第121話 爆拳と青雷
クリスとジェスが街を散策しに出かけている頃、居残り組は妙に張り詰めた空気を漂わせていた。
その原因となっているのはシオとアースの二人。
腕を組み荷台の隅に座るシオは警戒心を強め、金色の髪の合間からジッとアースを睨み付ける。一方で、アースも荷台の入り口で壁にもたれ、警戒する様に意識を集中する。
二人の放つ空気に戸惑う冬華はただただ苦笑し、荷台の真ん中に座り込んでいた。居心地の悪そうな冬華へと、クマの着ぐるみは舞い踊りながら紅茶を差し出す。
「クマーッ! ティータイムです!」
軽やかな手さばきでお茶請けを用意するクマに、冬華はただうろたえるだけ。しかし、クマは気にした様子も無く、シオとアースへも紅茶を差し出す。
「ティータイムでーす!」
暖かい荷台の中と違い、寒い外に佇んでいたアースはティーカップを受け取ると、静かにそれを啜る。
一方、シオは不満そうにクマを睨みつけ、乱暴にティーカップを受け取った。
対照的な二人の態度に流石のクマは異様な空気を察したのか、冬華の下へと戻ると正座し肩を落とす。大きな体を小さく丸めるクマの姿に、冬華は苦笑した。
また静かな時が流れ、冬華は冷めた紅茶を口へと運ぶ。大人しくなったクマはコクリコクリと頭を上下に揺らす。今までよっぽど疲れていたのだろうと、冬華は頭を垂れるクマの姿を微笑ましく見据えていた。
静まり返ったその中で、フッと息を漏らしたのはシオだった。静寂を破る様に、沈黙を嫌う様に、シオは静かに立ち上がり、出入口に立つアースへと強い眼差しを向ける。
金色の髪の合間で僅かに動く獣耳、ピクピクッと過敏に反応する嗅覚。何かを感じ取ったのだ。その為、シオはコートを手に取ると、ゆっくりと歩き出す。床を軋ませ、冬華の背後をすり抜け、やがて足を止める。そして、静かに冬華へと振り返り、右手の人差し指を立て冬華へと向けた。
「いいか。ここから動くな! 絶対、だからな!」
「えっ、あっ……うん……」
妙に迫力のあるシオの発言に、冬華はぎこちなく頷く。それを聞き、シオは深々とニット帽を被り、フッと息を吐いた。しかし、そんなシオに対し、出入口に佇むアースが静かに告げる。
「あなたも、ここでジッとしててください」
「なっ! ふざけ――」
「あなたこそ、ふざけないでください。ここは人間の土地です。魔族のあなたが出て行くと、面倒な事になる」
アースが静かにそう述べ、鋭い眼差しをシオへと向ける。その眼差しに奥歯を噛み締め、息を呑むシオは「くっ」と声を漏らす。
分かっているのだ。自分が出て行って魔族だとバレれば冬華に迷惑を掛ける事になると。だから、何も言い返せなかった。
ムッとした表情を向けるシオを無視し、アースは静かに馬車を離れる。その理由は、馬車へと数人の兵が迫っていたからだ。四本の剣を腰に携えたアースは、そんな兵達の前へと立ちはだかる。
「何の用ですか?」
静かに丁寧にアースが尋ねる。すると、兵達は足を止める。そして、兵を先導していた白銀の胸当てをつけた大柄の男が一歩前へと出る。
「我は白銀の騎士団所属。通称“爆拳”のグラス! 貴公らが、その馬車の持ち主か?」
二メートル程ある巨体を揺らし、低く腹に響く声でグラスがそう告げた。右目に眼帯をし、鋼鉄の手甲を両手につけるグラスに、アースは表情を引きつらす。
(白銀の騎士団! しかも、異名持ち……。それに、あの手甲……)
アースの目は、グラスの両拳を覆いつくそうとするその手甲へと向けられた。相当の死線を乗り越えてきたのだろう。傷や僅かに血がこびり付いた様な痕も残っていた。
腰にぶら下げた剣の柄へと右手を添えるアースは、この空気に呑まれてはダメだと、深く息を吐き、強い視線をグラスへと返す。
「そうだとしたら、どうだと言うんですか?」
「ふむっ。だとしたら、悪いが今すぐ退けろ。邪魔だ」
「すみませんが、それは出来ない相談です」
グラスの言葉に、アースは強気にそう答えた。しかし、その言葉がグラスの怒りに触れたのか、今まで以上に低い声で「何?」とグラスは告げる。
一気に広がる殺気が周囲の空気を一変させ、重く冷たい空気が漂う。誰もが息苦しさを感じる中で、グラスの右拳が顔の横まで持ち上がった。
「貴公は我の頼みを断ると言うのか?」
明らかな殺気に、グラスの体が十倍近く大きくアースの目には映る。その為、すぐに答える事が出来ず、思わず息を呑み込む。
喉元がゴクリと動いたのをグラスは見逃さず、口元に薄らと笑みを浮かべる。確信したのだ。アースが、今、この空気に呑まれたと。
その為、グラスは次なる行動へと移る。精神力をその拳へと纏わせたのだ。
(後悔するがいい。若造よ。貴公に力の差と言うのを見せてやろう!)
激しく強力な波動を放つその拳を握り締めるグラスは、額に青筋を浮かべると、更に精神力を練り込む。恐怖に呑まれた者は簡単には元に戻れない。ならば、ここで力の差を見せ付ければ、二度と自分に逆らう事は無い。長い経験からグラスはその事を知りえていた。
恐怖に呑まれたアースの頭の中にぐるぐると巡る。何て馬鹿な事をしたのかと。後悔するが、すでに手遅れ。目の前に佇むグラスのその大きな幻覚に、何も出来なかった。
「覚悟は……出来ているのだろうな?」
グラスが低い声で尋ねる。しかし、アースの返答は無い。それを見越してか、グラスは不適に笑むと、静かに一歩踏み出す。
「返答が無いと言う事は了承したと見る。これは、互いの合意の上での決闘。貴公が死んでも我には関係――」
「リーダー。ああ言う指揮官はどう思うよ?」
突然、場の空気を裂く様に、幼さの残る男の声が響く。
「まぁ、俺としては十代の若者に対して、四十を過ぎたベテランがムキになる何て大人げ無いと思うがね」
幼さ残る声に遅れて、雄々しい落ち着いた声がそう告げる。
その言葉でアースは我に返り、グラスは怒りの矛先を声の主へと向ける。
「何奴! 我を愚弄する気か!」
グラスの視線の先に、二人組みの男の姿が映し出される。一人は頭にフードを被った小柄な男で、腰には幾つかナイフがぶら下がっていた。そして、もう一人は傷付いた胸当てをした黒髪の男。腕を組み落ち着いた面持ちで騒ぎを見据えるその男に、グラスは青筋を浮かべ怒鳴る。
「貴公か? 我を愚弄したのは!」
「おや? そう、聞こえたのか? それは悪い事をした。天下の白銀の騎士団所属の、しかも、異名持ちの騎士が、名もなき若者を相手に何をするのかと思ってね。
まぁ、自分の地位を奪いそうな若者の芽を摘んでいると、言われればそれまでかもしれないが」
穏やかな口調だが、明らかに好戦的な発言にグラスの鼻筋にシワが寄る。そして、拳に集めた精神力が一気に凝縮された。
「貴様! 今ここで――」
「――ッ!」
拳を振りかざすグラスに対し、男は黒髪を揺らし腰にぶら下げた剣を一瞬にして抜く。だが、それは瞬く間に、誰にも気付かれること無くそこに出現し、澄んだ金属音と火花を散らせ、同時に甲高い銃声をその場に広げる。
静寂が辺りを包み込み、グラスと男の間に一人の青年が居座る。抜き身になった男の剣を左手の手甲で受け止め、右手に握られたシルバーの銃からは白煙が噴き出ていた。
銃口を向けられたグラスは拳を振り上げたまま硬直し、その頬からは血が滲み出る。放たれた弾丸が頬を掠めたのだ。
恐怖に慄くグラスに、青年は穏やかに微笑する。
「また、騒ぎかと思えば、グラスさんでしたか。今、どう言う状況か、お分かりですよね?
幾ら、あなたが同じ白銀の騎士団の異名持ちでも、あまり度が過ぎると…………殺しますよ?」
ハニカミながらサラリと恐ろしい事を言ってのける青年の姿に、周囲の誰もが寒気を感じた。だが、その周囲の誰よりも恐怖を感じたのは、その言葉を向けられたグラス自身だった。その為、グラスは拳を退くと、
「撤収だ!」
と、引き連れていた兵と共にその場を足早に去っていった。
剣を受け止められた男は、青年の姿に眉間にシワを寄せる。すると、青年は静かに男へと体を向け、手を下ろす。
「すみません。同僚が。しかし、どうして、あなたがここにいるんですか?
ギルド連盟直属部隊の“青雷”のアオさん。まさか、あなたも参加するんですか?」
青年の言葉に、アオと呼ばれた男は剣を鞘へと納め、鼻で笑う。
「冗談だろ。俺達は任務でここに居る」
「任務ですか? 流石、連盟の犬って所ですね」
皮肉を交えた青年の言葉に、アオは苦笑する。だが、すぐにその表情は真剣なモノへと変った。
「連盟は、この非公認クエストを即急に取り消す様にと再三にわたり警告をしている様だが、無視されている。
この事について、どう言う事なのか、それを調べるのが今回の任務だ」
「おやおや? そんな事をベラベラと話していいんですか? 一応、私はそのクエストを発行している国に仕えているんですが?」
お互いに腹を探り合う様に言葉をかわしていた。そのやり取りにアースはただ呆然と立ち尽くしていた。