第136話 実験生物
地上が揺らぎ、爆音が響き渡る。
それは突然の事だった。
「な、何だ!」
アオは声を上げ、窓の外へと目を向ける。
“グオオオオオオッ!”
雄々しく禍々しい雄たけびが町中へと轟き、窓ガラスが激しく揺らぐ。
ヴェルモット王国王都の中心。そこから激しく土煙が舞い上がり、空には奇妙な大型の影が僅かに見えた。
大きな翼をはためかせ、空を舞うその生物がドラゴンであると気付いたのはそのドラゴンがギルド会館の上空を飛び去った後だった。
「な、何で、ど、ドラゴンがこんな所に……」
驚くライが、窓から身を乗り出しドラゴンの飛んで行った先へと目を向ける。
誰もが驚き、疑念を抱く中で、シオ一人だけが険しい表情を浮かべ、同時にギルド会館を飛び出すように走り出した。
突然のシオの行動に、アオもライも、レオナもただ目を丸くする。
しかし、外へと飛び出したシオはすぐに横転し、積雪の中へと顔を埋めた。
「シオ! 大丈夫か!」
窓から身を乗り出していたライがそのまま、外へと飛び出しシオの下へと駆け寄る。
静かに降り注ぐ雪が、ライの茶色の髪を湿らせ、やがて寒さで薄らと凍りついた。
それ程、町中の気温が下がりつつあった。
この現象に違和感を覚えるアオは、腕を組み右手を口元へと当てる。この国で何が起きているのか、冷静に考えていた。
うつ伏せに倒れるシオの体をライは抱き起こした。金色の髪には大量の雪が付着し、鼻は赤く染まっていた。その目に浮かぶ涙がこぼれたのか、目元には氷の粒が幾つか煌く。
悔しげに唇を噛み締め、ただ涙を堪えるように俯いたシオに、ライは眉をひそめた。
「まさか、知ってる奴か?」
「ああ……核心は無いが、恐らく……」
奥歯を噛み締めシオがそう呟くと、ライは渋い表情で空を見据える。もうドラゴンの影は見えなくなっていた。
訝しげな表情を浮かべていると、アオが窓を越え二人の下へとやってきた。
「今のドラゴンが何なのか分かってるのか?」
「リーダー。シオの知り合いみたいだ」
「シオの知り合い? て、事は、猿が言ってた実験生物にされた龍魔族の少女が……」
アオが険しい表情でそう言うと、シオが目を見開く。
「待て! 何だよ! 実験生物って! 何で、シャルルがそんな事――」
シオが立ち上がり、アオの胸倉を掴んだ。
そんなシオを慌てて後ろから押さえるライは、声をあげる。
「落ち着け! 俺らもその事は詳しく分からないんだ」
ライのその言葉にシオは唇を噛み締めた。
俯くシオの金色の髪が、冷たい風で揺れる。
そんなシオを見据えるアオは、深く息を吐き肩の力を抜いた。
「あの方角はグランダースとの国境の方角だ。もしかすると、戦場に向かったのかも知れない」
「戦場? な、何で、シャルルがそんな場所に……」
「誰かに呼ばれた、あるいは、そこでする事がある……とか?」
ライがシオから手を離しそう呟くと、シオは不思議そうな表情で尋ねる。
「何だよ? する事って」
「俺が知るわけないだろ?」
シオの眼差しにライは慌てて両腕を振りそう答えた。
暫しの間が空き、腕を組んだアオが静かに息を吐き出す。
「とりあえず、戦場に言ってみるか? もし、アレがシオの知り合いだとして、戦場に向かったなら、きっと会えるはずだ」
アオの言葉にシオとライは目を輝かせる。
「そうか! お前、転移魔法が使えるんだったな!」
「流石リーダー!」
と、その瞬間、アオの後頭部をレオナがハリセンで勢い良く叩いた。
スパンッといい音を立てたハリセンは、ライの顔の横を通過する。その際に起きた風で、ライの茶色の髪が揺れた。
その鋭い風で、ハリセンの威力が分かり、ライは表情を引きつらせる。
後頭部を押さえ蹲るアオは、涙を目に浮かべ顔を上げた。
「な、何すんだ!」
「何すんだじゃないでしょ! 大体、私とコーガイの意見はどうするのよ! 私達は四人一組のパーティーでしょ!」
レオナがそう声をあげると、アオは「わ、悪かったって」と、涙声で呟く。
アオのパーティーは、アオがリーダーと言う事になっているが、実質物事を決定するのは多数決によって決まる。
故に個人行動は出来ない様になっているのだ。
呆れた様に目を細めるシオは、隣りのライへと顔を向ける。
「怖いな。相変わらず」
「ああ……実質、俺らのパーティーの決定権はレオナが握ってる様なもんなだから」
「何? 何か言った?」
レオナが満面の笑みをライとシオへと向け、ハリセンで軽く手を叩く。
その威圧的な空気にシオもライも苦笑する。
「な、何にも言ってないよ。な?」
「あ、ああ。ライがレオナが権力を握ってるなんて全然言ってないぞ!」
「お、おい! てめ――ふがっ!」
スパンッといい音が響き、ライの顔面をハリセンが打ち抜いた。
鼻頭を見事に捉え、ライは鼻を押さえ雪の上をのた打ち回る。
その様子に表情を引きつらせるシオは、恐る恐るレオナへと視線を向けた。
「覚悟はいい?」
「や、やっぱり、オイラも……」
「当然でしょ!」
スパンッとまたいい音が響く。
今度はシオの横っ面をハリセンがぶったたき、シオは頬を押さえ蹲った。
シオが漫談の様な事をしている頃――戦場。
謎の男と対峙するクリスは、呼吸を大きく乱していた。
怒りにより発動した大技により、大量に精神力を消費してしまったのだ。
意識がモウロウとする中で、目の前の男を睨みつける。
クリスのもてる最大の技を使ったにも関わらず、その男は立っていた。
ボロボロになりながらも、そこに。
息を呑み込み、その手に握った大刀を持ち上げる。
陥没した地面に刻まれた大刀による斬撃の跡に、パラパラと瓦礫が僅かにこぼれた。
一方で、男も大分息が乱れていた。
衣服は裂け、その体には無数の傷が刻まれ、血が流れ出している。
盾を持っていた左腕は火傷を負い皮膚が痛々しくただれていた。
それでも、表情を僅かに歪めただけで、静かに剣を構えなおす。
「はぁ……はぁ……」
大きく肩を上下に揺らす男の姿に、クリスはよろめき右目を閉じた。
膝が小刻みに震える。精神力の消費による体力の消耗が体に現れ始めていた。
「ぜぇ……ぜぇ……」
体が倒れそうになるのを必死に堪えるクリスは、遂にその手に握っていた大刀を地面へと落とした。
重量のある重々しい音が響き渡り、土埃が僅かに舞い上がる。
静寂を切り裂いたその音に、男は安堵したように顎を上げた。
と、同時に、その腕がうな垂れたように落ち、その手から盾と剣が落ちる。
彼も限界だったのだ。
両者共に、残り僅かな体力、精神力、魔力の中で、意識だけを保ち、その場に佇んでいた。
そんな折だった。しゃがれた男の声が響いたのは。
「どうやら、共倒れの様だな」
男の背後に現れる黒い影に、クリスの表情が険しくなった。
そして、男もその声の主に気付き、奥歯を噛み締め、振り返る。
「ヴァルガ!」
男が声を振り絞り、そう叫ぶと同時に、ヴァルガは振り上げた大剣を一直線に振り下ろした。
男の右肩から入った刃が、左脇腹へと抜ける。
深く刻まれた傷から鮮血が迸り、男の体は先ほどの爆発で出来た穴へと投げ出された。
二度、三度、と何度も地面を転げ、血を地表に残し男は穴の底にうつ伏せに倒れ動かなくなった。
みるみる内に男の体を覆うように血が広がり、静かな時だけが流れる。
呆然と立ち尽くすクリスは、目の前の光景に力尽きたように膝を落とした。
うな垂れ、動かないクリス。プツリと途切れた精神力と体力。
もう動く事も出来ず、ゆっくりと瞼を閉じた。
高笑いだけが耳に届き、悔しさに涙が頬を伝う。
そして、クリスの体は倒れ行く。限界を向かえて――。