第119話 緊急クエスト
雪の積もった石畳の道を、馬車は順調に進む。
相変わらずクマはのん気に鼻歌を口ずさみ、荷台では静かな空気だけが漂っていた。
すでに二週間ほどが過ぎ、ヴェルモット王国の王都も目前に迫っていた。
クリスは手持ちの剣を全て転送し、手入れを進めていた。と、言っても双剣の片方は刃が砕け、いつも使う剣も刃に亀裂が生じ使い物にはならない状態だった。
一方で、荷台の隅で精神統一を行うのはシオだ。何も話さずただひたすら額に汗を浮かべ精神力を練り上げていた。
各々が静かに時を過ごす中、冬華もまた静かに考えを張り巡らせていた。これからの事を考えていた。王都に行って何をすればいいのか、まだ分かっていない。どうして、この中の誰かが死ななきゃいけないのか、それも分かっていない。
ただ、今回は最も大きな戦いが起こる。そうヴェリリースは予言していた。そして、冬華自身も妙な胸騒ぎを感じていた。何か大きな事が起きるそんな予感がしていた。
膝を抱え、小さく吐息を漏らす冬華は、目を細め眉間にシワを寄せる。
そんな折だった。突然、馬車が急ブレーキを掛け、激しく荷台が揺らぐ。突然の事に横転するシオは額を床へと強打し、床に置かれたクリスの剣は壁へと突き刺さった。
「な、何だ!」
クリスが声をあげ立ち上がり、冬華もよろめきながら立ち上がる。
「クマちゃん! どうかしたの!」
「クマーッ! クマはクマです!」
冬華の声に対し、クマがそう返答する。いや、冬華へ対しての返答ではなく、外に居る者に対しての返答だった。
その言葉で、冬華達は外に誰かが居るのだと気付く。警戒心を強める三人に対し、外からクマとは別の声が響く。
「お、お前なんだ! な、何でぬいぐるみが喋ってんだ!」
「く、く、クマーッ! クマはぬいぐるみじゃないです!」
クマの発狂する声にシオは右拳を壁へとぶち込む。土の壁が音をたて砕け散り、冷たい風が一気に室内へと流れ込んだ。
「うおっ! サムッ!」
暖かい室内に居た為、薄着だったシオが冷たい風に思わず声をあげ、身を震わせる。そのシオの行動に、クリスは呆れた表情を見せ、深くため息を吐きながらコートを羽織った。冬華もすぐにコートを羽織ると、クリスと顔を見合わせ壁に空いた穴から外へと飛び出す。
雪の上へと着地した冬華とクリスは、すぐにクマの下へと向かった。そして、二人は見覚えのある者達の姿に、思わず声を上げる。
「じぇ、ジェス!」
驚きの声を上げた冬華へと、真紅の髪を揺らす男が顔を向ける。
「なっ! 冬華! それに、クリス! な、な、何で、お前がここに?」
驚愕する真紅の髪の男ジェスの声に、冬華もクリスも訝しげな表情を浮かべる。
「それは、こっちのセリフだ! 何で、貴様がこんな所に居るんだ!」
クリスが声を荒げ、白銀の髪を振り乱す。
遅れて、その場に現れたシオは、身を震わせ細めた目でジェスを見据える。
「うぐぐっ……ギルドマスターが山賊に成り下がったのか?」
「くっ! 貴様! マスターを愚弄するきか!」
蒼い短髪を揺らす若い男が、腰にぶら下げた四本の剣の一本へと手を伸ばす。しかし、その動きをジェスが右手で制する。
「落ち着け。単なる冗談だ。真に受けるな」
「しかし!」
唇を噛み締め、言葉を呑む若い男は、諦めた様に息を吐き構えを解く。その若い男の姿に、冬華は微笑し、クリスは苦笑した。
「大分、お前の部下として馴染んでいるじゃないか」
「まぁな。それより、どうしてこんな所に居るんだ? お前ら」
クリスの言葉を無視し、ジェスがそう言う。僅かに不快そうな表情を見せるクリスだが、そこはグッと堪え引きつった笑みを浮かべ告げる。
「私達は、王都に向かっていてな。それより、貴様らはどうしてここに居るんだ?」
「王都に向かってるのか……そうか。なら、ついでに乗せて行ってくれないか?」
腕を組んでいたジェスが、にこやかにそう言うと、クリスの額に青筋が浮かぶ。質問に答えているのに、こちらの質問に全く答えようとしないジェスに対する怒りだった。
怒りを宿した笑みを浮かべるクリスの威圧的で好戦的な眼差しに、ジェスはぎこちなく顔を動かしクリスから視線を外す。
冬華も隣りから感じる威圧的な空気に、とてもじゃないがクリスの方に顔を向ける勇気がなかった。
身をちぢ込ませるシオは、猫背になりながら冬華の隣りに並ぶと、ジト目をジェスと若い男へと向ける。
「で、山賊に成り下がったギルドマスターのジェスが、どうしてここに居るんだ?」
「えっ? ……シオ? ジェスの事、覚えてるの?」
シオの突然の発言に冬華が思い出し呟く。すると、シオの動きが停止し、クリスも怒りが醒め動きを止めた。動きを止めた二人に冬華が小さく小首を傾げ、状況を理解できていないジェスは若い男と顔を見合わせる。
そんな中、暫しこの光景を傍観していたクマが、キョトンとした顔で口を開く。
「皆さん知り合いなんですか? クマ、てっきり山賊で身ぐるみはがされると思ったです!」
(身包み?)
(いや……お前はぬいぐるみじゃねぇーか)
若い男とジェスがジト目をクマへと向ける。
しかし、クマは気にした様子は無く「クマママ」と照れ笑いを浮かべる。
ぎこちなく引きつった笑みを浮かべるシオは、とりあえずその場を流す様に、静かにジェスへと尋ねる。
「そ、そ、それ、それで……どうしてここに?」
「ねぇ、私の声、聞こえてるよね?」
質問に答えないシオへと、冬華は頬を膨らし尋ねる。だが、シオは聞こえていないと言うように金色の獣耳を完全に塞いでいた。
その態度に不満そうな表情を浮かべる冬華は、隣りに並ぶクリスへと目を向ける。その視線にクリスはビクッと肩を跳ね上げると、視線を逸らした。
ムッとした表情を見せる冬華は、白い息を吐くと視線を逸らし静かにジェスへと視線を向ける。この様子だと誰も答えてくれないと判断したのだ。その為、話を進める事にした。
「で、どうしてジェスはここに?」
「えっ? あぁ……俺らは……まぁ何だ……」
「撃墜されたんです」
口ごもるジェスに代わって若い男が静かに答える。
撃墜と言う言葉に、冬華は呆れた眼差しを向ける。何を言ってるんだろうと言う顔で、冬華はジェスと若い男を見据えていた。その冷ややかな眼差しに、ジェスは表情を引きつらせる。
「い、いや、マジで撃墜されたんだよ」
「誰に?」
「恐らく、竜王プルート……かな?」
「何で?」
「う、うーん……多分、偵察されてる……とか、思われたからかな?」
「ふーん……で、その撃墜されたって言うモノは?」
冷ややかな口調で問う冬華に、ジェスは圧倒されていた。そんなジェスに代わり、若い男は吐息を漏らし答える。
「飛行艇は魔族側の領土へと墜落し、自分とマスターは緊急脱出ポットで脱出したのですが……」
「まさか、それも撃墜されてここに居るとか、言わないよな」
シオが笑いながらそう言うと、ジェスと若い男の言葉が途切れる。その反応に、その場に居た皆が理解する。
(図星だったんだ……)
冬華は苦笑し、
(運の無い奴らめ……)
呆れ顔でクリスは二人を見据える。
困り顔で頭を掻くジェスは、真紅の髪を揺らし「はっはっはっ」と笑った。そんなジェスを横目で睨む若い男は、深くため息を吐き肩を落とした。
「とりあえず、これが、自分達がここに居る理由です」
「ここに居る経緯は分かったけど、どうしてこの大陸にいるのかって言う答えにはなってないよね?」
冬華がそう言うと、若い男は顔をしかめた。
そして、その男に代わり、ジェスが静かに答える。
「アース。隠し事はなしだ」
「しかし! これは、機密事項――」
「彼女達は信頼出来る。それに、色々と借りもあるからな」
ジェスが穏やかに微笑む。その笑みに、アースと呼ばれた若い男は瞼を伏せると、鼻から息を吐く。
「分かりました。マスターはあなたです。自分は、あなたの判断に従います」
小さく会釈したアースは、一歩下がり口を噤んだ。
そして、ジェスは冬華へと真剣な眼差しを向け、告げる。
「今回、俺達のギルドに――いや、連盟に非加盟のギルド全てに緊急クエストが発令されたんだ」
「緊急クエスト?」
冬華が首を傾げ、クリスへと眼差しを向ける。すると、クリスは口元へと右手を添え、静かに口を開く。
「緊急クエストとは、通常クエストと違い、急を要するクエストで……」
「基本的にそう言うクエストってのは重要視され、ギルド連盟が早急に対処して欲しい時などに発令されるクエストでな。しかし、今回はわけが違う」
「非加盟のみに発令された緊急クエストか……で、どんなクエストなんだ?」
シオが興味津々に尋ねると、ジェスは言い辛そうに息を吐き、渋々答える。
「このクエストの依頼主は、ヴェルモット王国、現国王……ヴォルガだ」
「ま、待て! 国王の緊急クエストって! まさか!」
驚愕し、声を荒げるクリスに、冬華は不思議そうに眉間にシワを寄せた。何をそんなに驚いているのか分からなかった。
一方で、シオは呆れた様子で吐息を漏らすと、ジト目をジェスへと向ける。
「で、どれ程の報酬で、あの龍魔族の相手をさせられるんだ? まぁ、あんたらが来てるって事はよっぽどの報酬なんだろ?」
腕を組み意味深にそう尋ねるシオに、ジェスは肩を竦め頭を振る。
「残念だが、俺らは不参加だ。幾ら報酬が高くても、龍魔族を相手にして命がある保障は無い。
と、言うか、見ての通り、飛行艇すら一撃で撃墜する力を持つ相手に、幾ら報酬を積まれても挑む程バカじゃねぇよ」
「だよな」
ジェスの答えに、シオが半笑いでそう答えた。
二人のやり取りに、未だ状況を理解出来ていない冬華は首を何度もかしげ、「えっ? えっ?」と声を上げる。クリスは、そんな冬華に困り顔で微笑し、今の状況を簡潔に教えた。
「王国からの緊急クエストで、ギルド連盟に非加盟のギルドへと発令されたと言う事は、恐らく徴兵ですよ」
「ちょう……へい……って、ま、まさか、せ、戦争!」
冬華が声を上げると、クリスが小さく頷く。苦笑するシオは「気付くのおせぇーよ」と右手で頭を掻いた。