第105話 タイムリミット
アレから五分が過ぎようとしていた。
光り輝く冬華の体はふら付き、今にも倒れてしまいそうだった。
重く引き寄せられる瞼が、何度も閉じられそうになるが、冬華はギリギリでそれを踏みとどまり、神力を注ぎ込む。
すでに、槍を召喚している力も無く、その手に握る槍は半分以上消滅していた。くの字に曲がった膝は震え、何度も何度も沈んでは持ち上がるの繰り返し。立っているだけでもやっとの状態だった。
魔術師の少女は相変わらず門の横に佇み、苦しそうな冬華を見てニヤニヤと笑っていた。幾つ剣を出そうが、問題ない。そう言っている様に冬華には見えた。
「さぁ、後五分。見た限り、まだ三分の一程かな? これじゃあ、間に合わないよ?」
挑発的な彼女の言葉に、冬華は自らを奮い立たせ、奥歯を噛み締め更に力を込める。その冬華の気持ちに応える様に、空に現れる光の剣の召喚速度が僅かに上がった。
すでに、十万以上の光の剣が空を彩っていた。傍から見れば、この光景は異常な光景に見えるだろうし、冬華が島に攻撃を仕掛けようとしている様にも見えるだろう。
だが、その場にいる誰もが、冬華を信じ、冬華のする事を手助けしようと、戦い続けていた。天童と剛鎧の二人も、必死に水蓮とエルドを押さえ込んでいた。
天童はエルドと激しく打ち合っていた。二本の剣で怒涛の連続攻撃を仕掛けるエルドに対し、天童も二本の刀でその斬撃を防いでいた。
エルドの攻撃は徐々に回転数を上げ加速していくが、天童は全ての刃を受け止める。澄んだ金属音が単発で何度も聞こえ、火花が幾度と無く弾けた。手数は多いモノのその一撃一撃は軽く、受け止めるのは容易い事だった。
そして、剛鎧は水蓮と攻防を広げていた。剛力と瞬功を巧みに使い分ける水蓮に、剛鎧は圧倒されていた。素早く激しい連打と、岩をも砕く強打に、翻弄されていたのだ。
能力的に言っても、水蓮よりも剛鎧の方が一枚も二枚も上手だが、どうにも読み合いでは分が悪かった。剛鎧が使用する武器が大剣だと言うのも、その要因の一つだった。
奥歯を噛み締め、水蓮の連打を防ぎつつ剛鎧はその場を飛び退く。
「あぁーっ! うっとうしい!」
剛鎧は右足を踏み込み腰の位置に構えた大剣を向かい来る水蓮へと横一線に振り抜く。その瞬間、天童は表情を歪め剛鎧へと目を向け怒鳴る。
「ご、剛鎧!」
天童の怒声が轟くが、剛鎧の手は止まらず、激しく水蓮を強打する。重い手応えに剛鎧は眉をひそめ、すぐにその場を飛び退く。攻撃を受けた水蓮の体が横に弾かれた。だが、剛鎧の剣は堅固により完全に防がれ、ダメージはなかった。剛鎧はこれを見越して攻撃を行ったのだ。
それでも、本気で放った一撃を完璧に防がれ、剛鎧もただ表情を引きつらせ笑うしかなかった。
「くぅー……硬いねぇ……。流石、一流の流派と言う所か……」
「おい! 剛鎧! 私の話を聞いているのか!」
エルドの斬撃を受け止めた天童が、語尾を強めその体を弾く。後方へと弾かれたエルドは身を低くし、両手の剣を地面へ突き立て動きを止める。地面に刻まれた並行な二本の線が、激しく土煙を巻き上げた。
呼吸を僅かに乱し、肩を揺らすエルドは、静かに顔をあげた。その淡い蒼の髪を揺らし、赤い瞳を真っ直ぐにエルドに、天童は深く息を吐く。流石にこれだけ長く相手の攻撃を防いでいた為、少々の疲労を感じていた。
動きを止めたエルドと水蓮の両者は、静かに立ち上がる。水蓮は和服に埃を払い、エルドは地面に刺した二つの剣を抜いた。
堂々とした二人の姿に、剛鎧は苦笑し、天童は目を細めた。天童、剛鎧の二人と違い、エルドと水蓮は魔力、精神力を駆使した技を幾度となく使用している。それなのに、二人には殆ど疲労の色は見えていない。
訝しげな表情を浮かべる天童は二本の刀を構えなおし、ゆっくりと右足をすり足で出す。それに遅れ、剛鎧が大刀を肩に担ぎ、深く息を吐いた。
「兄貴……あと三分程だぞ」
「分かってる。だが、この二人をどうにかしないと、門にも近づけない」
「なら、また兄貴が二人を相手して――」
「無茶言うな!」
ニシシッと笑う剛鎧を、天童が一蹴する様に睨みつけた。
「じょ、冗談だろ? そう睨むなよ」
天童に睨まれ、剛鎧は表情を歪め視線を逸らした。
そんな二人に対し、水蓮は重心を落とす。すり足で出された右足に、天童と剛鎧は瞬時に反応する。肩に担いだ大刀を持ち上げる剛鎧は、静かに息を吐いた。
「さて……アイツの相手は俺だったな」
「気をつけろ……様子が変だ」
緩やかな精神力をまとう水蓮に、天童は妙な寒気を感じる。剛鎧も同じく何か異変を感じたのか、その表情はいつしか真剣なモノへと変っていた。
息を呑む剛鎧の横で、天童の視線はエルドへと向く。
エルドの発する魔力の波長が変化したのを感じ取ったのだ。そして、その緑色に侵食された肌に浮き上がる鱗模様に天童は息を呑み、眉間へとシワを寄せた。
「まさか……龍化か……」
エルドの赤く輝く瞳が楕円形へと変り、口元から牙が生える。そして、耳の付け根から生えた角が伸び、強靭なモノへと変化する。
龍魔族の極少数の限られた者だけが扱える力で、自らの体に眠る龍の力を呼び覚まし強力な力を得るのだ。それは、獣魔族の獣化と似ているが、龍化はその力を遥かに凌ぐ力を発揮する。しかも、その力を使用するリスクは高く、時には肉体が朽ちる事がある程危険なモノだった。
故に、今では龍化を使用する龍魔族は居らず、天童もそれを見るのは初めてだった。
(お、恐ろしい力だ……)
エルドの体から迸る魔力の波動に、天童は奥歯を噛み締める。その場に吹く風は、徐々に荒々しくなり、エルドの淡い蒼の髪が激しく揺れる。
チョンマゲにした長い黒髪を大きく揺らす天童は、両手の刀を握りなおし、額から汗を流す。
重々しい空気だけがその場を支配し、天童と剛鎧は僅かに足を退いた。
「烈破……」
静かに水蓮がそう呟く。すると、その体が発光し、額、腕、足、全ての血管が浮き上がる程、筋肉が隆起し、その髪が吹き荒れる突風で逆立つ。そして、その足が地面を蹴る。爆発的な初速で、水蓮の右脹脛に浮き上がった血管が切れ血を噴く。その強靭な足から放たれた蹴り出しに、地面は砕け砕石が土煙と共に舞う。
轟いた爆音で、剛鎧は水蓮が地面を蹴った事に気付く。だが、その視界に水蓮の姿を捉える事は出来ない。
「くっ! 速――ぐっ!」
驚く剛鎧の右側に姿を見せた水蓮が左足でブレーキを掛ける。その衝撃で地面は砕け、数センチ程陥没した。そして、ブレーキを掛けた衝撃に左足の太股の血管が切れ血が袴に染み出す。
奥歯を噛み締めた剛鎧は、その身を守ろうと大刀を体の横に出した。しかし、水蓮はそんな事お構いなしにその手に握った刀を振り抜く。閃光が一瞬の後に閃き、剛鎧の上半身が大きく弾かれ右足が地面から離れる。
それに遅れ金属音と火花が散り、剛鎧の体は十数メートルも後方へと弾かれた。両足が地面を抉り、地面に二本の線を描く。
深く息を吐く剛鎧の口角から血が流れ、その表情が強張る。
「うっ……い、今のは体の芯に来たぜ……」
大刀で刀は防いだが、その衝撃だけは防げなかった。今までと明らかに違う水蓮の動きに、剛鎧は額の汗を拭う。
だが、すぐに水蓮の様子がおかしい事に気付いた。
「ぐふぅー……ぐふぅー……」
荒々しい呼吸の水蓮は、振り抜いたはずの右腕を宙ぶらりんにしていた。まるで肩が外れた様に右腕は力なく揺れる。そして、その手に握られていた刀は、静かに地に落ちた。腕を伝い指先から滴れる真っ赤な血と一緒に。
何が起こっているのか、剛鎧には理解出来なかった。攻撃してきたはずの水蓮の方が血を流し、明らかに重傷だった。
龍化が進むエルドはその体から放つ威圧的な魔力で、天童を呑み込んでいた。
吐き出される長く深い息が徐々に熱を帯びる。淡い蒼の髪の一本一本が鋼の様に刺々しくなり、皮膚に浮き上がった鱗模様は更に広がる。
そして、エルドは放つ。その口から激しいブレスを――。
“グガアアアアアッ!”
地面を砕き抉るその咆哮に、天童は持っていた刀を交差させた。避けきれないと判断し、正面から受け止める覚悟したのだ。
「兄貴!」
衝撃が交差させた刀へとぶつかると同時に、剛鎧が声を上げる。だが、遅かった。衝撃は交差させた刃を砕き、天童の体を貫いた。
「ぐふっ!」
天童の体は弾かれ大きく宙へと舞う。二度、三度と地面の上をバウンドし転がりながら、天童は仰向けに倒れ動かなくなった。
「兄貴!」
剛鎧が叫び、天童へと駆けると同時に、その視界に水蓮が姿を見せる。そして、剛鎧が反応する前に水蓮の左拳がその顔面を撃ち抜く。
「ぐがっ!」
骨の砕ける鈍い音が響き、剛鎧の鼻から血が噴出す。体は後方へと弾かれ、激しく後転し、やがて動きを止める。その手から弾かれた大刀が宙を舞い、剛鎧と水蓮の間に落ちた。
剛鎧を殴った左腕もうな垂れ、血を流す水蓮は、そのまま膝を落とすと静かに地面へと崩れ落ちる。肉体はボロボロで、もう動く事など出来なかった。
「これで、二つの駒が落ちた。そして、丁度十分だ――」
魔術師の少女がそう告げると同時に、その隣りに佇む巨大な門が激しく揺れる。轟音を響かせ軋む門が、ゆっくりと開かれた。