第12話 脱獄
静けさ漂う薄暗い中、雫が零れはじける音が響いた。
かび臭く、薄らと漂う血の臭いに、冬華は抱えた膝に顔を埋めながら「うぅー」と声を上げる。
ここは、地下牢。そして、現在冬華は投獄されていた。その理由は――
「すみません。私の所為で……冬華様まで」
クリスが申し訳なさそうに頭を下げた。そう。冬華が投獄された理由は、国王ザビットへのクリスの発言。それが、国王へ対する侮辱と当たり、二人とも牢へと叩き込まれた。通常時のクリスならば、牢獄させられる前に、城を力付くで出る事が出来ただろうが、魔族の少年と交わしたあの攻防で戦意を失っていた為、今こうして牢の中に居る。
両腕を不思議な錠で囚われたクリスは、力無く笑い、小さく息を落とした。その錠はクリスの様な力のある者の力を封じる不思議な錠で、今のクリスにここを出るすべなど無かった。
落ち込むクリスに、冬華は顔を上げ「あはは」と、笑うと、
「気にしないでいいよ。別に、悪い事したわけじゃないんだし」
「いえ。私がもっと冷静に対処していれば、こんな事にはならずに済んだのです!」
そう叫び一層俯くクリスに、冬華は小さく吐息をこぼし、立ち上がって鉄格子を掴み廊下を見据える。特に力が無いと、判断された冬華は錠で拘束されず牢に入れられた。その為、牢屋内を自由に歩き回る事が出来た。
「それにしても……遅いなぁ」
廊下を見据えながら、冬華が呟くと、薄暗い廊下の先から、『とーかさまー』とセルフィーユの可愛らしい声が響いた。その声に、牢屋の外へと右手を出し、大きく振りながら「こっちこっち!」と冬華は叫んだ。
その声に誘われる様にセルフィーユは冬華の居る牢屋へと飛び込むと、空中で正座し顔の横で右手の人差し指を立て、
『無理です! 何だか、凄く警備体勢が厳しいみたいです。どう頑張っても、脱獄なんて無理です!』
「そっか。まぁ、脱獄しようにも、その手段が無いんだけど……」
自信満々に言い切ったセルフィーユに、冬華は腕組みをして深く息を吐いた。
『あっ! あと、見回りは一時間に一回。決められたルートを通ってくるそうですよ?』
「そう。それじゃあ、ここを通る時間は大体分かるわね」
腕を組んだまま頷く冬華に、セルフィーユも力になれたと満面の笑みを浮かべながら報告を続ける。
『あと、この奥に今は使われてない下水溝があるみたいなんですが、見てきましたが凄く臭くて……』
「下水溝……。そこを通れば、外にいけるかしら?」
『えっ? で、ですから、とても臭くて――』
「よし! 作戦は決まったわ!」
『あ、あの、冬華様……』
完全にセルフィーユの言葉を無視して、冬華は拳を突き上げ、「脱獄するわよ!」と叫んだ。その言葉にセルフィーユは『とーかさまー』と涙を流しながら小さく叫び、クリスはただただ目を丸くしていた。
そんな空気の中、一人笑う冬華に、隣りの牢屋から一つの声が返事をした。
「そいつはいいなぁ。オイラもその計画に参加するぜぇ」
ニシシッと笑う声が聞こえ、冬華が首を傾げた。
「あれ? 今、変な声聞こえなかった?」
「いえ。私には何も」
『私もです』
クリスとセルフィーユの両者共、その声を否定した。すると、更に隣りの牢屋から声が響いた。
「うぉい! 今、完全に聞こえてただろ! 無視すんなよ!」
「はいはい。冗談よ。冗談」
「いえ。私は本気でした」
『私もです』
冬華の発言に対し、真顔でそう答えるクリスとセルフィーユに、隣りの牢屋から「ふざけんなぁー」と叫び声が聞こえたが、冬華はそれを無視し、話を進める。
「とりあえず、この牢屋から出る方法を考えないと……」
『見た感じ、普通の鉄格子の様なので、クリス様の力があれば、普通に壊せるかと』
と、セルフィーユがクリスに目を向け、冬華も遅れてクリスの方に目を向けた。だが、その両腕を拘束する錠を見て、唸り声を上げ、
「うーん。とりあえず、クリスの力で脱獄ってのは無理かなぁ」
「はうっ! も、申し訳ありません……」
ガクリと両肩を落とすクリスに「あはは」と、苦笑した冬華はもう一度セルフィーユに目を向け腕を組んだ。
「やっぱ、隣人の力は必要よね」
『り、隣人ですか?』
冬華の発言に、ちらっと隣りの壁を見据えたセルフィーユが、胸の前で両手をイジイジとさせ、『で、でも……』と、小さく呟いた。おびえた様子のセルフィーユだが、それもそのはずだった。先程の声の主でもある隣人とは、この城に一人で乗り込んだ魔族の少年の事だったからだ。
確かに、彼の力は凄まじく、素手で頑丈な鎧を砕いてしまう程。しかし、その力を目の当たりにしているザビットが、彼の力を拘束しないはずも無く、彼は現在手足に錠とかけられ、鎖で壁に繋がれている状況だった。
そんな事とは知らない冬華は、腕を組んだまま「うーん」と声をあげ悩み続けていた。その事を知っているセルフィーユは何度もその事を切り出そうとするが、いまいちタイミングがつかめずこちらも『ううーっ』と声を上げていた。
それから、どれ位の時間が過ぎたのか、何度目かの見回りが牢の前を通過した頃、隣りの牢屋から不気味な金属音が響きだした。
「な、何?」
「ったく。いつまで待たせんだよ」
魔族の少年の声が聞こえ、鎖がはちきれる澄んだ音が響き、続けて何か重いモノが落ちる音が聞こえた。
「いってー。何だよ。結構脆いじゃんか。てか、足ぶつけた……」
少年の声が聞こえたかと思うと、今度は金属が軋む音が聞こえ、少年の唸り声がこだまする。
「な、何? 一体、何してんの?」
『え、えっと、わ、私が見て――』
セルフィーユがそこまで発言してすぐだった。隣りの牢屋で金属の倒れる音が響き、土煙が廊下に舞い上がったのは。その物凄い音に、見回りの兵士が気付かないわけも無く、廊下の向こうから「何だ! 何だ!」と複数の兵士の声が聞こえ、まばらな足音が近付いてくるのが分かった。
舞い上がった埃に、咳き込む冬華とクリスの前に、伸びをしながら姿を見せたのは魔族の少年だった。
「いやぁー。案外、簡単に出られるもんだな。あははは!」
大声で笑っていると、そこに五・六人程の兵士が到着し、声を上げる。
「き、貴様! どうやって!」
「どうやってって。そりゃ、力で引きちぎっただけだ。脆すぎんじゃねぇ?」
と、腕を拘束していたであろう錠を床へと投げた。完全に真ん中から真っ二つに割れたその錠を見て、兵士の一人が「ひっ!」と声をあげ後退った。その他の兵士達も僅かに体を震わせるが、それを押し殺す様に持っていた槍を構える。
「き、貴様! こ、ここから逃げられると――」
「おい。お前達。オイラに力を貸してくれんなら、そこから出してやってもいいぞ」
兵士の声など無視して、鉄格子の向こうに居る冬華にそう投げかける。真っ直ぐな目を向けて。その目を真っ直ぐに見据えた後、冬華は静かに瞼を閉じた。そんな冬華に、両腕を拘束されたクリスは、
「こんな奴の言葉を信じてはいけません! 魔族など、平気で人を殺す様な奴です!」
と、猛反対する。セルフィーユも同じ気持ちだった。だが、何も言わずただ冬華の言葉だけを待った。ただ強く拳を握り締めて。