第133話 予言の結末
夜も大分明け、空は青白く輝いていた。
どれ程兵が失われたのか定かではない。
だが、隊列は乱れ、すでに軍はバラバラになっていた。
突撃部隊である前衛部隊も、防衛部隊である後衛部隊も、今ではもう何処に行ってしまったのか分からないほどだった。
何とか、周囲を兵で固めた国王ヴァルガの部隊。その中心で冬華は立ち尽くす。どうすれば良いのか考え、クリスやジェス達の無事を祈る。
そんな折だった。明るむ空の下に青白い閃光が飛来。衝撃と爆音が広がった。積もりに積もった雪が空へと散布され、白煙が土煙と混ざり合う。
砕け陥没した地面がゆっくりとその煙の中から姿を見せ、細かな雪と共に落ちる土が雪原を茶色く染めていた。
顔の前に右腕をかざし目を凝らす冬華。広がった衝撃により、頭に被っていたフードは取れ、黒髪が静かに揺れる。
(な、何……今の……)
突然の事に表情を強張らせる冬華は、ゆっくりと右腕を下ろし、煙の立ち込めるその場所へと視線を向ける。
強い警戒心から、右手に槍を形成する。白く美しく長い柄が現れ、その先端には蒼く透き通る刃が姿を見せた。氷河石から生み出されたその槍を構え、冬華は身を僅かに低くする。いつでも動ける体勢だった。
その場に居た兵、全てが身構え警戒する中、煙の向こうで青白い光が迸る。
そして、一瞬だった。稲光の様に青白い閃光が土煙から飛び出し、兵達の合間を抜けたのは。
冬華の目に見えたのは、その青白い閃光の軌道だけ。後は何が起こったのか分からず、次の瞬間には兵達の鋼鉄の胸当てが裂かれ、血飛沫を撒き散らせていた。
「えっ! な、何? 一体、何が……」
「ふん。この私を殺しに来たか?」
椅子に腰掛けていたヴァルガが不快そうに口を開き、ゆっくりと立ち上がる。その手には神々しい剣を握り、金色の鎧がマントの下から見え隠れしていた。
重々しい足取りで馬車から降りたヴァルガは、雪原に深い足跡を残し歩き出す。
「まぁ、世界で起きている事件から考えれば、今度は我がヴェルモット王国の王である私が狙われる事は想定していたが……。
まさか、キミが命を狙ってくるとは思っていなかったよ。連盟の犬、青雷のアオ」
金色の鞘から剣を抜いたヴァルガが、その切っ先を真っ直ぐに向ける。その先に佇むのは体から放出された青雷により黒髪を逆立てたアオだった。
その存在に驚愕する冬華は、目を疑うと同時にこれは何かの間違いだと、すぐにヴァルガの前へと飛び出し、アオへと声をあげる。
「な、何で、何でアオがここに! そ、それに、あ、アオが何でこ、こんな――」
冬華の声が途切れる。そして、視線が静かに下へと落ちる。腹部から突き出す刃の先から鮮血が点々とこぼれていた。
一瞬、それが何なのか、冬華は理解出来なかった。
――ドクン、――ドクン。
胸の鼓動が妙に大きく聞こえ、それが、やがて弱くなっていく。もうろうとする意識が唐突にプツリと途切れた。
冬華の体から刃が抜かれ、その勢いで冬華の体は後ろへと倒れた。ヴァルガは足元へと転がる冬華を、蔑む様な眼差しで見下ろし、ふんっと鼻で笑う。
「もう、貴様に用は無い。もう、戦争は始まった。歴史に名を残すのは貴様ではなく、私の名だ」
そう言い放ち、ヴァルガは冬華の体を跨ぎ、アオへと向かい歩き出した。
雪は赤く染まり、冬華の体から体温がみるみる失われる。閉ざされた闇の中で、冬華は思う。やはり、あの予言は当たっていたのだと。
そして、この次に訪れるのは、世界の崩壊だと。
雪原をクリスは駆ける。
口から吐き出される大量の白い息。体温は急激に上昇していた。妙な胸騒ぎを感じ、昨晩からずっと冬華を探していた。
あの混乱の中でどうやら大分、冬華からはぐれた様だった。本来、冬華の傍に居て、守らなければならない立場だったにも関わらず。
息を切らせ、肩を上下に揺らすクリスは、足を止め膝へと手を着いた。辺りを見回してもここが何処なのかハッキリと分からない。全てが同じ様に見えた。
雪原に埋もれる兵の遺体。そして、漂う血生臭い臭いが、クリスの感覚を鈍らせていた。
「くっそ……さっき聞こえた爆音はこの辺りだったはずだが……」
額の汗を拭うクリスは、眉間にシワを寄せ辺りを見回す。
「一体、何処に……」
焦るクリスは右手を胸の前で握り締めた。胸のざわめきが納まらない。それどころか爆音のした方へと近付けば近付く程、そのざわめきは酷くなっていた。
そして、頭の中に繰り返されるヴェリリースの
“この中の誰かが死ぬ”
と、言う言葉が、何度も何度も。
その時だった。眩い閃光が明るむ空へと広がり、衝撃が僅かにクリスの白銀の髪を撫でた。その衝撃により僅かに吹き上がる冷気に、クリスは表情を歪める。
「あそこか……」
その衝撃の起こった方へと眼差しを向けるクリスは、確信する。そこに冬華が居ると。
だから、クリスはまた走り出す。胸にざわめきを抱えたまま。
激しく交錯する二つの刃。
青白い閃光が広がり、二人は衝撃で弾かれる。
足元に大量の雪と土を巻き上げるアオは、地面へと剣を突き立て勢いを止めた。
一方、ヴァルガは低い姿勢を取り足の裏に土を盛り上げ動きを止める。重い鎧もあり、アオよりも弾かれた距離は短かった。
ヴァルガの美しい剣は、衝撃で刃が震えていた。それ程、アオの放った一撃は重く強烈なモノだったのだ。
それでも、その刃は刃こぼれ一つせず、美しい輝きを放っていた。
「ほぉーっ……流石は、連盟の犬だ。一撃一撃が力強いな」
ヴァルガがそう告げると、アオは静かに息を吐き出す。
「お喋りはいいだろ? 俺の目的は、お前を殺す事だ」
「そうだな。だが、お前は一つ見落としている事がある」
「見落としている事?」
ヴァルガの言葉に、アオが訝しげに聞き返す。すると、背後でガチャと僅かな機械的な音が響き、静かで穏やかな声が耳に届く。
「残念ですよ。連盟の犬。あなたが、こんなバカな真似をするなんて」
「…………」
アオの顔が横を向き、視線が後方へと向けられた。そこに居たのは、爽やかな表情で微笑するケリオスだった。その手に握られた銃は、アオの頭部へと向けられ、引き金には指かかかる。いつでも発砲できる様にしていた。
沈黙するアオへと、ケリオスは鋭い眼差しを向ける。
「返答はなしですか?」
「…………ああ。そうだな!」
返答すると同時に、アオは身を屈め、そのまま左足でケリオスの右腕を蹴り上げる。遅れて引き金が引かれ、弾丸が空へと放たれる。
銃口から吹き上がる硝煙が揺らめき、ケリオスの表情は歪む。
「くっ! コイツ!」
「雷鳴――」
身を屈めたアオの剣へと精神力が注がれ、その刃を青白い稲妻が迸る。
体勢が僅かに崩されたケリオスは、左足を後ろへと着いた。そして、すぐに銃口をアオへと向け、引き金を引く。
甲高い破裂音が一発。だが、弾丸は大気を裂き地面へと減り込んだ。
「なっ!」
驚くケリオスの視界には青白い稲妻だけが僅かに残り、弾丸が撃ち込まれた事により舞った積雪だけが散る。
だが、ケリオスはすぐに身を翻し、反転し左腕を振り抜く。
「――剣!」
それと同時に後方へと雷火で回り込んだアオが剣を振り抜いた。稲妻が迸る刃が横一線に振り抜かれ、激しい雷鳴が轟く。
放射線状へと広がる青白い稲妻。そして、ケリオスの体は後方へと十メートル程弾かれていた。
「はぁ……はぁ……」
呼吸を乱すケリオスだが、その体は殆ど無傷だった。稲妻により僅かにその黒髪が逆立っているが、何の問題も無くケリオスは仁王立ちする。
「危なかった……これがなければ、一撃でしたよ」
ケリオスはそう言い、左手を胸の前まで持ち上げた。その腕には漆黒の肘まで届く手甲が輝いていた。
「魔法石で造られた手甲か?」
表情を崩さず振り抜いた剣を構えなおし、アオは尋ねる。
しかし、ケリオスは小さく首を振り、不適に笑う。
「違いますよ。まぁ、特別製なのは、確かですけど」
ケリオスのその答えにアオの眉間にシワが寄る。魔法石では無いなら一体何なのだと、言いたげなアオの眼差しを受け、ケリオスは微笑する。
「教えませんよ。ワザワザ、自分の手の内を相手に教えるわけないでしょ? そんな事をするのは、余程のバカか。己を過信している者だけですよ」
ケリオスのその言葉に、アオは小さく頷く。
「確かにそうだな。なら、その秘密を探らせてもらう」
そう告げ、また僅かな稲妻だけを残し、蒼い閃光となりアオの姿が消える。
雷火による光速の動きだが、ケリオスはすでにその動きを捉えていた。
(確かに早いが、閃光が迸る分、動きは読める!)
すぐに体を右へと向け、銃を構える。
ケリオスの読み通り、そこにアオの姿が現れた。だが、引き金を引こうとして、ケリオスは気付いた。それが、残像である事に――
(残像! なら、本体は――)
「遅いな。静かなる殺人鬼」
アオの声が耳元で聞こえ、ケリオスはようやく理解する。アオがすでに自分の背後に回り込んだ事に。瞬時にケリオスは振り返る。だが、その瞬間、アオの刃が鋭く振り抜かれた。