第106話 強い覚悟と意志
物々しい音を響かせ羅生門が開かれる。
その開かれる門の奥を見据える冬華は、よろめき膝に手を着いた。頭痛は激しさを増し、吐き気は頂点に達しようとしていた。
最悪のコンディションだが、それでもまだ剣の数が足りない。すでに全力だと言うのに。
苦しそうな表情の冬華に、魔術師の少女は微笑む。
「さぁ、門は開かれた。そして、君の苦痛、努力は無駄に終わる」
少女がそう言い、大手を広げる。すると、開かれた門が突如風を吸引する。全てを呑み込む様に、風の渦を生み出し、その口を空へと向けた。
彼女の言葉とその風で、冬華は悟る。その門が一体何をしようとしているのか。だから、冬華は一層表情を険しくし、左目を閉じ俯いた。
轟々と轟き渦巻く風の音に、皆の手が止まり、空へと視線が集まる。
空を彩る十字の光り輝く剣の一つが、突如揺らぐ。
「ぐっ……」
「気付いた様だね。けど、もう遅いよ。ほら、まずは一つ目――」
魔術師の少女がそう呟くと、揺らいでいた十字の剣が勢いよく空から落ち、門の中へと吸い込まれた。それを皮切りに、冬華が生み出した数万、十数万の光の剣が次々と門へと吸収される。一本、また一本と。冬華が苦しみ生み出したその剣は、無情にも消えていく。
奥歯を噛み締める冬華は、膝に着いた手を握り締め、肩を震わせる。堅く閉ざされた目から薄らと零れる涙が、その手の甲に落ちた。
今まで頑張った事が全て無駄に終わるのだ。冬華の精神的支柱が完全に折れた。震える膝が地へと落ちると、魔術師の少女は勝ち誇った様な笑みを浮かべる。
「その表情が見たかったんだよ。希望から絶望へと変る瞬間のその表情が」
腕を組み肩を揺らして笑う少女に、誰も何も言えなかった。天童、剛鎧の二人に加え、冬華までも。この状況に兵達は意気消沈し、敗戦ムードが漂う。
重いその空気の中、轟音を響かせ剣を吸う音だけが響いていた。
「ガハッ!」
俯く冬華が突如、吐血する。精神も、肉体も限界に達したのだ。吐き出された血が地面に落ち、上半身がゆっくりと前方へと倒れる。額を地面に着けた冬華は、両手で胸を押さえた。苦しくて、もう動く事も出来ない。それでも、冬華の体から放出される神力は止まらず、ゆっくりと空へと剣を生み出す。吸い込まれて消えていくと分かっていながら。
冬華が出来る事は、これしか方法がなかった。だから、止める事など出来なかった。この肉体がどうなろうと、この精神がどうなろうと。この島にいる全ての人を救えるならばと。
だが、そんな冬華の行動に、魔術師は声をあげ笑う。
「ふはははっ! 無駄だよ! 無駄! 今のお前の力じゃ、精々一分に一本が限界。
だが、この羅生門はお前が剣を生み出すよりも早く、全ての剣を吸い尽くす!」
額を地面にこすりつけたまま、冬華は小さく息を漏らす。噛み締めた歯の合間から溢れ出すその血が地面を赤く染めた。
瓦礫に埋もれていた剛鎧は、静かに体を起こす。鼻の骨が折れ大きく腫れ上がり、大量の鼻血が顔を真っ赤に染めていた。よろよろと立ち上がる剛鎧は、ゆっくりと辺りを見回す。視点は定まっていなかった。だが、その目は自らの敵を探す様に動く。
そして、震える足を動かし、ヨタヨタと前に進む。地面に突き刺さった自分の大刀へと向かって。そんな剛鎧の前に、龍化したエルドが立ち塞がる。皮膚に浮き上がる鱗模様が一層濃くなっていた。
だが、剛鎧は足を止めない。ただ真っ直ぐにエルドへと迫る。両手に握った剣に力を込めるエルドは、右足を踏み出す。しかし、その瞬間、エルドの体は右へと弾かれた。
「ぐっ!」
声を漏らしたエルドが地面を滑る。土煙を足元に巻き上げ、口元から薄ら血を漏らす。
「はぁ……はぁ……」
先程までエルドが立っていた場所に天童が仁王立ちしていた。着ていた羽織は破れ、血に染まる鍛え上げられたその肉体を露出していた。手に持った二本の刀は不気味な空気を漂わせ、その空気にエルドは僅かに足を退いた。
「…………さ、流石……龍魔族の、長……一瞬で、危険を……悟ったか……」
苦しそうに表情を歪める天道の途切れ途切れの声が聞こえた。
エルドの放ったブレスのダメージは深刻だった。刀で防いだが、肋骨が数本折れているのは痛みで分かる。他にも色々と痛みが走るが、痛みが酷すぎて何処がどう痛むのか分からない程、感覚が麻痺していた。
そして、彼の持つ二本の刀。それは、先程まで使っていた刀と違う彼だけが使える妖刀と呼ばれる刀だった。精神を蝕み、体力を大幅に奪うとても危険な代物で、天鎧からは使用を禁止されている。その妖刀を使用したのは、それなりに覚悟したと言う事だった。
「悪……いが、手加減……でき、ない……」
そう告げると、エルドの視界から天童が消える。痛みで殆どまともに動けないはずなのに。あの体でそんなに早く動けるわけないと、エルドはすぐに空を見上げる。跳躍したのだと、判断したのだ。だが、その先に天童の姿はなかった。
「こっちだ……」
突如、耳に届く天童の声に、エルドの視線はすぐに下りる。いつの間にか、目の前に天童の姿があった。
腕を交錯させ大きく振り上げた天童の刀が、不気味に輝く。
「閃……断!」
声と共に二本の刀が振り下ろされる。一瞬、エルドの視界は眩く遮れ、次の瞬間には鮮血が迸り、体は後方へと倒れていた。膝から力が抜け、龍化によりその肉体は龍の鱗を纏った様に硬いはずなのに、ただ一撃でエルドの体は血を噴いていた。そして、意識は静かに断たれた。
低い姿勢で、振り抜いた刀の切っ先を後方へと向ける天道は、静かに体を起こす。痛みが胸を襲い、表情が引きつる。だが、すぐにその視線は魔術師の少女と羅生門へと向けられた。
地面が割れる音が僅かに耳に届き、天童の視線がその音の方へと向く。そこには、剛鎧が佇んでいた。地面から抜いた大刀を肩に担いで。
「あ、兄……」
「しゃべ、るな……かん、がえは一緒……だ」
鼻が潰れ、喋り辛そうな剛鎧へと、天童はそう告げる。すると、剛鎧が小さく頷き、その顔を魔術師へと向けた。
二人の考えは一緒だった。今、やるべき事は、あの門を破壊する事だと。痛む体、軋む節々を無理に動かし走り出した。
地面に平伏す冬華の右手が地面を掴む。震えるその手が土を握り締め、やがて顔がゆっくりと上がった。鼻から血が流れ、額に浮かぶ血管は今にもはちきれそうだった。それでも、冬華の瞳は金色に輝き、魔術師の少女を見据える。
強い決意と堅い意志を宿したその眼差しに、魔術師は眉間にシワを寄せる。自分が思い描いた絶望した人の姿はそこにはなかった。
その目が、その表情が、魔術師は許せなかった。この状況で尚、そんな顔をするのかと、苛立ち奥歯を噛む。だが、すぐにその表情には不適な笑みが浮かぶ。
「くっ……くくっ……その状態で何が出来る? そんな体で何をする気だ?
お前はもう動けない。精神力も無い。絶望するしか無いんだよ!」
魔術師の激昂する声に鼓動する様に、羅生門が剣を吸う速度が加速する。
「ぐっ……わ、わた……し……は……」
奥歯を噛み締める冬華が静かに呟く。激しい頭痛に瞼を閉じると、頭の中に色んな人の顔が過ぎる。聖霊のセルフィーユ、女騎士のクリス、獣王の息子シオ。そして、今まで出会った人々の顔がフラッシュバックする。
様々な人々の想いを胸に秘め、冬華は静かに口を開く。
「ま、け……ない……。絶対に!」
叫ぶと同時に冬華は立ち上がる。金色の光が強さを増し、美しく輝く。何処にこれ程までの力を残していたのか、と思える程の神力が冬華から放たれる。膨大なその神力に魔術師は驚愕し、慌ただしく声を上げた。
「羅生門! 急――」
「閃断!」
「断絶!」
魔術師は言葉を呑んだ。羅生門へと迫る天童と剛鎧の二人が、その柱に向かってその刃を振りぬこうとしていたからだ。
その行動を、魔術師は全く予測していなかった。その為、慌てて魔力を放出し右手を振り下ろす。
「多重防壁!」
魔術師の声が響き、羅生門の前に四重に重なった壁が現れた。羅生門を守る為に。
だが、その防壁は羅生門を守ると同時に、羅生門が剣を吸う行動を制した。
「くっ!」
小さく声を漏らす魔術師の少女。これは、致し方ない事だと、割り切ったのだ。この二人の攻撃を防いでから、また吸い込めばいい。今の冬華に剣を一気に生み出す力は残っていない。そう侮っていた。
しかし、その魔術師の考えは打ち砕かれる。羅生門の風がおさまると、唐突に空に無数の光の剣が生み出される。今までの比にならない程のスピードで、まるで弾けた様にそこに一瞬で姿を見せていた。
「なっ! ど、どうな――」
驚く魔術師が、冬華へと目を向ける。体から放出される膨大な神力が、空へと昇っていた。それは、強い冬華の覚悟と意志が、全ての者を助けたいと言う想いが、反映されたモノだった。
その光の剣は空を埋め尽くし、すでに三十万と言う数を超えていた。それでも光の剣は増え続ける。冬華の記憶を蝕みながら。
衝撃が広がったのは、その直後だった。轟音が轟き、爆風が魔術師の体を右から弾く。地面を転げた魔術師は、奥歯を噛み締め、羅生門へと目を向ける。まさか、多重防壁を瀕死のあの二人が破壊したと言うのか、と言う様に魔術師は目を見開く。
しかし、土煙の舞うその先に、四重の壁は見えていた。そして、その前に力尽きる天童と剛鎧の姿も。
(なっ! じゃあ、一体、何が!)
驚き目を見張る魔術師は目を凝らす。破壊された羅生門の破片が舞うその土煙の中へと。
「あ、アレは……」
そして、魔術師は見つける。羅生門を破壊した直径三十センチの砲弾を。何故、そこに砲弾があるのかを魔術師は瞬時に理解する事は出来なかった。
だが、すぐに気付く。ここが港で、自分の背後には広大な海である事に。
振り返ると、そこには海賊旗を掲げた一隻の船が見えた。舳先に備え付けられた砲台からは白煙を上げ、更に激しい火花と共に轟音が轟く。
「くっ! あの船……女帝か!」
声を上げた魔術師は表情を歪める。だが、その表情は次の瞬間、更に歪む事となる。
「ゴッド……ブレス……」
「なっ!」
声が聞こえたのだ。途切れ途切れの冬華の声が。
その声に魔術師が振り返る。すると、そこに右手を大きく振り下ろした冬華の姿があった。そして、その体がゆっくりと倒れる。空から十字を象った光を剣を流星の様に地上へと降り注ぎながら。