第141話 ケリオスの能力
雪原の中、倒れるシオの姿があった。
雪が抉れ、茶色の土が一本の線となり浮き上がっていた。
木々の破片が散乱し、雪は深く積もっている。
ピクリともしないシオだが、やがてその金色の獣耳がピクッと動いた。
瞼が震えながら開かれ、赤い瞳が辺りを見回すように動く。
暴走していたはずだが、その頭はスッキリとし、平常心で自我を取り戻していた。
それでも、獣化の状態は解けておらず、自分の体が、自分のモノでは無い、そんな感覚を感じていた。
「これが……獣化……なのか……」
初めての感覚にそう呟いたシオは、ゆっくりと体を起こした。
だが、その瞬間、体が傾き、膝へと手を落とす。
「ぐっ……」
眩暈が体を襲い視点が揺らぐ。
ケルベロスの一撃が、体の芯にまで届いていた。
獣化しているのに、この状態。恐らくケルベロスに殴れた影響だろう。
それ程、魔力を解放したケルベロスは強力な力を出していた事になる。
深く息を吐き出すシオは、肩を大きく揺らし目を細めた。
「くっそ……アイツめ……」
ケルベロスの事を思い出す。
いつもそうだった。何をやってもケルベロスには勝てない。
獣化しても尚、互角。だからこそ、シオはケルベロスを認めていた。同志として。
それなのに、どうして……。そう思うと、キリギリと奥歯を噛み締め、やがて遠吠えを吐く様に声を荒げる。
“ぐおおおおおっ”
と。その声は、森中に響き渡り、やがて消えていく。
静まり返ると、シオはゆっくりと歩き出した。
目的はシャルル。彼女をその腕で抱き上げ、その亡骸を持ち帰る。
弔ってやらなければならない。そう思ったのだ。
ふら付きながら一歩、また一歩と足を進めるシオの口からは、大量の白い息が吐き出されていた。
場所は変り、ケリオスと対峙するアオ。
その剣で弾丸を凌ぐのも流石に厳しくなっていた。
額から汗を滲ませるアオは、眉間へとシワを寄せる。
弾丸が頬をかすめ、血が滲む。流石に雷火を使っても反応出来ない程、体力を消耗していた。
「そろそろ、限界みたいですね」
穏やかな笑みを浮かべるケリオスがそう告げると、アオの視界から姿を消した。
その瞬間、アオは叫ぶ。
「ライ!」
「オーケー。分かってるよ。リーダー」
アオの声に、茶色の髪を爽やかに揺らすライがそう返答し、空を見上げゆっくりと半開きの口から息を吐き出した。
瞼を閉じ、意識を集中するライは、やがて静かに瞼を開く。
(神の眼!)
精神力を目へと集中したライは、目を見開き血走らせる。
「リーダー! 十時の方角!」
「分かった」
ライの指示で、アオは体を十時の方角へと向ける。
その瞬間に発砲音。そして、弾丸はライの言うとおりの場所から直進し、アオはそれを軽々と剣で切り落とした。
ライのその指示に、ケリオスは違和感を覚える。
完全に姿を消しているはずなのに、まるで自分の姿を捉えられている。そんな感覚だった。
だが、ケリオスのその考えは強ち間違いではない。
今、ライの目には、上空から見下ろしている様にその場一帯の光景が映っていた。これも、一流のハンターとして培ったライの武器の一つだ。
もちろん、目を酷使する為、普段――と、言うより殆ど使う事の無い能力だが、今回はこの能力が必要だとアオが判断した。
それにより、ライの目にはハッキリとケリオスの姿が映っていた。
「次、一時の方角!」
「ああ」
銃声が轟き、また澄んだ音が響いた。
僅かに火花が散る。
ライの指示の正確さ、アオの動きにケリオスは確信する。
「どうやら、あなたより先に、あっちを殺すべきですね」
ケリオスの声が響き、その銃口がライへと向く。
引き金へと掛かった指に力を込めるその瞬間、アオは叫ぶ。
「コーガイ!」
その声とほぼ同時に銃声が轟いた。
大気を貫く螺旋を描く弾丸は、真っ直ぐにライへと直進する。
だが、あと少しと言う所で、弾丸は火花を散らせ砕け散った。
響き渡るのは甲高い金属音。
そして、佇むの鉄の鎧に身を包むコーガイだった。
その手に持った大きな盾の中心に僅かな白煙が上がり、弾丸が衝突した跡が微かに残っていた。
厳つい表情でそこに佇むコーガイは、茶色の瞳をケリオスへと向ける。
「頼むぜ、コーガイ」
ライがそう言うとコーガイは静かに頷いた。
一方で、表情を歪めるのはケリオス。一筋縄では行かないと核心し、その視線をゆっくりとアオへと戻す。
そんなケリオスへと微笑するアオは誇らしげに告げる。
「どうだ? 俺のパーティーは?」
「えぇ……正直驚いてます。ここまでとは……」
ケリオスが肩を竦め、そう告げた。
正直な感想だった。アオの偽者と対峙した際には感じない強者の空気を、明らかに感じさせていた。
静けさが漂う中で、ケリオスは静かに息を吐き、銃口をアオへと向ける。
「どうやら、本気で行くべきですね」
「また、消える気か?」
アオのその言葉に、ケリオスの眉がピクリと動いた。
その表情、その言葉尻の強さに、ケリオスは悟る。アオが自分の秘密をすでに理解していると。
「どうした? 消えないのか?」
力強いその声に、ケリオスはふっと息を漏らし苦笑する。
「どうやら、タネは分かってる様ですね?」
「ああ。当然だろ? ウチには優秀なブレーンがいるからな」
アオの言葉に、ケリオスは頷き、「そうみたいですね」と答えた。
そして、肘まで覆う手甲を纏った左手で、頬を掻き困った表情を見せる。
「お前が、何で静かなる殺人鬼、影が薄いなんて言われてるのか、そう考えた時に、この答えに結びついたらしい」
「そうですか……これまた、随分と頭の切れる方ですね」
「まぁ、その前に、白銀の騎士団の異名持ちの異名を見て、ここに辿り着いた様だがな」
アオが肩を竦め、更に言葉を続ける。
「爆拳、龍殺し、不死身、断絶、魔導の貴公子。これらは、ソイツらの特徴、能力を指し示してる。
だが、お前の異名だけおかしいだろ? 静かなる殺人鬼って」
「そうですか? 私は結構気に入ってるんですけど?」
穏やかに微笑むケリオスに、アオは首を振る。
「お前が気に入ってるかどうかはしらねぇーよ。ただ、言える事は、お前の能力だけ不透明過ぎるんだよ。
存在が薄い? それだけの人間が、空間を裂く程の力を持つ奴、両腕魔導義手の奴、ましてや不死身と言われる奴らの中に入られるわけがねぇー。
そもそも、そんな脆弱な能力の奴に、龍魔族が何十人も殺されたりしねぇ。幾ら暗殺に向いている能力だとしてもな」
アオの目は完全にケリオスを捉えていた。
その眼差しにケリオスは諦めた様にゆっくりと銃を下すと、肩の力を抜いた。
そんなケリオスにアオは言葉を続ける。
「お前の能力、それは――他の五人の異名持ちの能力全てだ」
アオの宣言にケリオスは瞼を閉じた。
信じがたい事だが、これが、アオ達が導き出したケリオスの能力だった。
不死身で空間を裂く事が出来る。しかも、その左手が義手である事、龍を殺す力も持ち、爆拳も使用できる。
いわば、化物の様な存在。
故に、アオは警戒していた。いつ、その力を発動するのかと。
「凄いですね。確かに、私は全ての能力が使えます。この左手も義手です。でも、そう見えない様に偽装していたんですけどね」
「その左手が龍殺しの武器であり、爆拳を放つ為の拳でもあるんだろ?」
アオがそう言うと、穏やかに微笑するケリオスは小さく頷いた。
「はい。そうですよ。あと、空間を裂くのもこの左手ですよ」
そう言い放ち、ケリオスは左腕を静かに振った。
「――ッ!」
驚くアオの目の前で、ケリオスは姿を消した。
いや、姿を消したのではない。空間を裂き、その中に姿を隠したのだ。
一気にその場の空気は張り詰め、緊張感が漂う。
辺りを見回すアオは息を呑み、その額から静かに汗を零した。剣を握る手には汗が滲み、静寂がアオには恐ろしく感じた。
(何処から来る……)
「リーダー! 後ろ!」
ライの叫ぶ声。すでにアオの背後には空間の裂け目が生まれていた。
雷火により素早く反応を示すアオが振り返った直後、銃声が轟き空間の裂け目から弾丸が飛び出す。
「くっ!」
素早くアオは剣を横一線に振り抜いた。火花が散り、弾丸は真っ二つ。だが、直後、背後で気配を感じる。
「――遅いね」
囁く様なケリオスの声に、アオは瞳孔を広げる。
同じくライも。
(嘘だろ! 今、何処から――)
驚愕し、ようやくその視界にケリオスの姿を捉えた。