第114話 消えた冬華の行方
クリスとシオの周りにはいつしか人だかりが出来ていた。
流石に剣を抜いていれば、騒動にもなりこの港町の警備隊が出動していた。それにいち早く気付いたシオは、慌ててクリスの腕を引き裏道へと入りその場を後にした。
幸い、人だかりが出来ていた為、警備隊がその場に到着するまで時間が掛かり、十分逃げる事が出来た。
人通りの少ない路地でようやくシオはクリスの手を離し、深く息を吐いた。クリスの手に握られていた剣はいつしか消え、もの悲しげな表情がだけがクリスには残されていた。
それから、クリスが通常の状態に戻るまで少し時間が掛かり、二人が宿へと戻ったのは一時間後の事だった。
しかし、宿に戻ってすぐ、クリスとシオは異変に気付いた。部屋に居るはずの冬華の姿がなかったからだ。そして、シオは思い出す。先程、クリスと騒動を起こした時に聞いた野次馬の言葉を。
“また、何の騒ぎ?”
これは、シオとクリスが騒ぎを起こす前にも、何か騒ぎがあった事を示しており、恐らくその中心に冬華がいたのだと、二人は判断する。
「くっそっ! あんな事してる場合じゃなかったんじゃねぇーか!」
シオが怒声を響かせ、部屋の壁を左手で殴った。壁には僅かな亀裂が走り、微量の粉が散る。苛立つシオに対し、腕を組むクリスは冷静な口調で告げる。
「落ち着け」
「落ち着いていられるか! 今の冬華は不安定なんだぞ!」
「そうさせたのは誰だ? 他でも無い私達だ。お前の記憶喪失に、クレリンスでの出来事、全て私達の責任じゃないか」
キッとシオを睨んだクリスがそう言い放つ。もちろん、シオもそんな事は百も承知している為、唇を噛み締め言葉を呑んだ。
部屋の中央で腕を組むクリスは頭の後ろで留めた白銀の髪を僅かに揺らし、俯く。そして、鼻から息を吐くとシオへと体を向けた。
「行くぞ」
「行くって何処に?」
キョトンとするシオに対し、クリスはニット帽を投げる。
「決まっているだろ? 情報を集める。まず、何があったのか、この宿に宿泊している者なら見ていたかもしれんからな」
クリスがそう言うとシオは「そうだな!」と真剣な表情で声をあげ、受け取ったニット帽を深く頭に被った。
それから、二人は宿の宿泊客の部屋を回り、この近くであった騒ぎについて聞いて回った。しかし、得られる情報は、先程クリスとシオが起こした騒動ばかりだった。流石にあの光景は衝撃的で、強く記憶されている様だった。
宿の一階にある食堂で困り果て座り込むクリスとシオは、テーブルを挟み深いため息を同時に吐いた。
「くっそ……お前が、あんな騒動起こすから、そっちの方の事ばっかりじゃねぇーか!」
シオが苛立ちからそう声を上げると、クリスがその顔を鋭い目付きで睨む。
「そもそも、お前が嘘を吐いていたからだろうが! 何で全て私の所為にしてるんだ!」
シオの言葉にクリスが声を荒げる。すると、食堂に居た客の視線がまた二人へと集まる。
「あれって、さっきの連中じゃ……」
「まだやってる……」
「いい迷惑だな」
呆れた様子の声が聞こえ、クリスもシオも冷静になる。今は争っている場合ではないと自分に言い聞かせたのだ。
互いに沈黙し考え込んでいると、一人の若者が恐る恐る二人の方へと近付く。
「あ、あの……」
震えた声を振り絞りそう発言した若者にクリスとシオは苛立ちからか思わず鋭い視線を向けた。
「ヒイッ!」
悲鳴の様な声を上げたその若者に、クリスは慌てて笑みを作った。
「注文かい? ごめん。まだ、決まっていないんだよ」
その若者へと、クリスは穏やかな口調で返答した。そう返したのは、彼がこの食堂の見習いウェイターだと服装で分かったからだった。だが、その若者は周囲を確認する様に見回してから、小さく首を振る。
「い、いえ、あの……そうじゃなくて……」
明らかにおびえた様子の彼の態度に、クリスとシオは思わず顔を見合わせ、首を傾げた。
見習いウェイターである彼は昼過ぎ、買出しに出ていた。そして、宿に戻ってすぐ事件に遭遇した。宿の前で蹲るみずぼらしい格好の少年を宿の主人が足蹴にしていた。何があったか、買出しに出ていた為、彼は詳しく知らない。だが、この少年が魔族で、この町の外れにある魔女の巣食う悪魔の洋館から来た少年だと言う事だけは分かった。それは、少年の耳が尖り、肌が褐色がかっていたからだ。
宿の主人が何度も魔族の少年を足蹴にしていた。蹲り両腕で頭を守る様に抱えながら、魔族の少年は何度も懇願していたのを、彼は覚えていた。その悲痛の叫びが鮮明に耳に残っていた。
助けたいと思ったが、勇気が出ず動く事が出来なかった。そんな折だった。宿から飛び出してきた少女が、宿屋の主人を突き飛ばしたのは。それから、何か言い争いをした後、彼女は魔族の少年と共に宿の前から逃げる様に去っていた。
恐らく、その魔女を救う悪魔の洋館へと向かったものだと、彼は推測した。
見習いウェイターの話を聞き、クリスとシオはその少女が冬華であると確信した。大きくため息を吐いたシオは、右手で頭を抱える。そして、クリスは腕を組んだまま小さく息を吐きその若いウェイターに小さく頭を下げた。
「ありがとう。おそらく、キミの見た少女が私達の探している娘だよ」
「そ、そうですか……すみません。お、俺……」
申し訳なさそうな少年の姿に、クリスは右手の手の平を向け、言葉を制する。
「いいんだ。何も言わなくても。君の立場は分かっているよ。この情報をもらえただけでありがたいよ」
少年へとクリスは微笑する。人間である彼にとって、この場で魔族をかばえば、この先ここで働く事が出来なくなるだろう。その為、彼が言おうとした言葉を遮り、更に周囲の人達に気取られぬ様に、静かに立ち上がり、肩を叩いた。
「では、忠告ありがとう。以後、気をつけるよ」
と、周りの人達に聞こえる様にクリスは一言述べ歩き出す。そんなクリスに続き、シオも静かに席を立つ。そして、鼻から息を吐き出し背筋を伸ばしてから、ウェイターの肩を叩く。
「あんがとな」
小声でそう告げ、シオはクリスの後へと続いた。
若いウェイターはその場で呆然と立ち尽くしていたが、すぐに二人へと振り返り深々と頭を下げた。感謝の念を込めて。
宿から出たクリスはホッと息を吐き、肩を落とした。とりあえず、冬華が何処に向かったのかは分かったが、その場所が噂どおりなら最悪の場所だと言う事も同時に理解した。
この人間の地で唯一国が手出しできぬ魔人族である魔女が住む洋館。全貌は分からないが、噂では乗り込んだ王国軍は誰一人帰らなかった場所だと言う事を耳にしていた。
その為、クリスの気は重かった。
「さて、行くべき場所は分かったが……どうする?」
シオがクリスへとそう尋ねる。肩を落としていたクリスは、大きく息を吐き出し小さく頷く。
「そうだな……。しかし……魔女か……」
眉間にシワを寄せ目を細める。この王国の軍が手を出せないその魔女と呼ばれる魔人族が気になった。一体、どれだけの魔力を秘め、どれ程の能力を持っているのか。そして、そんな彼女の下へと行った冬華が無事だろうかと、胸騒ぎがした。
一方、軽く屈伸運動をするシオは、気にした様子は無く穏やかな表情をクリスへと向けた。
「どうしたんだ? そんな怖い顔して?」
「いや……。魔女と呼ばれる程の魔族が、どうしてこんな人間の領土に居るのか、と、思ってな」
クリスの当然の疑問に対し、シオはキョトンとした表情で答える。
「そりゃ、魔族の土地に人間が暮らしている事だってあるし、魔族の中にも魔族よりも人間が好きだと言う人種も居るからな」
頭の後ろで手を組みそう告げたシオに、クリスは複雑そうな表情を浮かべる。
シオの言う通り、魔族の中には人間が好きだと言って、隠れて人間と共に暮らしている魔族も多い。しかし、この魔女と呼ばれる者は明らかに隠れていないし、身分を隠すつもりも無いと言う事が分かる。その為、不安だけが胸の中を渦巻く。
「戦闘になるかもしれないけど……武器は大丈夫か?」
シオの言葉にクリスは小さく頷く。
「あぁ。大丈夫だ。それに、この町じゃ私の探している剣は置いていない」
「ふーん。やっぱ、お前の使う剣って特注なのか?」
シオが不思議そうに尋ねると、クリスはまた小さく頷いた。
「そうだな。私の剣は火の魔石を通常よりも多く使用している。だから、高熱を保つ事が出来る」
クリスが簡潔に説明し、ゆっくりと歩き出す。シオは納得した様に何度か頷き、クリスの後を追って歩き出した。