第11話 クリス対魔族の少年
沈黙が続く。
突然のクリスの言葉に、周囲には緊迫した空気が流れる。
若い兵士は腰の剣を静かに抜き、震えながらもその柄を両手で握りクリスを見据える。幾ら国王であるザビットの命でも、人を殺すなどその若い兵士には無理だった。それに、彼もクリスには世話になり、恩義を感じている。いや、彼だけではない。現在、城内に残る全ての兵がクリスを尊敬し、恩義を感じている。それほどまで、クリスはこの国の為に尽くしていたのだ。
だから、兵士は剣を下ろすと、そのまま剣を床へと落とした。
「す、すいません。私には出来ません……」
「なっ! 貴様!」
ザビットが若い兵士を殴り飛ばし、床に転がった剣を拾い上げ、切っ先をクリスへと向けた。だが、クリスは顔色一つ変えず、ただザビットの目を真っ直ぐに睨む。あまりの迫力に後退り、ザビットは息を呑む。
圧倒的な威圧感に、クリスの真横に立つ冬華も後退り、壁に背中をぶつけた。それ程まで、クリスは本気だった。
静寂の中、冬華にだけ聞こえる声が、窓の向こうから響く。
『と、冬華様! こんな所で何してるんですか! 急いでください!』
せかす様に窓の外で声を上げるセルフィーユに、冬華が窓の外へ目を向けると、一人の少年と視線がぶつかった。金色の髪をなびかせ、金色の眼光を輝かせる少年。その口元が僅かに緩み、小さな牙が見えた。
(もしかして……)
冬華は気付く。あの少年が魔族だと。だが、殆ど人間と変わらぬその容姿に、冬華は戸惑う。魔族と言うからもっと化物じみた容姿を想像していたからだ。
魔族の少年は、襲い来る兵士達をなぎ払う様に拳を振るう。一撃で鉄の鎧が砕け、兵士達は血を吐き倒れる。圧倒的な力の前にひれ伏すしかなかった。
「嘘ッ!」
冬華が叫び窓から離れると、セルフィーユは壁をすり抜け冬華の前へと出て両手を前に出す。それから数秒遅れ、窓の外に影が映る。刹那、クリスがそれに気付き体を反転させ、何処からとも無く一本の剣を抜く。刃の両面の中心に赤い一本線が描かれた片刃の剣を、横一線に振りぬくと同時に、窓ガラスが砕かれ、破片が廊下へと転がる。
刃は空を切り、熱風が廊下を抜きぬけ、砕けた窓から冷風が流れ込む。ガラス片がクリスの頬を裂き血が滲み、突然の事にザビットは腰を抜かしていた。
「あんたは、中々やるみたいだな」
窓枠の上の方を掴み、体を浮かせクリスの一撃を避けた少年が、廊下に散らばったガラス片の上へと飛び降りた。ガラス片が砕ける音が僅かに聞こえ、靴底がそれをすり潰す。ジリッと右足を退いたクリスは、振り抜いた剣を構え直し、静止する。
鋭い眼光が少年を見据え、構えた剣の刃が熱気を帯びる。僅かな湯気が周囲に漂い、静止していたクリスの体が僅かに動く。
その僅かな動きに合わせる様に少年はその場に屈み込んだ。
「なっ!」
驚きの声を上げるクリスの放った一閃は、少年の髪を掠め周囲にまたも熱風だけを広げた。
そして、剣を振り抜いた直後のがら空きになった左脇腹に、少年は屈んだ体制から鋭い蹴りを見舞う。甲高い金属音が響き、その衝撃でクリスの体が後方へとよろめく。
「チッ! やっぱ、あんたつえぇ奴だな」
蹴ったと同時に後方へと飛び退き、窓枠へと着地した少年がそう呟き、頬から流れる血を左手で拭った。蹴りを受け後方へとよろめきながらも、クリスは少年に対し突きを見舞っていた。少年もその意表を突いた攻撃に反応が遅れ、刃が頬を掠めたのだった。
互いに間合いを取り、睨み合う。冬華はそんな二人の戦いぶりを見てあたふたしていた。これ程まで次元が違う戦いなのかと、正直驚きを隠せなかった。
身体能力では完全にクリスを上回る少年。これが、魔族の力なのだろう。突きを避けようとして、威力が弱まったはずの蹴りで、クリスの赤い鎧には亀裂が走っていた。
「ど、ど、どうしよう? セルフィーユ?」
『わ、私に言われましても……今は、様子を見ましょう!』
力強くそう言いながらもいつでも絶対防壁が、使える様にと、両手を前に出すセルフィーユに、冬華は「そ、そうだね」と、苦笑した。今の自分には何も出来ないとわかっていたからだ。
きっと戦いに参加しても、クリスの足を引っ張る事になる。だから、握った拳を震わせながら、ジッとその戦況を見守る事にした。
続く沈黙。
クリスと少年の動きが止まり数分が過ぎようとしていた。
割れた窓から入り込む冷たい風と、クリスの剣から発せられる熱が混ざり合い廊下を吹き抜ける。あまりの緊迫した空気に、冬華は思わず息を呑む。その瞬間、クリスが動く。
突如として、刃が炎を纏い、それがクリスの頭上へとかざされる。
「紅蓮一刀!」
「――!?」
クリスの声に反応する様に更に火力を増す。少年も流石にヤバイと思ったのか、クリスを見たまま硬直していた。だが、それは恐怖のあまり硬直したのではない。これ程までの使い手と出会えた事を、心の底から嬉しかったからだった。
「その一撃で、オイラを殺す気で来い!」
口元に笑みを浮かべ、叫び窓枠を蹴りクリスへと突っ込む。自ら突っ込んできた少年に、クリスは奥歯を噛み締め、右足を踏み込むと、叫ぶ。
「火斬!」
地面に刃を叩きつける様に振り下ろす。炎を纏った刃が突っ込んできた少年へと一気に襲い掛かるが、その刃は僅かに逸れ、切っ先が床を叩いた。刹那、とぐろを巻きながら火柱が吹き上がり、床と天井を突き破った。
剣を振り下ろしたままのクリスの赤い鎧が砕けて散った。右膝が床に落ち、右手を床に着いた。
「一直線に振り下ろされた刃って、側面を叩くと簡単に軌道を変えられるんだぜ。まぁ、その代償も大きいけどな」
と、少年は焼け爛れた右拳を震わせる。
あの瞬間、少年は高熱の炎を纏ったクリスの剣の側面を右拳で殴り、軌道を逸らしたのだった。その時右拳は炎の熱で完全に焼け爛れてしまったと言うわけだ。
右拳に息を吹き掛ける少年は、クリスから距離を取り、冬華とセルフィーユの方に目を向ける。
「あんたが、召喚されたって言う英雄か?」
「そ、そうだけど……何?」
少年の言葉に、堂々と胸を張り答えると、少年は鼻をヒクヒクさせ、
「あんたは、臭い」
と、眉間にシワを寄せた。
その言葉にみるみる顔を赤くした冬華は、両拳を突き上げると、
「なっ! ちゃ、ちゃんとお風呂入ってるわよ! 失礼じゃない!」
と、大声で怒鳴った。だが、少年はその声を無視し、指を差す。冬華の少し前に立つセルフィーユに対して。
「お前は、何も匂わない。けど、何か変な感じがする」
『えっ?』
「何を……」
驚きの声を上げるセルフィーユだが、ザビットと若い兵士は少年の言葉に対し、不思議そうな表情を浮かべる。彼らには、セルフィーユの姿は見えていないからだ。ゆえに、少年の指は冬華を指差している様に映っているのだ。
冬華もセルフィーユもその少年の言葉に驚いたが、一番驚いたのはクリスだった。
「貴様には、見えてるのか!」
「……はぁ? 何言ってんだ? 見えるに決まってるだろ。そこに存在してるんだから」
クリスの言葉に、当然じゃないかと言わんばかりにそう返答した少年は、馬鹿にしてるのかと、言いたげな目をクリスへと向けた。と、怒る少年は足元への注意がおろそかになり、窓枠から左足が滑った。
「あっ!」
思わず上げた声だけを残し、窓の外へと消えていった。