第135話 ヴェルモット王国で起きている事
シオは静かに目を覚ます。
場所はヴェルモット王国王都の外れ、古びた元・ギルド会館の一室。
硬く寝心地の悪いベッドが軋み、シオはゆっくりと体を起こした。
自らの右手を見据え、それから治療を施された体へと触れる。
僅かに血の滲む包帯に触れると、多少なりの痛みが体を駆けた。
奥歯を噛み締め、表情を歪めるシオは、左手で頭を押さえると記憶を辿る。
何故、自分がこんな所に寝ているのか、どうして治療されているのか、分からない。
ただ、覚えている事は、あの時アオにやられたと、言う事だった。
唇を噛み締めるシオは、悔しげに頭を押さえた左手を握り締め、俯く。
と、その時、金色の髪に隠れた獣耳がピクッと動き、シオの顔があがった。床が軋む僅かな足音が聞こえたのだ。
痛む体にムチを打ち、ベッドから立ち上がるシオは精神力を左膝へと集める。
膝の痛みが抜け、一気に臨戦体勢を取るシオの金色の髪が逆立つ。
足音が部屋の前で止まり、緊迫した空気が部屋の中に漂う。
額からこぼれた汗が、静かにシオの握り締めた拳の甲へと落ちた。
(誰だ……誰が……)
緊張が走る中、ドアの金具が軋み開かれる。
と、同時にシオが床を蹴った。先手必勝だと、左足を踏み込み右拳を振り上げる。
その瞬間、扉の向こうに現れた鋼の鎧をまとうフル装備の男が、その手に持った大きな盾をシオへと向けた。
「……鉄壁」
静かな渋い声が響き、盾が輝く。
それが、危険だとすぐにシオも気付くが、すでに勢いは止まらず、そのまま拳を盾へと突き立てた。
その瞬間、衝撃がシオの体へと跳ね返り、そのまま床を転げる。
「うぐっ!」
横転したシオは、その背をベッドへとぶつけ表情を歪めた。
すると、その鎧をまとう男の後ろからひょこっと顔を出した大人びた顔の女性が、呆れた様な眼差しをシオへと向ける。
「久しぶりに会うって言うのに、いきなりね。ホント」
その大人びた口調、大人びた声に、シオは驚き目を見開く。
「お、お前! レオナ! て、事は、ソイツはコーガイか!」
声をあげると、鎧をフル装備したコーガイはレオナへと顔を向け、小さく頷くとそのまま部屋を後にする。
わけが分からず困惑するシオだが、すぐにアオの事を思い出し声を荒げる。
「て、てめぇら! さっきはよくも――」
「なに? 治療したのがいけなかったの?」
「はぁ? 治療した? 誰の所為で怪我したと思ってんだ!」
シオがそういい放つと、開かれたドアの向こうに見知った男が顔を出す。
「何だ? シオは目を覚ましたのか?」
短い黒髪を揺らす穏やかな顔付きのアオだった。所々に包帯を巻いたアオと、シオの視線が交錯し、みるみるシオの表情は強張る。
その感情の変化に、アオは「あれ?」と声を上げ、表情を引きつらせた。
「もしかして、お邪魔だったか?」
「えっ? ううん。そんな事――」
レオナがそう言い掛けた時、その横をすり抜けたシオが、アオへと飛びかかる。
「てめぇ! さっきはよくも――」
「ちょ、シオ! あんた!」
レオナがシオを止めようと声をあげたが、それよりも早くシオの拳がアオの左頬を殴打した。
鈍い打撃音が痛々しく響き、アオの体は壁へと叩きつけられる。背中を強打し、そのまま座り込むアオに対し、シオは息を荒げ肩を激しく上下させ怒鳴った。
「てめぇーよくオイラの前に顔を出せたな!」
「あんた、いきなり何してんのよ!」
シオの右肩を掴んだレオナがその体を引き、そのままアオの下へと駆け寄った。
レオナに後ろに引かれたシオは、バランスを崩し倒れそうになるが、それを堪え、鋭い眼差しをアオへと向ける。
口角から血を流すアオは、駆け寄ったレオナを右手でいさめると、静かに立ち上がった。
「心配するな。これ位なら平気だ」
「けど……」
心配そうなレオナに微笑するアオはズボンを叩き、鼻から息を吐き出すと真っ直ぐにシオを見据える。
そして、強い口調で尋ねる。
「俺が、お前に何をした? 詳しく話を聞かせてもらおうか?」
アオの真剣な眼差しにシオは眉間にシワを寄せ、訝しげな表情を浮かべる。
「詳しくも何も、お前の方が詳しいだろ?」
「はぁ? 何言ってんのよ。私達がここに来た時、あなたが血まみれで倒れてたのよ」
腰まで届く金色の髪を揺らすレオナが、腰に手をあてそう言うと小さく吐息を漏らす。
その言葉にシオは聊か驚き、アオへと視線を向ける。
「お、オイラはお前にやられたんだ! アオ」
「はい? 何バカな事言ってるの? アオはずっと私達と居たわよ? それに、ここについたのは今日、ついさっきの事よ?」
「なっ! そんなバカな事あるかよ! オイラ達は二週間位前からずっと一緒にいたんだぞ!」
シオの言葉に、アオとレオナは顔を見合わせる。
そして、アオは複雑そうな表情で頷く。
「どうやら、俺の偽者が出たらしいな」
「に、偽者! んなわけねぇー! お前と同じ……」
そこでシオは思い出す。ヴェリリースの存在を。彼女は精巧に土人形を生み出していた。
その事を思い出し、くっと、声を漏らしたシオに対し、アオは困り顔で息を吐く。
「他には誰が居た?」
「えっ? 確か、ライも一緒……」
「ライだけか?」
「あ、ああ……」
思い出しながらそう返答するシオに、またアオとレオナは顔を見合わせた。
二人の反応に首を傾げるシオは、眉間にシワを寄せる。
「な、何だよ? その反応は?」
不満そうなシオの言葉にアオは、深く吐息を漏らすと、肩を竦める。
「いや。俺達は基本的に四人一組のパーティーとして行動している。だから、二人で移動なんて事は絶対に無い。必ず、ほかに誰か二人程パーティーに組み込み行動する」
「じゃ、じゃあ、アレは、本当に偽者なのか?」
驚き疑いの眼差しを向けるシオに対し、アオは苦笑する。
「あのなぁ……俺がお前と戦う理由は無いだろ?」
「いや、十分あるだろ? オイラは魔族で、お前は人間」
「…………あーぁ。そう言われるとそうだな!」
シオに言われ思い出したのか、そう呟きアオは豪快に笑う。
相変わらずのアオに対し、レオナは呆れた様に吐息を漏らし、右手で頭を抱えた。
一方で、シオもまたアオの反応に対し、唖然とする。何でコイツはこんなにバカなんだと、言いたげな眼差しをシオは向けた。
そんなバカ笑いするアオの声に、廊下の奥から足音を軋ませ、小柄なライが声を掛ける。
「リーダー。何バカみたいに笑ってんだ? それに、さっきの物音は何だ?」
茶色の髪を揺らし、ジト目を向けるライの姿に、アオは笑うのを止め小さく頷く。
「いやいや。なんでもない。それより、ほかに誰かいたか?」
アオが僅かに涙を浮かべそう尋ねると、ライは右手で頭を掻き雪の積もる窓ガラスを見据え答える。
「いいや。誰も居ないねぇ」
「そうか……」
腕を組むアオが真剣な顔で俯く。何を真剣に考え込んでいるのか分からず、シオは首を傾げる。
そして、近くに居たレオナへと顔を向け、小声で尋ねた。
「なぁ、何を考え込んでるんだ?」
「えっ? あぁ……。私達がここに来たのは、実はこのギルドの調査の為なのよ」
「ふーん……あの偽者は戦争の調査だって言ってたけどな」
シオの発言にその場の空気が明らかに凍りつく。
何故、その様な事が起こったのか分からず、シオが首を傾げると、アオが真剣な顔で声をあげる。
「それは、本当か!」
「えっ? ああ。確か、そんな事言ってたぞ?」
「戦争って、どう言う事? 一体、この国で何が起きてるの?」
レオナが驚き声をあげると、トボトボと廊下を歩むライが口元へと右手をあて呟く。
「とんでもない事が起こってるみたいッスね。リーダー」
「ああ。戦争か……まさかの出来事だな」
複雑そうな表情を浮かべるアオが、静かに息を吐いた。
何が何やら分からぬシオは、困惑し三人の顔をただただ見回す。
そんなシオへとアオは鋭い眼差しを向けると、渋い声で尋ねる。
「それで、冬華達はどうしたんだ? まさか、その戦争に参加してるとか言うんじゃないだろ!」
「いや、参加してるよ。てか、お前の条件を呑んだ結果だからな」
「はぁ? 何で俺の条件なんだよ! 俺は何も言ってないだろ?」
アオが不機嫌そうな表情でそう言うと、レオナが苦笑し間に割ってはいる。
「アオの偽者が、そう言ったのよ。そんな事くらい、すぐ理解できるでしょ!」
困り顔でそう言うレオナに、ライも苦笑しアオの肩を叩く。
「落ち着けって。冷静になれよ。リーダー」
「お、俺は落ち着いてる!」
「いやいや。大抵、落ち着いていない奴はそう言うんだよ」
肩を竦め頭を左右に振るライに、アオは不満そうな表情で腕を組んだ。そんなやり取りにシオは右肩をやや落とし、吐息を漏らすとレオナへと顔を向ける。
「いつもこんな感じなのか?」
「ま、まぁ、大体、そんな感じかしら」
苦笑するレオナはそう答え、疲れた様に静かに息を吐いた。そんなレオナの様子にシオも思う。レオナも苦労しているんだろうな。と。