第150話 和平条約
広いバルコニーの手すりに身を預けグランダース王国の王都を見据えるライは大きくため息を吐いた。
現在、アオが冬華とクリスを連れ、戦場となった場所へと出かけている為、ライ、レオナ、コーガイの三人はグランダース王国の王都にある古城で待機させられていた。
グランダースとヴェルモットの間に正式に交わされた和平条約により、現在、この国では人間が入る事をよしとしている。
その為、ライ達も城に滞在を許されているのだ。
町を真っ白に染める様に雪は降り続ける。
そんな雪の中、ライは白い息を吐き出す。
「何? ため息なんて辛気臭いわよ?」
防寒着に身を包んだレオナが、ライの背中へとそう呟いた。
長い金色の髪を頭の後ろで留め、綺麗なうなじをあらわにするレオナは、鼻頭を僅かに赤くし、目を細める。
流石に、この寒さは身に凍み、外をうろつくには厳しいものがあった。
それでも、レオナがバルコニーへと出てきたのは、ライの姿を窓から見つけたからだった。
頭の上に積もる雪を右手で払ったライは、僅かに凍った茶髪の毛先を右手で摘み、レオナの方へと体を向ける。
ライの表情は何処か浮かない様子だった。
「何か不満でも?」
肩を僅かに竦め、レオナが尋ねる。
すると、ライは一旦視線を町の方へと向けた後に、すぐにレオナに視線を戻し答える。
「やけにあっさりと和平条約が結ばれたと思ってさ」
鼻から息を吐き出しそう言うライに、レオナは腕を組み、右手を口元へと当てた。
言われてみればそうだ。
龍魔族はプライドの高い種族である。
魔族の中でも、自分達が一番優秀である最強の種族だと言う位、獣魔族、魔人族を軽視している。
そんな龍魔族が何故、こうも簡単に和平条約を了承したのか、確かに疑問だった。
考え込むレオナは、静かに口から息を吐き出し、天を仰いだ。
「ダメね。こう言う事考えるのはアオの仕事かしら?」
「まぁ……だろうね。リーダー、無駄に頭は働くから」
「無駄にって……本人聞いたらショック受けるわよ?」
レオナとライは顔を見合わせ笑った。
アレでアオは傷付き易い性格なのだ。故に、パーティーを組むライとレオナも結構気を使っているのだ。
二人の笑い声が止み、静かな時が流れる。
自然と顔は俯く。それだけ、今回の件は二人にとっても辛いものだった。
「冬華は、大丈夫だと思うか?」
不意にライが尋ねた。
その質問の意図にすぐに気付いたレオナは、一瞬悲しげな表情を浮かべた後、苦笑する。
「どうかしら? それは、私には分からないわ。正直、私と彼女のショックの度合いは違うし、彼女、殆ど面に出さないでしょ? 辛いって気持ち」
困り顔でレオナはそう言い、肩を落とす。
その答えにライも「だよな」と返答し、頭の後ろに手を組み手すりに背を仰け反らせる。
分かっているのだ。二人共。
冬華が辛いと言う気持ちを押し殺し、周りに笑顔を振りまく人物だと言う事を。
だから、彼女が今、どれだけ辛くて、どれだけのモノを抱え込んでいるのか、二人には理解出来なかった。
セルフィーユと呼ばれていた聖霊を失い、今度はシオが去った。
恐らく、冬華のショックは二人が考えるよりも大きく、その辛さは想像も出来ないだろう。
その為、ライは深く息を吐き出し、空を見上げ、レオナは何も言わず俯いた。
「強いわね。彼女」
「どうだかな」
レオナの言葉に、ライはそう答え複雑そうに表情を歪める。
ハンターとしての経験上、ライは人の感情を読み取るのは得意だった。
だからこそ、冬華の感情の複雑さを理解していた。
何を考えているのか殆ど読み取れなかった。
複雑そうな表情を浮かべるレオナは、ジト目をライへと向ける。
「どう言う意味? ハンターとしての答えを聞かせてもらおうかしら?」
レオナの強い口調に、ライはレオナの方に顔を向け、肩を竦めた。
「ハンターとして答えるなら、さっぱりだな」
「…………じゃあ、女好きの変態ライ本人からしたら?」
冷ややかな冷めた眼差しで棒読みでレオナが尋ねる。
すると、ライは腕を組み、
「そうだなぁー。女好きの変態の俺からすると……て、誰が変態だよ!」
ライが半笑いでそうツッコミを入れるが、レオナの反応は無。
辺りは静寂に包まれ、冷たい風だけが吹きぬけた。
「で、どうなの?」
静かにレオナ聞くと、ライは赤面し喉を鳴らし答える。
「まぁ、俺自身から言うと、無理してる様に見えるな。ハッキリ言って、いつ壊れてもおかしくない位、脆い状態だな」
ライはそう言い左右に頭を振った。
その言葉にレオナは腕を組み「そう……」と静かに答えた。
薄暗い王室。
キャンドルに灯された淡い炎が揺らぎ、部屋の一部を照らしていた。
金色の装飾が施された豪勢な大きなベッド、床には赤絨毯が敷かれていた。
広々とした王室で、ギィーッと椅子を前後に揺らす一人の男が居た。
長く伸びた黒髪を揺らし、耳の付け根には漆黒の長く太い角が生えていた。
閉じられた瞼がゆっくりと開かれ、切れ長の眼の奥に赤い瞳が浮かぶ。
彼が、現グランダース王国の王、龍魔族ガガリス。
プルートの息子で第一王子だった彼が、現在のグランダースをまとめあげていた。
そして、彼が即決でヴェルモット王国との和平条約を了承した。
薄らと緩む唇が僅かに開かれ白い歯が見え隠れする。
何を考えているのか、何を思っているのか読み取れぬその表情は、不気味なオーラを放っていた。
腹の上に組んだ両手がゆっくりと離れ、顔はゆっくりと部屋の固く閉ざされた扉へと向けられる。
それと同時に、部屋をノックする音が響き、静かに金具を軋ませ扉が開かれた。
「兄上。失礼する」
部屋へと足を踏み入れたのは第二王子であるグラドだった。
赤黒い長髪を揺らし、漆黒の鎧に身をまとうグラドは、槍を背負い今にも戦場へと赴こうとする格好でガガリスの前に足を進める。
ガガリスと同じく耳の付け根から漆黒の角を生やすグラドは、真剣な表情を向ける。
だが、ガガリスは表情一つ変えず、やがて不適な笑みを浮かべる。
「どうかしたのか? 怖い顔をして」
静かなガガリスの問いに、グラドは眉間にシワを寄せる。
それから、雄々しい声で静かに尋ねる。
「どう言うつもりだ」
「どう言うつもり? 一体、何の話だ?」
椅子を後ろへと傾けガガリスは冷ややかな眼差しをグラドへと向ける。
その眼差しに、グラドは額から一筋の汗を流す。
グラドはこのガガリスと言う男が苦手だった。
ハッキリ言って兄弟三人、仲が良いわけではない。
特にこのガガリスとは、グラドもその下のティオも大きな壁、いや、溝があった。
そして、このガガリスと言う男が一番人間を嫌っていたのだ。
そんな男が何故、ヴェルモット王国との和平条約を呑んだのか、グラドには分からなかった。
強い眼差しを緩める事無く、グラドは息を吐き心を沈め、もう一度口を開く。
「和平条約の件だ。一体、何を企んでいる!」
声を荒げるグラドに対し、落ち着いた口調でガガリスは答える。
「別に何も企んでなどないさ。現状を考えた結果、こうする方が良い、そう思ったからそうしたまでだ」
「何を白々しい! 貴様が人間の事を考えてこうしたと言うのか!」
グラドの声が更に強まる。
その声に対し、ガガリスは蔑む様な眼差しを向けた。
「お前、誰に向かって貴様などと、言ってるんだ? 俺は、この国の王だぞ? 兄弟とは言えその様な口の聞き方が許されると思うな」
威圧的なガガリスの声、好戦的な眼差しに、グラドは奥歯を噛み締める。
(コイツだけは……王にしてはいけなかった……)
グラドは拳を握り締め、そのまま身を翻し扉の方へと歩みを進める。
すると、ガガリスはその背に向かい尋ねる。
「何だ? 答えは聞かなくてもいいのか?」
「聞いた所で正直に答える気は無いのだろ」
扉の前で足を止めたグラドは肩越しにガガリスを睨んだ。
そんなグラドに不適に笑ったガガリスは静かに告げる。
自分が今、考えている事を。その答えを聞いたグラドは表情を険しくすると、吐き捨てる様に言い放つ。
「貴様は最低だ。父上が何故長く、王座を譲らなかったのか、今、ハッキリと分かった」
「ふっ……俺は感謝している。父を殺した奴にな」
肩を揺らし笑うガガリスに、グラドは何も言わず部屋を出ると力強く扉を閉めた。