第117話 命運をまわす歯車
クマが出て行き、静まり返った応接間で、ヴェリリースは穏やかに語りだした。
弟子であるデュークを町に行かせたのは、英雄として召喚された冬華の心と力量を測る為のモノだった。もちろん、デュークはそうだとは知らず、本当に師匠であるヴェリリースが倒れたモノだと思っていた。その為、急いで町へと駆け出したのだ。それだけ、デュークがヴェリリースを慕っている証拠だった。
だが、ヴェリリースは冬華がここに来る事を知っていた。そして、それを追ってクリスとシオがやってくる事も。だからこそ、庭園に土人形を仕込む事が出来たのだ。
その土人形も、クリスとシオの力量を測るものだった。
「まぁ、あの力なら合格だね」
お腹の上で手を組み背もたれにもたれるヴェリリースがそう告げ、静かに笑う。その笑い声に、シオは表情を引きつらせ、横目でクリスを見据える。その視線にクリスは気付き、肩を竦め息を吐いた。
ヴェリリースが何を考えているのか、二人にはさっぱりわかっていなかった。
部屋の隅でニコニコと笑みを浮かべ佇むデュークに、ヴェリリースは左手を上げる。
「デューク。アレを持ってきな。今から、予言を始めるよ」
「はいっ!」
元気よく返事をするデュークは慌てて部屋を後にする。その姿を見送り、冬華は不思議そうな顔をヴェリリースに向ける。
「あの……予言て?」
「ああ。私は洋館の魔女と言われてるけどね。元々、予言者でね。これで、結構な的中率を誇っているよ。
白銀の英雄と呼ばれた彼女も、黒衣の異端者と呼ばれた彼も、結局、私の予言通りになってしまったよ」
一瞬見せたヴェリリースの悲しげな顔に、冬華は怪訝そうな表情を浮かべた。クリスもその言葉に表情を険しくする。
白銀の英雄。それが十五年前の英雄を指していると言う事は分かったが、黒衣の異端者と言う人物が誰なのか、疑問を抱いたのだ。
だが、そんな二人と違い、シオは唇を噛み締め、怒りの滲んだ眼差しを向ける。シオの中で、黒衣の異端者と呼ばれるのが、あの魔術師や遅れる弾丸を撃つモノだと言う考えがあったのだ。
そんな怒りを滲ませるシオに対し、ヴェリリースは呆れた様に息を吐き答えた。
「残念だけど、黒衣の異端者はあんたの考えている人物じゃないよ。彼は、魔族の為に――いえ、この世界の為に必死に戦いぬいた男よ。まぁ、結果は――」
ヴェリリースが言葉を呑んだ。俯き深く息を吐き出したヴェリリースは、静かに顔を挙げ冬華を真っ直ぐに見据える。赤い瞳を真っ直ぐに向けられ、冬華は唾を呑み込む。妙に緊迫した空気が辺りを支配していた。クリスもシオもその圧倒的とも言える威圧感に動く事が出来なかった。
そんな折だった。部屋の扉が開き、満面の笑みを浮かべたデュークが戻ってきたのは。
「水晶、取ってきました!」
明るいデュークの声に、ヴェリリースは微笑する。
「ありがとう。それじゃあ、そこに置きなさい」
ヴェリリースにそう言われ、デュークは水晶をガラス張りのテーブルに置いた。薄気味悪く輝く水晶に、冬華達三人の眼差しが向けられる。だが、ヴェリリースは水晶へと黒の布を被せた。そして、静かにその布へと両手をかざす。
「さぁ、予言を始めようか。どんな結果になるかは……分からない。だが、きっとあなた達の役に立つわ」
ヴェリリースがそう告げ、瞼を閉じた。すると、部屋の明かりが暗くなり、ガラス張りのテーブルの下から光が漏れる。青白い光が足元を照らし、冬華は不安げに足元を見据えていた。
静かな時が流れ、張り詰めた空気が部屋を包み込む。魔力の波動が布の下から色濃く放出される。その光景に、クリスとシオは息を呑む。これ程はっきりと魔力の波動を視覚で捉える事は、本来不可能とされている。
それが、クリスとシオにはっきりと見えると言う事は、それだけ濃く純度の高い魔力が放たれている証拠だった。
息を呑むクリスとシオの視線はゆっくりとヴェリリースへと向けられた。
意識を集中し、魔力を注ぐヴェリリースが、薄らと開いた唇から息を吐き出す。そして、閉じられていた瞼が、ゆっくりと開かれた。
赤い瞳は薄らと輝く。その輝きに、冬華を始めクリスもシオもただ驚き、瞳孔を広げた。そんな三人に、ヴェリリースは静かに告げる。
「まず、この大陸で起きる結論を教える。この中の誰かが――死ぬ」
「――ッ!」
「くっ!」
「なっ!」
驚く三人に、更にヴェリリースは告げる。
「災厄はすでに動き出している。光はやがて闇にへと染まり、世界は混沌へと包まれる。
黒き破壊者の目覚めにより、白き力は失われ、世界は崩壊へと進む」
ヴェリリースが意味深な言葉を述べ、口を噤む。静まり返ると、部屋の明かりが灯る。そして、ヴェリリースの口から静かに息が吐き出され、やがて落ち着いた眼差しが冬華へと向けられた。
「それから、あなたの世界に帰る方法も、一応予言で出ているけど……聞きたい?」
複雑そうな表情で、ヴェリリースがそう尋ねた。その言葉に、冬華の胸の奥で何かはねる。帰る事が出来る。そう思うと胸が高鳴る一方で、申し訳ないと言う気持ちに襲われる。それは、先のヴェリリースの予言を聞いたからだった。
この中の誰かが死ぬ、と言う予言と、意味深で不吉な予言の二つ。そんな予言を聞いた後で、帰る方法が見つかったからと素直に喜べるわけがなかった。
だが、そんな冬華の複雑な気持ちとは裏腹に、クリスは嬉しそうに声を上げる。
「本当か! 冬華が帰る方法があるのか!」
「えぇ。あるわよ? ただ、私のあくまで予言で、詳しい方法は分からないけどね」
「なら、教えてくれ! 私達は帰る方法を探して――」
「待って!」
冬華が突如声を上げた。その声に、クリスは驚き、シオも訝しげな表情を向ける。
しかし、ヴェリリースだけがその言葉を予期していたのか、口元に薄らと笑みを浮かべた。そして、ふっと息を吐き、小さく頷く。
「ど、どうしたんですか? 冬華? 帰る方法が――」
「そりゃ、帰る方法が分かるのは嬉しいけど……あんな事聞かされて、一人だけ浮かれるわけには……」
戸惑う冬華の姿に、クリスは困った様に眉を八の字に曲げ、吐息を漏らす。呆れていた。こんな状況でも、自分の事よりも他の人の事を考えている冬華に対して。
「冬華。そんなに他人の事ばかり考えないで、自分の事をもう少し考えてください。
私達の目的は、あなたを元の世界に帰す方法を探す事なんですよ?」
「う、うん……分かってるけど……でも、私は、このまま元の世界には帰れない! まだ、私にはするべき事……あるんだよね!」
冬華が強い眼差しをヴェリリースへと向けた。その言葉、その眼差しに、ヴェリリースは静かに笑みを浮かべ頷く。肯定したヴェリリースに、クリスは眉間にシワを寄せた。今までも多く傷付き、多くの者を救ってきた冬華に、これ以上何をさせようと言うか、とヴェリリースを睨む。
だが、そんなクリスの視線に、ヴェリリースは穏やかな眼差しを向ける。
「これは、この世界の命運を決める事。彼女も、あなたも、そして、彼も、ただ一つの歯車に過ぎない」
「くっ! だったら、冬華が居なくとも――」
「いや。違うね。歯車にも大きさがある。そして、彼女は多くの歯車を結び、動かすとても大きな歯車。
英雄として彼女がここに呼ばれた理由、ここに今存在する理由、それは、多くの者を導き、動かす為」
ヴェリリースが右手を冬華の方へと向け、そう告げた。その言葉にクリスは奥歯を噛み締める。そして、シオは強く拳を握り締め震わせる。
二人共同じ気持ちだった。これ以上、冬華が苦しむ姿を見るのは嫌だと言う。その為、二人の体から殺気がヴェリリースへと向けられていた。
しかし、ヴェリリースは表情一つ変えず、神妙な面持ちで二人を見据えていた。一方で、彼女の弟子であるデュークはいつの間にか、部屋から消えていた。音も無く、静かに。そして、その事に気付いている者は誰も居なかった。
「ふざけるな!」
声を荒げ、シオが椅子から立ち上がる。遅れて、クリスも右手にひび割れた剣を転送した。
「クリス! シオ! やめ――」
冬華が止めようと立ち上がる。だが、その刹那――轟音と共に突如、壁から突き出した大きな手がクリスとシオの体を握り締めた。
「ぐっ!」
「な、何だ! これ……」
完全に体を拘束され、身動きの取れない二人にヴェリリースが静かに立ち上がる。
「キミ達は、気付いていたかね? 私の弟子であるデュークが消えた事に?
気付いていたかね? デュークがすでにキミ達の動きを拘束するために動いていた事に?」
その言葉にクリスもシオも表情を歪めた。言われて初めて気付く。デュークの姿がその場に無い事に。デュークの魔力の波動が壁から生えた腕から放たれている事に。
その手から逃れようと身をよじるシオの姿に、ヴェリリースの殺意にも似た眼差しが向けられる。
「キミ達は自分の立場を分かっていない。先程の話の意味を理解しようともしない。
彼女がどんな境遇に立たされ、どんなに傷付いたのか知らないわけじゃない。けど、これは、この世界全てに係わる事だ」
「だからって、何で異世界の冬華が、こんなに苦しまなきゃいけねぇんだ! この世界の事なら、この世界の人が――」
「この世界の者じゃ変えられない程、強大な力がその歯車を動かしているんだよ!」
シオの声を遮る荒々しいヴェリリースの言葉。その言葉に、シオは息を呑む。
そんな重苦しい空気の中で、冬華は右手に槍を転送すると、クリスとシオを掴む岩の腕を破壊した。乾いた音が響き、二人は拘束から解かれ、よろよろと距離を取る。
そして、冬華はクリスとシオの前に佇み、動きを制止する。
「とりあえず、話を聞こう。帰る方法も含めて」
真剣な表情で冬華はそう告げ、右手に握っていた槍を消した。その行動にクリスは渋々剣を消し、シオは唇を噛み息を深く吐いた。