第127話 吉報と罠
その日、冬華が戻ってきたのは夕刻の事だった。
その頃にはクリスもアースも元ギルド会館に戻って来ていた。
結局、目当ての武器屋は見つからなかったのか、クリスもアースも武器は持っていなかった。
物静かにソファーに座るジェスとアオの二人は、テーブルを挟み向かい合っていた。そのテーブルには地図が置かれ、そこに幾つかのピンが刺さっていた。
「おう。お帰り。どうだった?」
内装の変化に驚きながら応接室へと入ってきた冬華に初めにそう声を掛けたのは、アオだった。
にこやかに微笑しそう言うアオに、冬華は引きつった笑みを返す。そのぎこちない笑みにアオは表情を曇らせた。
「もしかして、失敗したのか?」
「えっ? あぁ……うーん……ご、ごめん」
「いや、まぁ、いいさ。そうか。流石に、英雄とは言え、一軍を与えてはくれないか……」
ふっと息を吐き、アオは肩を落とした。
アオの考えでは、軍の一つは任されると思っていた。そうなれば、色々と動き回る上で楽になるからだ。
深くため息を吐いたアオだが、すぐに笑みを浮かべ冬華へと右手を上げる。
「まぁ、いいさ。こうなった以上、一般兵として戦果を挙げていこうじゃないか」
「えっ? あっ、ち、違うの! そうじゃなくて……」
思わず声を荒げる冬華は、複雑そうな表情で苦笑する。
そんな冬華の様子にアオは異変を感じ、小さく首をかしげた。そして、正面に座るジェスと顔を見合わせる。
ジェスも何か冬華の様子がおかしいと、眉間にシワを寄せた。
「何だ? どうかしたのか?」
訝しげな表情でジェスが尋ねると、冬華は何か言い辛そうに視線を逸らした。
「じ、実は……」
冬華は静々と語り出す。城内であった事、国王に頼まれた事を。
その言葉を聞き終えたアオとジェスは驚愕し、思わず声を上げ立ち上がった。
「なっ! 何!」
「一軍所か、全軍総指揮を任されただと!」
アオに続きジェスがそう声をあげる。その怒鳴り声に冬華は耳を塞ぎ背を丸めると、「ご、ごめんってば」と、涙声で叫んだ。
しかし、冬華の気持ちと裏腹にアオとジェスは関心した様に笑った。
「いやいや。謝る必要はない」
「ふぇっ? で、でも……」
「いや、結果オーライだ」
アオは不適に笑い、ジェスも小さく頷く。
まさか、全軍を率いる事になるとは、アオも予想していなかった。幾ら英雄とは言え、この国ではまだ信頼されるに値しない存在の冬華に、一軍を与える事すらありえないかもしれないと思っていた為、これは驚きの事だった。
ジェスも最悪、冬華よりも色々と悪名の高い自分なら一軍位任せてもらえるだろうと、考えていたが、余計な心配だったと安堵した様に胸を撫で下ろした。
驚き歓喜に湧く一行だが、クリスは訝しげな表情で腕を組んでいた。
「だが、それが罠って事はないか?」
クリスの静かな言葉にアオとジェスは顔を見合す。
冬華もその事が気になったのか、眉を八の字に曲げ口を開く。
「わ、私も安易に信用していいのかなって、思ってるんだけど……」
不安げな冬華の言葉。それは、直接国王と対峙し、話したからこその言葉だった。もちろん、その事も考慮したうえで、アオは穏やかに笑うと、冬華の頭を二度優しく叩いた。
「安心しろ。その可能性も高いが、ここは全軍を任されたと言う事が大切だ」
「えっ? どうして?」
不思議そうに冬華が問うと、ジェスがテーブルの上の地図上に刺さったピンを見据え答える。
「現在、この国の徴兵で集まった兵はおおよそ三十万程だ。
本来、この三十万の兵が割り振られる一軍を指揮できれば、御の字だった所、この三十万をあわせた王国軍全ての指揮を任されたんだ。
隠れ蓑にして相手の懐に入るには十分だろ?」
ジェスが腕を組んだままそう説明すると、やはりクリスは納得出来ないと首を左右に振る。
「だから、それが罠だとしたらどうするんだ? 全軍の指揮を任せると言う事は、冬華の傍には相手の側近、下手をすればあのケリオスとか言う奴が張り付く事になるんだぞ?」
白銀の騎士団、静かなる殺人鬼の異名を持つ男、ケリオス。その存在を思い返し、クリスはそう発言した。恐らく、白銀の騎士団の中――いや、この国の中で最も警戒しなければならない危険人物だ。神出鬼没の殺人鬼。実力はその目でハッキリと見たわけじゃないが、それでも恐ろしいモノを感じた。
だからこそ、クリスは警戒心を強め、更に言葉を続ける。
「もしかすると、冬華を人質にする為に全軍総指揮を任せたのかもしれない。
コチラが下手に動けば、冬華の命を奪う……その可能性だってあるだろ!」
クリスが声を荒げると、アオは小さく頷く。
「その可能性もあるな。だが、何も冬華に護衛をつけてはいけないと言う規則はない。もし、向こうがケリオスを傍に置くと言うなら、コッチも冬華の傍に護衛を置けば良いだけの話だ」
「簡単に言うな! 白銀の騎士団でも指折りの連中だぞ! そんなのを相手にどうするって言うんだ!」
クリスがテーブルを激しく叩き、立ち上がる。怒声が響き、ピリピリとした空気が漂った。
思わず耳を塞いだ冬華は、恐る恐る瞼を開き、クリスへと視線を向ける。怖い表情からクリスが自分の事をどれだけ心配しているのか分かった。
それでも、これは自分にしか出来ない事だと、冬華は自分に言い聞かせ、フッと静かに息を吐き、クリスへと告げる。
「大丈夫だよ。何とかなる! てか、何とかする!」
「と、冬華! な、何を言ってるんですか! 命にかかわる事なんですよ!」
「大丈夫! 私は、皆の事信じてるし、それに、私がやらなきゃいけない事でしょ?」
微笑し答える冬華の体は僅かに震えていた。恐怖がないわけじゃない。これから、戦争をしようとしているのだ。命を落とすかもしれないし、いつ後ろから刺されるかも分からない。それでも、それを押し止め、クリスや他の皆に心配掛けまいと、平静を装っていた。
しかし、その場に居た誰もが冬華のそれに気付き、言葉を呑んだ。
恐らく、この場に居る誰よりも、恐怖を感じているのに、周りに心配掛けまいとするその様に、そうする事しか出来なかった。
誰もが言葉を発せぬ中、突如としてそれは起こる。
「な、何だ?」
いち早く、その異変に気付いたのは、シオだった。金色の髪に隠れた獣の耳をピクッピクッと動かし、辺りを見回す。この場に居る誰もが聞こえぬ音が、シオの耳にだけ届いたのだ。
そして、遅れる事数十秒。突如大地は揺れ、激しく建物は軋む。
「じ、地震!」
思わず冬華が叫び、身を屈める。
それにやや遅れ、クリス、ジェス、アオの三人も身を屈めた。激しい地響きと共に軋む建物。クマが修繕していなければ間違いなく、倒壊していただろう。
しかし、その揺れも一時的なモノで、すぐに治まり、天井からぶさらがる電灯だけが激しく揺れていた。
「何だったんだ? 一体……」
恐る恐る立ち上がったジェスがそう呟き、辺りを見回す。激しい揺れだった為、本棚は倒れ、修繕されていた柱には僅かに亀裂が生じていた。それ程の激しい揺れだったのだ。
「地震なんて珍しいな……。大分でかかったみたいだが……」
訝しげにそう呟くアオは、立ち上がると腕を組み僅かに俯いた。
この大陸で地震が起こるなど珍しい事だった。と、言うよりも地震が観測された事すら一度もなかった。
それ故に、この現象にアオが疑念を抱くのは極自然な事だった。そして、その生まれた疑念は胸の奥をざわめかせ、妙な感覚がアオの中を巡る。
(な、何だ? 何か……見落としていないか? でも、一体……何を?)
右手を口元へとあて、アオは考え込んでいた。
警戒すべき存在は分かっているはずなのに、何かを見落としている。そんな感じがし、とても胸騒ぎがしていた。
恐らくそれは長年の勘の様なモノなのかもしれない。その直感が伝えているのだ。お前は重大なミスを犯していると。
しかし、全てが順調に自分の考え通り、いや、考え以上に事がなしている事が、疑り深いアオの感覚を狂わせ、その考えは自分の気のせい、この胸騒ぎは考えすぎだと。そうアオに思わせてしまった。