第134話 クリスの怒り
鮮血が弾け、雪原の上へと散った。
大きく体を仰け反らせるケリオスの頬を、剣の切っ先が掠める。
体勢を大きく崩しながらも、ケリオスは右手に握った銃をアオへと向け、引き金を引いた。
数発の銃声が響き、衝撃でケリオスの体は倒れる。雪が僅かに舞い上がり、ケリオスはすぐに体を起こした。
一方、近距離から発砲されたアオは、青白い光だけを残し、全ての弾丸をかわしケリオスから距離を取っていた。
無傷のアオの姿にケリオスは眉をひそめる。
「それが、青雷と呼ばれる由来ですか?」
静かにケリオスが尋ねると、アオは青白い光を身にまとったまま静かに頷いた。
「ああ。これが、俺が青雷と呼ばれる理由だ」
真剣な表情で呟くアオに、ケリオスは羽織っていた純白のコートを脱ぎ、静かに息を吐き出した。白い息が大量に吐き出されると同時に、ケリオスの姿がアオの視界からゆっくりと消えていった。
突然の事に我が目を疑うアオは、瞳孔を広げるとすぐに辺りを確認する様に瞳を動かす。だが、全く気配すら感じさせなかった。
「私も、静かなる殺人鬼と呼ばれる理由をあなたに教えてあげましょう」
何処からとも無くケリオスの声が響き、脱ぎ捨てた純白のコートだけが空へと舞い上がった。
そして、何処からとも無く一発の銃声が轟く。
銃声の位置から弾丸の軌道を予測し、アオは右へと体を傾ける。だが、それは予期せぬ位置からアオの体を撃ち抜いた。
「ぐっ!」
体が傾けた右方向へと大きく弾かれ、その肩に衝撃を受ける。地面へと倒れるアオは、右手で左肩を押さえた。
「血が出ないと言う事は、偽者みたいですね。あなたも」
静かなケリオスの声が響く。彼の言うとおり、銃弾を受けた左肩からは血は出ていなかった。
表情を引きつらせ立ち上がるアオは、右手を左手から離すと、更に体にまとう電撃を倍増させる。それにより、より速くケリオスの動きに反応出来る様にしたのだ。
だが、ケリオスは気配すら感じさせない。その為、アオは瞳を左右に激しく動かす。
「探しても無駄だよ。キミの能力では、私を見つける事は不可能」
その声が聞こえると同時に、何発もの破裂音が轟いた。
しかし、体を包む雷に弾丸が触れるその瞬間に、アオは最小限の動きで弾丸をかわしていた。
その動きにケリオスは静かに笑う。
「いい動きですね。流石は青雷。でも、いいんですか? 弾丸にだけ気を取られて?」
ケリオスの声が突如耳元で聞こえ、アオは素早く振り返る。当然だが、そこにケリオスの姿は無く、アオは安堵した様に息を吐いた。
しかし、その瞬間、アオの肉体を右肩から左脇腹へかけて深く鋭利な爪が引き裂くように走る。肉が裂ける嫌な音が響くが、やはり血は出ず、アオはよろよろと後退していく。
体を包んでいた青白い輝きは消え、アオの体には亀裂が生じる。傷口から魔力があふれ出していた。
「ぐっ……がはっ……」
「どうやら、生命維持用の魔力があふれ出しているようですね」
ケリオスはそう告げ、ゆっくりと姿を現す。存在を極限まで薄め、人の視野から消えるケリオスだけが使えるものだった。
よろめくアオの体に入った亀裂は更に大きくなり、やがてアオの体は崩れ落ちた。彼を動かす魔力が完全に消失したのだ。
息を吐くケリオスは、銃をしまうと静かに歩き出し、雪の上に落ちた自分のコートをその手に取った。
「全く……これほどまで精巧に人を再現する力がある人物がいるとは……驚きですね」
感心したように小さく頷いたケリオスは鼻から息を吐き出し、静かにコートを着直した。
丁度、その頃、クリスは発見していた。
血に染まる雪の上に倒れる冬華の姿を。
その姿に、自然と足が止まり、クリスの瞳孔は開ききっていた。驚愕のあまり、声すら発する事が出来ず、過呼吸気味に呼吸を繰り返す。
信じられないその光景に、膝が、唇が震える。目尻から涙がこぼれ、やがてクリスは奥歯を噛み締めた。そして、その鋭い眼差しが剣を携えるヴァルガへと向けられた。
一瞬で理解したのだ。この男が冬華を刺したのだと。
鼻筋にシワを寄せるクリスは、その手に大刀を転送し、声をあげる。
「ヴァァァァルゥゥゥゥガァァァァッ!」
怒りを爆発させるクリスの声に、剣を携えるヴァルガが静かに顔を向ける。
雪を舞わせ直進するクリスに、ヴァルガは不適な笑みを浮かべた。と、同時に空間が裂け、クリスの目の前に一人の男が姿を見せた。
「くっ!」
険しい表情をするクリスに対し、その男は聊か驚いた表情を浮かべると、その手に持っていた盾を体の前へと出す。
それが誰なのかクリスには分からない。ただ、ソイツが白銀の騎士団の一人だと踏み、クリスは怒声を上げる。
「どけぇぇぇぇっ!」
大刀を右に大きく振りかぶる。上半身が捻られ、切っ先が地面を僅かに叩く。
突如、現れた男は何が何だか分からないと淡い赤の瞳をクリスへと向けていた。
左足を踏み込むと、クリスは振りかぶったその大刀を一気に振り抜いた。大気を裂き、風を巻き起こす大刀が彼の構えた盾を弾き、火花を散らせる。
表情を歪め、オレンジブラウンの髪を揺らす男は、それでも、何とかその場に踏みとどまった。
「な、何するんですか! いきなり!」
丁寧な口調で男はそう怒鳴り、盾から剣を抜いた。そして、距離を取る様に後方へと跳ぶと雪の上を低い姿勢で滑るようにして動きを止める。
両者共に大量の白い息を口から吐き出し、体からは蒸気を上げる。体温はみるみる上昇していた。
「一体、ここは何処で、あなたは誰なんですか!」
男がそう声をあげるが、冬華の事で頭が一杯のクリスにはその言葉が聞こえておらず、怒声を轟かせる。
「どけ! 私の邪魔をするな!」
それだけを告げ、大刀を振り上げる。
クリスの行動に彼は奥歯を噛み締めると、それに対応するように盾を構え剣を振りかぶる。
重々しい金属音が轟き、男の盾が弾かれる。だが、それと同時に男もクリスの大刀を弾き返していた。
僅かに火花が二人の間に散り、両者の体は後方へと流れる。しかし、男の方はすぐに体勢を整えると、右足を踏み込み右手に持った剣を振り抜いた。
大刀の重量で後方に倒れかけていたクリスだが、すぐにその手の大刀を消し体勢を整えるともう一度大刀をその手に転送する。
男の振り抜いた剣が大刀の平で受け止められ、甲高い金属音を響かせ、弾かれた。
「くっ!」
声を漏らす男はすぐにその場から離れる。それと同時に、大刀が彼の視線の先を一閃し、太刀風がそのオレンジブラウンの髪を揺らした。
クリスは男の剣を受け止めると同時に、大刀を振り抜いたのだ。
鋭い眼差しで男を睨むクリスに冷静な判断などする余裕は無く、大刀を振り上げると精神力をその刃へと注ぐ。
すると、刃を紅蓮の炎が包み込み、辺りの雪はみるみる溶けて行く。高熱に男は表情を歪め、一歩後退りする。
「ぐっ……なんですか……この力は……」
螺旋を描く炎が刃を包み込み、更にその火力を上げていく。空はその炎で明るく照らされ、辺りには蒸気が噴き上がっていた。
雪が降っているはずなのに、一帯は明らかに暑く男の額には汗が滲んでいた。
「紅蓮大刀!」
クリスの声に、男はすぐに魔力をその盾へと注ぎ、地面へと突き立てる。放たれるクリスの一撃を防ぐ為に男はその行動を行ったのだ。
「鉄壁!」
「極炎!」
男の盾が光り輝くと同時に、クリスの振り上げた大刀が地面へと叩きつけられる。炎は螺旋を描き、一直線に放たれ、男の盾へと直撃した。
衝撃音が轟き、同時に激しい爆発が起きる。一瞬、辺り一帯の光が凝縮されてから、一気に周囲へと広がる凄まじい爆発。その爆発は二人の体を弾き飛ばし、地面を大きく抉った。
クリスの方には紅蓮の炎が降り注ぎ、男の方には空へと舞った積雪が音をたて地面へと落ちる。
衝撃により地面には大きな穴が開き、そこに雪解けの水が滝のように流れ落ちていた。
極炎を防いだ男の衣服は焼け、ほぼ裸の状態でその場に立っていた。体中火傷を負ったように赤くなり、盾はその手から弾かれていた。
それでも、意識は保ちその場に仁王立ちする男は、肩を大きく揺らしその目を細める。
一方、爆発に巻き込まれたクリスも着ていたコートが焼けボロボロになっていた。それでも、ほぼ外傷は無く、静かに立ち上がり男を睨みつける。
静寂の中に吹き荒れる冷たい風が、その場の熱気を急速に冷やし、白い湯気だけを揺らめかせていた。