第111話 壊れかけた絆
リックバードを出航し、半月が過ぎた。
海賊船は穏やかな海を緩やかな速度で進んでいた。
未だ、冬華は本調子には戻らず、船室のベッドでシーツに包まって、丸くなっていた
体の方はもう殆ど完治していた。頭痛も無いし、吐き気も無い。体のダルさも取れ、通常通りのはずなのに、冬華は動く気力が全くでなかった。
神の力で酷使した所為なのか、記憶も大分あやふやなものだった。自分がここに居る理由。戦う理由。それに、もっと大切な事があったはずなのに、それが思い出せずにいた。
その不安が、冬華の体を締め付けていく。
船室で眠る冬華を心配するクリスは、船尾から海を眺めていた。
どうすれば、冬華が元気になるだろうか、と考えていた。手すりに肘を乗せ、頬杖をつくクリスに、トコトコと静かな足音が近付く。
その足音にクリスが気付かないわけも無く、その手にひび割れた剣を召喚し、切っ先をその主へと向けた。クリスの行動に両手を顔の横まで上げ、動きを止めたミィは、朱色の髪を揺らした。
「な、何スか? あ、あ、危ないッスよ」
冷や汗を背中に掻くミィが、静かにそう言う。すると、クリスはふっと息を吐き、剣を下す。
「何の用だ?」
冷たく答えたクリスに、ミィは訝しげな表情を浮かべる。
「どうして、あの人の所に行かないんスか? 仲間なんスよね?」
ミィの言葉にクリスの表情が曇る。だが、クリスは何も答えず、その手に握った剣を消した。そして、海へと視線を向ける。
クリスの行動にミィは首を傾げた。どうして、船室に居る人に声を掛けないのか、不思議で仕方なかった。
その為、ミィはムスリとした表情を向け、深く吐息を漏らす。
「何で、何も言わないんスか? 仲間……じゃないんスか?」
「うるさい! 人には役割がある。私では、どうにもならない事だってあるんだ!」
クリスが声を荒げ、その声が響き渡る。作業をしていた船員達は手を止め、視線をクリスとミィへと向ける。
静まり返るその場に、波の音だけが聞こえていた。その光景を、高みの見物を言わんばかりに、パルは部屋の窓から見据えていた。
重い沈黙が漂い、ゆっくりとクリスが動き出す。この場を逃げる様に。だが、そのクリスをミィは呼び止める。
「どうして、逃げるんスか?」
クリスの背へと鋭い眼差しを向ける。しかし、クリスは立ち止まる事無く、その場を後にした。
取り残されたミィは深く息を吐くと困った様に頭を掻いた。
こじんまりとした船室で、シオは一人精神統一を行っていた。左膝へと精神力を集める。左膝は薄らと光を放ち、静かにその輝きを定着させ、痛みを緩和していた。静かに息を吐き出し、瞼を閉じる。全身を巡る血流に意識を集中し、精神力をその流れに乗せた。滞り無く流れる精神力が、血管から染み出し全身へといきわたる。
静まり返るその部屋の中で、シオはゆっくりと瞼を開く。そして、その視線を扉の方へと向けた。
「ちょっといいか?」
ノックに遅れ、女性の声が響く。その声に、シオは返答はせず、また瞼を閉じた。それが、その声への答えだった。もちろん、入ってくるな、と言う答え。だが、その声の主はその無言の返答に、自分なりの解釈をし、静かに扉を開いた。
金具の軋む音で、扉が開かれたのだと気付いたシオは、瞼を開き眉間にシワを寄せる。
「失礼するよ」
凛とした声と共に、部屋に足を踏み入れたのは、露出の激しい軽装のパルだった。腰にぶら下げた四丁の銃を揺らし、海賊ハットを右手で持ち上げる。
「悪いな」
「誰も入っていいとは言ってないぞ?」
「はっはっはっ。まぁ、気にするな。一応、私の船だからな」
豪快に笑うパルが、胸を持ち上げる様に腕を組む。ムッとした表情を見せるシオは、深く息を吐くと精神力の集中を止め、ゆっくりと立ち上がった。
「んっ? 何だ? やめるのか?」
「ああ。邪魔が入ったからな」
「おいおい……船に乗せてるのに、邪魔者扱いはよくないだろ?」
穏やかな口調でそう告げるパルが、にこやかに微笑し、右手を差し出す。しかし、シオは冷めた視線を向けると、鼻から息を吐き視線を逸らす。
「乗せてくれてる事には感謝してる。だが、あんたに構ってる程、暇じゃないんだ」
「ふーん……それは、仲間の事も構ってやる事が出来ないほど、大切な事……なのか?」
真剣な表情でパルは尋ねる。その手に、いつ抜いたのか分からぬ銀色の銃を構えて。銃口を向けられるシオは、平然とした表情で口を開く。
「何のマネだ?」
「反応が遅いな。獣王の息子。そんな気持ちで修行して、効果があると思うか?」
パルの言葉にシオの眉が僅かに動いた。その反応で、パルは自分が言った言葉が正しい事を理解し、更に言葉を続ける。
「このままだと、お前達は崩壊するぞ?」
「だからなんだ? オイラに何の関係があるんだ?」
「……分かってるのか? 今、向かってる大陸がどう言う場所か?」
真剣な声でパルが尋ねる。その言葉にシオは目を細めた。一応、理解していた。目的地である北の大陸がどう言う場所なのか。
北の大陸、フィンク。この世界で最も魔族と人間の争いが激しい場所だ。竜王プルートはプライドが高く、何より野心の塊でもある。故にシオは彼を苦手としていた。幼い頃に何度か会った事があるのだ。その時の印象が強く記憶に焼き付いている。獣魔族をバカにした様な喋り方を、その言葉を。
それを思い出し、シオは奥歯を噛み締めた。カリッと小さな音をたてる。震える拳を押さえ込む様に、シオは深く息を吐き出し、肩の力を抜く。だが、その頭にフラッシュバックする。幼い頃に見たプルートの顔が、何度も何度も。
怒りが込み上げ、シオの呼吸が乱れる。そして、全身から精神力が溢れ出す。
そのシオの行動に、パルは表情をしかめると、右手で握ったグリップに左手を添える。
「おい! 何をしてる!」
「ぐっ……ぐううっ!」
鼻筋にシワを寄せるシオへと、パルは仕方なくその引き金を引いた。甲高い破裂音が一発轟き、白銀の弾丸がシオの額へと減り込んだ。
シオの体は後方へと弾かれ、背を壁へと打ちつけた。
「ガハッ!」
唾を吐き、シオはズルズルと床に腰を落とす。だが、弾丸が減り込んだはずの額には銃創などの傷は無かった。
「ゴム弾だ。安心しろ。それに、魔力を乗せ、催眠作用を施した。少しだけ、眠ってもらうよ」
安堵した様に息を吐いたパルが、そう説明する。瞼が静かに塞がり、意識を失ったシオにその言葉は届いてはいなかった。
意識を失い寝息をたてるシオの姿に、パルは銃をホルダーにしまい困った様子でため息を吐いた。
「一体何なんだい。コイツらは……どいつもコイツも自分勝手な……」
右手で額を押さえるパルは、大きく肩を落とし頭を左右に振ると、静かにその部屋を後にした。
ベッドで蹲る冬華は窓から差し込む日差しで目を覚ます。ベッドから体を起こした冬華は、ホッと息を吐くと顔を伏せた。シーツの上へと置かれた自分の手をジッと見据え、表情を曇らせる。
一体、何の為に戦っているのか、考えていた。そして、どうしてここにいるのか。名前は分かる。親の顔も、クリスの事もシオの事も分かる。だが、何故だか思い出せない記憶も多く、胸がざわめく。だからだろう。不安になり、体が自然と震えた。
記憶が失われると言う事がこれ程、恐怖になる事と冬華は初めて知った。歯がぶつかり合いカタカタと音を立てる。そして、冬華は肩をギュッと握り締めた。膝を抱えて、その身をちぢ込ませて。
その時だった。部屋の扉がノックされたのは。
だが、冬華は返答しない。その為、扉が恐る恐る開かれ、ピョコンと朱色の髪を揺らしてミィが顔を出した。
「とう……か? で、良いんスよね? 入っても……いいッスか?」
静かに部屋へと入ってきたミィは、トコトコとベッドで丸くなる冬華へと歩み寄る。その背に背負った小さなリュックを揺らすミィは、「よいしょ」と声をあげ、ベッドの縁へと腰掛けた。ミィの僅かな重みでベッドが軋む。その音に、冬華は顔を挙げ、シーツから顔を出す。
「ミィ……ちゃん?」
「どうもッス!」
軽く右手を顔の横まで上げ、ミィがそう言うと、冬華の潤んだ瞳が真っ直ぐにミィを見据える。その眼差しに、ミィは困った様に息を吐く。そして、無邪気な笑みを浮かべ答える。
「ウジウジ考えててもしょうがないッスよ。
それに、何だか冬華が居ないと、他の二人も元気ないように見えるッス」
「そ、そんな事……言われても……」
俯く冬華が呟く。すると、ミィはそんな冬華の頭を右手で優しく撫でた。
「ふぇっ?」
「知り合いに、こうして自分に元気を分けてくれた人が居るッス。
これは、落ち込んだ人に元気を与えるおまじないなんだって、教えてくれたッス」
満面の笑みでそう言うミィを、冬華は思わず抱きつく。そして、唇を噛み締め、声を殺して泣いた。ミィの優しさに触れ、塞き止めていたモノが一気にあふれ出したのだ。