建物の影から姿を見せたティオが温かみのある声でそう呟いた。
その声にクリスは肩を跳ね上げ驚き、瞬時にティオの方に体を向け、身構える。
それに遅れ、冬華もその手に槍を出し、腰を落とし槍を構えた。
二人のその行動に対し、ティオは慌てて両腕を挙げ、自分に戦意が無い事を示す。
ティオの行動に冬華とクリスは顔を見合わせ、ゆっくりと構えを解いた。
「戦意は無いって事でいいんだよね?」
「えぇ。私があなた方と戦う理由は何もありません」
冬華の問いかけに、ティオは瞬時に答えた。
穏やかな声で、物静かな表情で。
とても、嘘をついているとは思えず、冬華は小さく頷き、更に問う。
「じゃあ、あんな所で何してたの?」
冬華の問いに対し、ティオは真剣な眼差しを向け答える。
「あなた方をお待ちしていました」
「待っていた? 一体、何の理由があって?」
クリスがティオへと疑いの眼差しを向ける。
すると、ティオは右手の人差し指で頬を掻き答える。
「実は私も一緒に連れて行って欲しいのです」
「えっ? 何で?」
思わずそう口にした冬華は慌てて口を塞いだ。
王子を相手にこんな口の聞き方をしてはダメだと、思ったのだ。
そんな冬華の行動にティオは苦笑する。
「気にしないで普段どおりで構いませんよ」
「そ、そう? じゃあ、何で私達と一緒に?」
何のためらいも無くそう聞く冬華に、ティオは静かに答える。
「私は、正直、この国のあり方が間違っていると思っています。故に、もっと世界を見るべきだと思うのです」
真剣なティオの答えに、冬華はクリスへと目を向ける。
どうする、と言う意図を込めたその眼差しに、クリスは複雑そうな表情を浮かべる。
この先、戦力は欲しいが、クリス自身とすれば魔族と一緒と言うのはどうにも納得いかなかったのだ。
冬華は冬華で、これ以上不幸になる人を増やしたくない為、基本的には一緒に行くのは反対だった。
しかし、ティオは強い意志を込めた眼差しで二人を見据え、懇願する様に深く頭を下げる。
「お願いします。私はもっと知りたい! 人間と魔族が共存するべきこの世界の事を」
「私はダメとはいわないけど……」
冬華がそう呟くと、クリスも渋々、
「私も特に拒む事は無いが……」
と、呟いた。
その答えにティオは目を輝かせると、冬華の手を握った。
「ありがとうございます! 微力ながら、私もあなた方の力になりたいと思います!」
「う、うん……よ、よろしくね」
苦笑する冬華は小さく頷き、ティオを見据えていた。