第13話 獣王の血
「いいわ。あなたに協力する」
冬華が力強い眼差しを向けたままそう言うと、魔族の少年はニッと笑みを浮かべ、
「んじゃ、ちょっと離れてろよ!」
と、忠告し右足で鉄格子を蹴飛ばした。一撃目で、鉄格子が軋み衝撃が広がる。思わず目を伏せる冬華とクリスの耳に、兵士達の叫び声が聞こえた。
「脱獄だ! 援軍を呼べ!」
「貴様! そこから離れろ!」
一人の兵士が大声で助けを求め、一人の兵士は勇ましく魔族の少年へと槍を突き出した。だが、少年は右足で刃を石畳の床に踏みつけた。切っ先が石畳に突き刺さるが、兵士の勢いは止まらず、前のめりになった兵士の顎を左膝でかち上げる。兵士の上下の歯が綺麗にぶつかり合い、甲高い音を奏でると、ゆっくりと体は後方に投げ出され、倒れた。
顎への一撃で完全に意識を失った兵士に、少年は軽く頭を下げると、
「悪い。少し寝ててくれ」
礼儀正しく謝罪した。彼のその姿に、冬華は密かに笑った。自分の選択は間違っていなかったと。その僅かな表情の変化に、セルフィーユは小首を傾げた。一体、何がおかしかったのだろうかと。
床に突き刺さった槍を抜き、壁へと立てかけた少年はもう一度鉄格子を右足で蹴った。衝撃が吹き抜け、砕かれた鉄の棒が周囲へ飛び散った。床に転がる鉄の棒を見据え、クリスは改めて思う。魔族の力の強大さと、自らの無力さを身を。
「さぁ、早くしろよ? 増援来たら大変だからな」
「そうね。えっと……クリスは、どうする?」
冬華は牢屋から出ると、錠で両腕を繋がれたクリスへと目を向けた。一緒に戦いたいと言ってくれたクリスだが、彼女が魔族を嫌っている事は知っていた。だから、半分諦めていた。彼女はココに残るだろうと。
目を伏せていたクリスは、静かに息を吐き、ジッと魔族の少年を睨んだ。
「私は貴様の事を認めない! だが、冬華様が行くと言うなら、私も一緒だ!」
「はいはい。分かった分かった。元からそのつもりだから。コイツは弱いし、正直、あんたが居なきゃ連れてかないから」
あははは、と笑いながら冬華を指差す少年に、冬華は「弱くて悪かったな!」と講義の声を上げた。しかし、その声は完全にスルーされ、冬華は頬を膨らし少年の背中を睨んだ。
「こっちだ! 早くしろ!」
廊下の向こうから兵士の声が響き、複数の足音が近付いてくるのが聞こえた。静かに立ち上がったクリスは、魔族の少年を睨んだまま牢屋から出ると、両腕を止める錠を少年の方へと向けた。
「何?」
「何じゃないだろ。これを外せ」
「嫌だよ」
「なっ! 貴様! 力を貸せば助けてくれるはずではないのか!」
クリスの怒鳴り声に、耳を塞ぐ少年は、面倒くさそうな表情をしながら、冬華の方へと目を向けた。冬華の後ろで浮遊するセルフィーユは、そんな少年の顔をマジマジと見ながら、『あの人、私の姿見えてるんですよね?』と、小声で冬華に聞き、冬華は「どうかな?」と困った様に笑った。
「早くこれを外せ!」
「嫌だって言ってるだろ! しつこいぞ! お前も黙ってないで、何とか言えよ!」
冬華に助けを求める少年に、「ガンバ!」と、両手で胸の前に拳を作って笑顔を向けた。
「ガンバじゃねぇーよ! そこの幽霊! 何とかしてくれよ!」
『ゆ、幽霊! わ、私、幽霊じゃありません! 聖霊です!』
「聖霊も幽霊も同じ霊だろ?」
『ち、違います! と、冬華様! あ、あの人、嫌いです!』
「あ、あはは……」
泣きつくセルフィーユに引き攣った笑みを浮かべた。そんな事をしている内に、兵士達が到着する。
「居たぞ!」
「なっ! 英雄さま! それに、副隊長まで!」
「構うな! 英雄だろうが、副隊長だろうが、脱獄した今、奴等は犯罪者だ!」
兵士の一人がそう叫び、脇に立つ二人の兵士が槍の切っ先を向け走り出す。
「お前等、先に行け!」
向かってくる兵士に向かって、体を向けた魔族の少年がそう叫ぶと、クリスがその肩を掴み、
「ふざけるな! 貴様に、しんがりを任せるわけには――」
「うるせぇ! 拘束されてるお前に何が出来る! ここは、オイラがやるっきゃねぇーだろ!」
「くっ」
少年の言葉に、表情を曇らせるクリスは、自らの腕を拘束する錠を見据える。下唇を噛み締めるクリスは、キッと少年の顔を睨むと、
「だから、この錠を外せと言っているだろ!」
力強いクリスの声に、腕を組んだ少年が苛立った様な表情を見せ、冬華の方へと顔を向けた。
「おい! コイツ連れて、先に行け!」
「けど、あんたは?」
「オイラは足止めする」
「ふざけるな! 私は――」
「疾風突き!」
クリスの声を掻き消す様に、突っ込んでくる二人の兵士の声が重なる。突き出した槍が風を纏い、疾風の如く襲い掛かる。武器を持たない冬華と、腕を拘束され戦う事の出来ないクリスを庇う様にその前に立ちはだかった魔族の少年の背中に鋭利な刃が二本突き刺さり、鮮血が舞う。
「ぐっ!」
奥歯を噛み締め声を殺す少年はジッと冬華を睨んだ。
「いいから、先に行け! オイラは鼻がいいから、お前の匂いを辿って追いつく。だから、ソイツを連れて行け!」
少年のあまりの迫力に、冬華は静かに頷き、クリスの拘束された腕を引き走り出す。抵抗する事は出来たが、クリスも少年の気迫に押され、冬華に引かれ大人しくついて行く。遠ざかる二つの背中を見据える少年は、口角から血を流しながら静かに笑った。
「くっ! 何だ! こ、コイツ!」
「よし! 二人とも、良くやった。退け!」
剣を持った兵士がそう指示を出すと、少年の背中から槍が抜かれ、兵士二人が飛び退く。遅れて、剣を持った兵士が二人の間を駆け抜け、剣を頭上へと掲げ、
「一刀両断!」
叫び、刃が振り下ろされた。切っ先が肉を裂き、床へとぶつかった。鮮血が舞い、兵士の鎧を赤く染める。背中を右肩から左脇腹へと大きく切り裂かれた少年は、ふらふらと二歩前へと足を進めると、右手で額を押さえ、ゆっくりと体を兵士の方へと向けた。
真っ赤な瞳がジッと自分を切りつけた兵士へと向けられ、兵士もその瞳に思わずその場を飛び退いた。
「くっ! な、何だコイツ!」
「ば、化物!」
一人の兵士が叫び、その場を逃げ出そうとしたその刹那、一つの足音が聞こえたかと思うと、その兵士の体が血を吹く。
「な、何だ!」
剣を持った兵士が振り向くと、そこには他の兵士が血を流し倒れ、立っているのはその兵士と魔族の少年、そして、和服を着た不気味な雰囲気を漂わせる一人の男。いつ、そこに現れたのか、分からないその男が、不適な笑みを浮かべると同時に、少年は駆ける。
「おい! お前! お前も、ココから逃げろ!」
兵士の横を駆けながらそう叫んだ少年は、両拳を握ると、
「双拳の舞!」
と、叫ぶ。拳が輝き、舞い踊りながら高速で何発もの鉄拳が繰り出される。打撃音と拳を振り抜く音だけが廊下を支配する。だが、その男は繰り出されたその拳を左手に持っていた刀の鞘だけで防ぎきり、少年の動きが止まり無防備になるその瞬間を見計らい、右手に持った刀で下から切り上げる。左脇腹から入った刃が右肩を抜け、少年の体が空中へと投げ出される。鮮血が痛々しく噴出し、少年の体は石畳の床へと叩きつけられ、二度バウンドした。
「ぐふっ」
吐血し、苦痛に表情を歪める。力の差は歴然だった。それでもなお、立ち上がる少年は、右拳を床に落とし、両肩を大きく揺らす。
「ほぉ……その傷でまだ立つか。流石は、獣王と呼ばれる父を持つだけはあるな」
「親父は関係ねぇ」
ボソリと呟いた少年は、もう一度吐血し、床に血を広げた。
獣王。魔王の一人で、獣魔族の長。この大陸に城を構えており、単純な力だけなら三人の魔王の中で最強と言われている。獣の血が流れている所為か、好戦的だと言う。
その獣王の血を引く少年は、薄らと霞む視界の中で、ジッと男を睨み付けた。冬華とクリスの二人が逃げる時間を稼ぐ為に。