第149話 ヴェリリースの予言
冬華は呆然と辺りを見渡していた。
そこは、あの戦場となった雪原だった。
木々は燃え黒ずみだけが残り、大きく陥没した地面には雪がすでに積もっていた。
冬華が以前目にした光景とは大きく異なった光景に、あの後に起こった戦いの激しさを理解する。
「どうだ? 凄いもんだろ?」
冬華の右斜め後ろで腕を組むアオがそう呟いた。
アオの短い黒髪が冷たい風で僅かに揺れ、痛々しく包帯の巻かれた体を小刻みに震わせる。
厚手のコートを身にまとっているが、それでもこの日は寒かった。
あの日から、ここフィンク大陸にはずっと雪が降り続けていた。
いや、常に雪が降り続けるフィンク大陸にとって、それは普通のことだった。
だが、異常なのはその気温だった。足元には冷気が漂い、寒さはいつもの二倍、三倍程厳しいものだった。
そして、この場所に残る凍りついた炎。それが、不気味に冬華には見えた。
立ち尽くす冬華を後ろから眺めるクリスは、腕を組み白銀の髪を揺らし白い息を吐いた。
「冬華。どうかしましたか?」
何も言わずに立ち尽くす冬華に、クリスがそう尋ねる。
すると、冬華は静かに視線を落とすとゆっくりとクリスの方に振り向いた。
「ううん。別に……特別何かあるってわけじゃないけど……」
苦笑する冬華がそう言うと、クリスは眉間にシワを寄せる。
身を震わせるアオは、両手に息を吹きかけ擦り合わせ、ジト目を二人へと向けた。
「それより、ここに来たかった理由は何だ? 目的があるんだろ?」
「えっ? ああ……うん。クマちゃんを直してあげたかったんだけど……」
「クマ? あぁ……あのぬいぐるみかー……。てか、まさかあの中に冬華が入ってたなんて、驚きだな」
アオはそう言いバカみたく大げさに笑い声をあげた。
そんなアオに引きつった笑みを浮かべる冬華は右肩を落とし小さく息を漏らす。
一方でクリスは冷ややかな眼差しを向け、
「気持ち悪い。今すぐ黙ってくれ」
と、言い放った。
刃物の様に鋭いクリスの言葉に、一瞬にしてアオの笑顔は凍りついた。
冷めたクリスの眼差しにアオは押し黙り両肩を落とす。
そんなアオを哀れに思いながら、冬華は苦笑する。
瞼を閉じたクリスは深く息を吐くと、冬華にその視線を向けた。
「それより、どうして冬華はクマの中に?」
「えっ? あぁ……うん。実は……」
冬華はヴェリリースに初めて会った時の事をクリスへと話した。
治療の為に催眠を掛けられた事、その後身を守る為にクマの中に入れられた事などを話した。
少々複雑そうな表情を浮かべるクリスは目を細める。
「しかし、予言の魔女と言われていたヴェリリースが予言を外すとは……」
「エッ? 予言?」
クリスの言葉に冬華は小首を傾げる。
すると、クリスは小さく頷き、腕を組んだ。
「あの時、集まった中で、誰かが死ぬと言う話をしていたので、テッキリ、冬華の事かと……」
クリスがそう言い、渋い表情を浮かべる。
その言葉に冬華は眉間にシワを寄せ、俯いた。
何となく、その予言の意味を冬華は分かった気がする。
あの場所に居たのは、冬華、クリス、シオ――そして、ヴェリリースとデュークの五人。
恐らくヴェリリースが予言した、この中の誰かが死ぬ、と言うのは冬華達三人では無く、ヴェリリース本人を指していたのではないかと。
その為、冬華は言い辛そうにクリスへと告げた。
「それって、外したわけじゃないよ」
俯く冬華の言葉に、クリスは訝しげな表情を浮かべる。
「いえ、ですが……実際、私もシオも、冬華も生きてますし……」
「冬華が言いたいのは、その場に居たのは自分達だけじゃないって事だろ?」
背を丸めるアオが、悲しげな表情でそう呟いた。
アオも冬華と同じ答えに行き着いたのだ。
そんなアオの言葉にクリスは首を傾げ、真剣な眼差しをアオへと向ける。
「どう言う事だ?」
「その場に居たんだろ? その予言の魔女、ヴェリリースも」
クリスの言葉に、アオは静かにそう答えた。
低く感情を押し殺した様なアオの声に、クリスは眉間にシワを寄せる。
だが、すぐにその言葉の意味を理解し、目を見開き冬華へと目を向けた。
クリスの眼差しに冬華は静かに頷く。
「恐らく、ヴェリリースは自分の事を指してたんだと思う」
「でも、それなら、ワザワザ私達にその予言を言う事なんて――」
「多分、自分に言い聞かせてたんだと思う。未来は変えられるって」
冬華が悲しげな表情でそう呟いた。
今に思えばそうだったのかも知れない、そうクリスは思う。
あの時、ヴェリリースはどこか悲しげな目をしていた、そんな風に見えた。
だが、どれだけ自分に言い聞かせても、結局彼女は死んでしまった。
自分が予期した未来通りに。
最強と呼ばれた魔女、ヴェリリースをもってしても、未来を変えると言う事は困難な事なのだと、改めて気付かされた。
三人の間に沈黙が漂う。
何も言えず、ただ時だけが流れ、三人は白い息を口から吐いた。
そして、アオが腰に手をあて背筋を伸ばし、沈黙を破る。
「まぁ、深く考えても仕方ないさ。それに、覚悟してたんだろう? ヴェリリースも」
「そうかもしれないな……」
クリスは呟き腕を組んだままため息を吐いた。
「じゃあ、戻ろっか?」
その場の空気を変えようと、冬華はこれでもか、と明るく声を上げる。
すると、アオは訝しげな表情を浮かべ、
「あぁ? お前、何か目的があってここに来たんじゃないのか?」
「えっ? あぁ……うん。ちょっと、見覚えのある顔の人が居たから、ここに来たら会えるかな? って、思っただけ。
それに、あの後どうなったのかって言うのも、気になったから……」
苦笑する冬華は、思い出す。
あの時、あの場所に居た一人の少年を。
顔を思い出すと、激しい頭痛が襲い思わず表情を歪めそうになるが、それを堪え、冬華はただ微笑し続けた。
「ふーん。まぁ、それならいいんだが……」
少々疑念を抱きながらもアオは小さく頷く。
とりあえず、アオもこの寒空の下で留まっているのは厳しいと思い、早く町に戻りたいと思っていた。
その為、その疑念を追求する事無く、手を差し出した。
「じゃあ、飛ぶか」
「うん。寒しね」
冬華は差し出されたアオの手を握り、反対の手をクリスへと差し出す。
「しかし、便利だな。空間転移と言うのは……」
組んでいた腕を解き、クリスは差し出された冬華の手を握り締める。
苦笑するアオは、僅かに肩を竦める。
「言うほど便利じゃないさ。ハッキリ言って、俺のは消耗が激しいまがい物みたいなモノだからな」
自嘲気味なアオの発言に、冬華は首を傾げる。
「そんな事無いと思うけど……」
「いや……アイツの空間移動をみると、俺の力なんて所詮たかが知れてるって事さ」
空間を裂き、自由に移動するケリオスとの戦いを思い出し、いつに無くシリアスなムードを漂わせるアオに、冬華とクリスは顔を見合わせた。
冬華はケリオスの事をよく知らないし、クリスにしては彼の戦い方を知らない。
その為、何故、こんなにもアオが落ち込んでいるのかさっぱり分からなかった。
「まぁ、戦闘じゃ使えないけど、移動するには便利だろうな」
「さっきからそう言ってるだろ?」
アオの言葉にクリスは目を細め、不快そうにそう言い放った。
そのクリスの言葉に、冬華は苦笑し、アオは吐息を漏らし精神力を練り込んだ。
「じゃあ、目的地は――」
「グランダース王国、王都!」
冬華がそう高らかに宣言し、やがて三人の体は光に包まれる。
そして、一瞬の後に姿を消すと、その場には冷たい風だけが吹きぬけた。