第15話 クリスとシオ
一夜が明け、城内は騒然としていた。
牢屋は破壊され、その廊下には大きな風穴が開き、捕らえていた三人の姿は無く、兵士数名が死亡。犯人は牢屋に閉じ込めていた冬華、クリス、魔族の少年シオの三人が、脱獄する際兵士に見つかり殺害したと、町中に大々的に知らされた。
「くそっ。英雄として呼んでやったのに! あの女!」
「お、落ち着いてください!」
玉座の肘掛けを力いっぱいに叩き、立ち上がり冷めやらぬ怒りをぶつける国王ザビットは、止めに入った兵士を殴り飛ばした。
「貴様らは何をしているんだ! あの犯罪者共を捕らえろ!」
「は、はっ!」
怒気のこもった鬼気迫るザビットの顔に、兵士は思わずそう返答し、その場を逃げる様に立ち去った。苛立つザビットは、その怒りを辺りに居る者に対し、手当たり次第にぶつけていく。自分が召喚した英雄が、自分の意のままに動かず、しまいには牢屋から脱走。これでは、英雄所かただの犯罪者だった。それが、更にザビットの怒りを増幅させる。
「くそっ! 奴らを早く探し出せ!」
その後もザビットの怒りの声が響き渡った。
場所は変わり。
イリーナ城からやや離れた森の中。大きな人工的に作られた洞窟の先に冬華とクリスは居た。下水道は入り組んでおり、冬華とクリスの二人が辿り着いた出口はここだった。
人目に付かぬ様に森の中に隠してあるのだろう。しかも、出口の前には大きな滝があり、正面からは見えない様になっていた。小さいながらも泉があり、そこで冬華とクリスは体に付いた臭いを洗い流し、今はセルフィーユとシオが来るのを待っている所だった。
「…………来ないね」
膝を抱え滝つぼを見据えながら冬華がクリスに尋ねる。相変わらず両腕には錠の付いたクリスは、両肩を落としうな垂れたまま、冬華の方へを顔を向けた。
「申し訳ありません……私が、こんな状況なばかりに……」
「い、いいって。気にしないでよ」
クリスのあまりの落ち込み様に、思わず苦笑した。昨夜、下水道を抜けてから、クリスは終始こんな状態だった。体を洗い流すのも、冬華の手を借り、食べるものも殆ど冬華が探してきていたからだ。何度か腕の錠を破壊しようと試みたが、今のクリスの力ではどうやっても破壊する事が出来なかった。
その為、自分でしなきゃいけない事も、冬華の手を借りてしまいこんな状況になっているのだ。
落ち込むクリスを見ていられず、滝の方をジッと見据える。無事にセルフィーユ達がここに来る事を願いながら。しかし、どれだけ待っても二人が来る様子は無かった。
次第に陽は傾き始め、空気は冷たく変わる。森の木々は冷たい風に煽られ、葉を揺らし、静かな森に木々のざわめきが混ざり始めた。そろそろ、焚き火の準備をしなければならない。流石にこの辺は夜になると危険で、焚き火をしないとすぐ獣に囲まれてしまう。昨夜は何とか焚き火をしなくても切り抜けられたが、流石に二日連続で大丈夫とは限らない。その為、冬華は渋々焚き木を集める為に立ち上がった。
「冬華様? どうなさいました?」
「んっ? いや、夜は冷えてくるし、この辺獣も居るみたいだから、焚き火の準備しようと思って」
「それじゃあ、私も一緒に――」
クリスがそう言い掛け、鋭い眼差しを滝の向こうへと向けた。それに遅れ、冬華も滝の方から何か気配を感じ、そっちに目を向ける。
「下がってください」
クリスが立ち上がり、冬華の前へと出る。今の状況で戦う事など出来ないが、それでも冬華の盾にはなれると言う判断だった。だが、その判断を冬華は許さない。すぐに、クリスの前へと出ると、腕を伸ばし動きを止める。
「下がるのはクリスよ!」
「しかし!」
クリスの抗議の声を聞こうとせず、身構えたまま冬華は滝の先を見据える。自分のふがいなさに唇をかみ締めるクリスは、拳を握り震わせ、その腕に付いた錠を睨んだ。この錠さえなければと――。
滝の音と木々の音だけが周囲を包む事数十秒。滝の向こうから可愛らしい女の声が微かに聞こえる。
『……さまー』
「ふぇっ?」
微かに聞こえたその声に、冬華が奇妙な声を上げると同時だった。滝の向こうから半透明の体のセルフィーユが飛び出す。滝をすり抜けて、冬華の元へと涙を流しながら。
『とーか様! わ、私、あの人嫌いです!』
セルフィーユが滝の向こうを指差しながらそう叫ぶと、滝からシオが飛び出す。飛沫が上がり、シオの体は泉へと落下する。大きな水音を奏で、大量の水飛沫をあげると、「気持ちいい!」とシオの幼さの残った声が響いた。
泉の中で楽しげに笑うシオ。血のこびり付いた金色の髪が水を吸い額に張り付き、体に付いた凝血した染みがシオの周りの水を赤く染める。だが、シオはそんな事気にせず、服を脱ぎ上半身だけ裸になると、ボロボロの衣服で体をこすり始めた。
「きゃーっ! な、何してんのよ!」
「何って、体に付いた血を落としてるんだよ。見て分かんだろ?」
悲鳴を上げ、背を向けた冬華に、さも当たり前と言わんばかりにそう告げたシオは、息を吸うと泉の中に頭を突っ込む。髪に付いた血も洗い流したかったが、凝血した血は中々落ちなかった。
数十分間、ボロボロの衣服を垢すり代わりにし、体を洗ったシオは、重々しい足取りで陸へとあがり、手に持った服を絞る。
「はふぅ……まだ、少し血が残ってるなぁ……」
前髪を指先で弄りながらそう呟くシオは、水気を切ったボロボロの服を着なおす。
「ちょ、ちょっと! あ、あ、あんた、そ、それ着るの!」
「えっ? いや、これしか服無いからな」
「き、汚いでしょ!」
「じゃあ、オイラに裸で居ろって言うのか?」
「そ、そうじゃないけど……」
赤面しながら、視線を何処に向けていいか分からずキョロキョロする冬華に、シオは腰に手を当てながら、「なら、お前の服を貸してくれるのか?」と、ぶっきら棒に言うと、「ダメに決まってるでしょ!」と冬華が両腕を振り上げながら怒鳴った。
そんなやり取りがやや続き、結局シオは今のボロボロの服を着る事になった。
「よし。行くぞ?」
「ああ。準備は出来てる」
シオの声に、クリスが静かに答えた。両腕を前へと突き出し、錠をシオの方へと向ける。だが、一切、シオの顔を見ようとせず、クリスはただ俯くばかりだった。まだ、魔族であるシオを信用できないのだ。だから、本当はシオの手など借りたくはなかった。それでも、冬華の足手まといになるよりはましだと、決意しシオに懇願した。
「この錠を破壊してくれ」
と。もちろん、シオはその言葉に笑顔で快諾し、現状に至っている。振り上げた右拳。僅かにやけどの痕が残る右拳が、勢い良く振り下ろされ、綺麗な金属音が周囲に流れた。錠は真っ二つに砕かれ、クリスの両腕からスルリと抜けると、地面に落下し重々しい音を響かせる。
感覚を確かめる様に両手首をクルクルと回し、拳を握っては開く。そして、その手に一対の剣を何処からとも無く出現させると、右手に握った方の剣の切っ先をシオへと向けた。
「クリス!」
『クリス様!』
冬華とセルフィーユがほぼ同時に叫ぶと、クリスは静かに息を吐きながら、一度瞼を閉じ、ゆっくりと開いた。
「すみません。冬華様。ですが、私は――」
「別に信用しなくてもいいさ。オイラだって、人間を信用しているわけじゃない。ただ、約束だけは守ってもらう。その後だったら、オイラを煮るなり焼くなりすればいい。だが、今は……」
刃を向けるクリスに、シオは静かに深々と頭を下げた。その光景に、クリスは表情をしかめ、奥歯を噛み締めゆっくりと剣を下ろした。深々と頭を下げるシオの姿に、クリスは先程の自分の姿を映し見た気がした。そして、自分を快く助けた者に対し、何て卑怯な事をしているんだと、情けなくなり、静かに両手に出した剣を納めた。