第112話 失いたくない
アレから一週間が過ぎ、冬華達はフィンク大陸に到着していた。
大陸の東にあるそこそこ大きな港町に冬華、クリス、シオの三人はおろされた。
パル率いる海賊船は、すぐに出航した。一応、海賊と言う事もあり、町の人達に歓迎されなかったのだ。
当の本人達はあまり気にした様子はなかったが、冬華はそれが申し訳なく思っていた。
海賊船から降りた三人への町の人達の対応は冷たいモノだった。それでも、何とか今日の宿を取る事は出来、冬華はベッドの上で膝を抱えていた。
予算的な問題で、今回も三人一部屋だが、今回はいつもと違い、空気が重かった。ムードメーカーだった冬華が、未だ本調子では無いと言うのがその原因だった。それ程、クレリンス大陸で使用した神の力の影響が大きく出ていたのだ。
着ていた厚手のコートを脱いだクリスは、深く息を吐き椅子へと腰掛ける。そして、縁に雪の積もる窓へと目を向け、深刻そうな表情を見せた。
季節は夏だと言うのに、フィンク大陸の気温は低く、未だに雪が降り続いていた。
その寒さが影響してか、ソファーで横たわるシオは、その身を震わせ青ざめた顔をしていた。基本的に温暖な場所で生活する獣魔族にとってこの寒さは厳しいモノだった。
カタカタと震えるシオの姿に、クリスは呆れた様に肩を落とすと、その視線をベッドの上の冬華へと向ける。
思いつめた表情の冬華は、抱えた膝に顎を乗せジッと一点を見つめていた。何を考えているのかクリスには分からないが、その瞳の奥に悲しさを感じていた。こう言う時、どうすればいいのか、なんと言えばいいのか、クリスはずっと考えていた。だが、何も浮かばず、自分自身が情けなく思う。
そんな最中だった。
「よしっ!」
と、声をあげた冬華がベッドから飛び降り立ち上がったのは。
突然の冬華の行動に、呆然とするクリスとシオは、目を丸くしていた。硬直する二人の視線を浴びる冬華は胸の前で拳を握る。そして、大きく息を吐き出す。
「大丈夫! 大丈夫! もう、大丈夫!」
大声でそう言い放つ冬華に、更に目を丸くする二人。遂に何処かおかしくなったのか、とシオは体を起こし不安そうな眼差しを向ける。一方で、クリスも突然の冬華の奇怪な行動に不安げな眼差しを向けていた。
そんな二人とは裏腹に、何かを吹っ切った様子の冬華の顔には前の様に笑みが浮かんでいた。明るく周りの雰囲気も変えてしまうその笑顔に、不安げだったクリスとシオの表情は安堵に緩む。
重苦しかった部屋の空気も、穏やかに変り何処か暖かくなった。
冬華が元通りになり、安堵するシオだが、クリスは何処か違和感を感じていた。いつもと同じに見えるが、何処かいつもと違うそんな気がしていたのだ。それが何なのか分からず、クリスは怪訝そうに眉をひそめる。
しかし、その答えは出ず、クリスは困った様に右手で頭を掻いた。白銀の髪の一本一本が煌びやかに揺れ、クリスの指の合間を抜ける。
「どうかした? クリス」
クリスの行動に、冬華がその顔を覗きこみ尋ねる。その不安そう冬華の顔に、クリスは慌てて微笑し答える。
「だ、大丈夫ですよ。私は。それより、もう大丈夫なんですか?」
「うん! 平気平気! ウジウジ考えててもしょうがないって。ミィちゃんにも言われたから。
それに、クリスやシオに、いつまでも心配掛けるわけにはいかないから」
えへへと、笑う冬華にクリスもニコッと笑みを浮かべた。
部屋に備え付けられた暖炉の前に移動したシオは、焚き木を放り入れながら静かに口を開いた。
「それより、これからどうするつもりなんだ? このフィンク大陸の事は知ってるだろ?」
シオが目を細め、静かに尋ねる。シオがそう尋ねたのには理由があった。このフィンク大陸では人間と魔族の土地がくっきり真ん中で分かれている。現在居る大陸の東側は国王ヴァルガが納めるヴェルモット王国で、人間の土地となっている。
そして、大陸の西側は竜王プルートが納めるグランダース王国。魔族では唯一王国を名乗っている土地だ。龍魔族を中心とした国家で、魔人族、獣魔族を白眼視している所がある。その為、龍魔族以外の魔族も、この国では肩身の狭い想いをしているのだ。
腕を組むクリスは、目を伏せうな垂れる。先も言ったとおり、この国は人間と魔族の土地がくっきりと分かれている。それが何を意味するかと言うと、人間も魔族も、互いを敵視しており、互いの地に侵入した事を知られると、危険だと言う事だった。
現在、ここには獣魔族であるシオが居る。人間の土地に、だ。見つかれば、間違いなく冬華もクリスも捕らわれるだろう。下手をすれば、スパイとし処刑されるかも知れない。そう言う状況だった。
大してこの国の情勢、状況などには興味が無いシオだが、その辺の事情だけは把握していた。
押し黙るクリスとシオの二人に、現状を理解していない冬華は、首を傾げていた。
「あ、あのさ……この大陸は、他の大陸と何か違うの?」
「え、えぇ……ゼバーリック大陸では中立都市があり、クレリンス大陸は基本的に中立国家。
その為、魔族の人間の交流が頻繁に行われていました。
しかし、この国では完全に人間と魔族の間に敵意があり、境界線を挟み互いに睨み合いを続けています。
故に、人間と魔族の交流などは一切ありません」
クリスが眉間にシワを寄せ静かにそう告げる。その言葉で冬華もこの大陸の情勢を理解し、不安そうに眉を曲げた。
金色の髪を揺らし、獣耳を折ったシオは大きく息を吐き、頭の後ろで手を組んだ。
「まぁ、オイラはどうでもいいけどな」
「いや、お前が問題なんだ……お前が……」
クリスが右手で頭を抱え、肩を落とす。しかし、シオは気にした様子は無く、呆れた様に首を振る。
「おいおい。人の所為にするのか?」
「分かってるのか? お前が見つかった時点で私も冬華も同罪になるんだぞ?」
「なら、ここで別れるか?」
シオのその言葉に冬華の肩が跳ねた。冬華の黒い瞳は揺らぎ、拳が強く握られた。そして、ゆっくりと立ち上がった冬華は下唇を噛み締めると、肩を震わせる。
突然の冬華の行動に、クリスは訝しげな眼差しを向け、シオは目を細めたまま暖炉の中を見据えていた。
「私は……もう、失いたくない……」
冬華の静かな声にクリスもシオも表情を険しくする。それが冬華の本当の気持ち、願いなのだと二人は痛感した。
押し黙り、俯く二人に対し、冬華はハッと顔を挙げ、慌ただしく両腕を振る。
「わ、わわ、私、お、お風呂、入っちゃうね!」
その場の空気を、自分の言った言葉をかき消す様にそう告げ、着替えを持ちシャワールームへと駆け出した。
冬華が居なくなり、静まり返る部屋の中で、暖炉の炎が燃える音だけが響く。その炎をジッと見据えるシオは、その目を伏せた。思えば、そうだ。セルフィーユを失った時、一番ショックを受けたのは冬華だった。
そして、シオが記憶を失った事を知ってショックを受けたのも。冬華にとってそれだけ仲間が大切なものなのだと、シオもクリスも分かっていた。
冗談でもあんな事言ってしまい、シオは肩を落とし落ち込む。そして、クリスもこの場の空気に静かに息を吐き天井を見上げた。
バスルームにはシャワーの音だけが響いていた。
湯気の立ち込めるその中で、冬華は頭からシャワーを浴びていた。黒髪がぴったりと額にくっつき、水は頬を流れる。深く息を吐く冬華は、そのまま座り込み、膝を抱えた。
「これで……よかったんだよね……。
きっと……私が、いつまでも落ち込んでてもしょうがないんだから……これで……」
唇を噛み締め、冬華は肩を震わせる。まだ、恐怖が残っていた。大切な何かを失う恐怖が――。