第103話 魔術師の目論見
南の港へと場所は変わる。
波飛沫が飛び散り、潮風が吹き荒れる。
すでにリックバードの兵は三百人程失われ、圧倒的に不利な状況へと押しやられていた。
余裕を見せていた天童、剛鎧の二人も戦況が不利になった事で、多少焦りを見せる。一方、魔術師である少女と激しい攻防を繰り広げる冬華は、膝を折り、腰を低くし深く肩を上下させる。
大きく開かれた冬華の口からは、熱気の篭った息が淡々と吐き出された。カチューシャで前髪を挙げた冬華は、額の汗を右手の甲で拭う。何とか槍を支えに立っていたが、膝は震えていた。
圧倒的な魔力と魔術を駆使する魔術師の少女に、冬華は手も足も出なかった。震える膝に力を込める冬華は、虚ろな眼差しで魔術師を見据える。
周囲は騒々しいが、まるで二人の間だけは時が止まった様に静かだった。真紅のローブを揺らし、魔術師は左手で群青の髪を掻き揚げ不適に笑う。
「英雄さんはお疲れだな」
静かな声で魔術師がそう言うと、冬華は苦しそうに笑みを浮かべる。
冬華の衣服の裾はボロボロだった。すでに二度、三度と魔術師の放つ魔術を受けた所為だ。光鱗で魔術そのものは防いでいたが、衝撃は体の芯に伝わり冬華には相当のダメージが蓄積されていた。
瞼が重く、何度も目を閉じそうになる。それでも、冬華はそれを堪え、魔術師を見ていた。
「もう、喋る元気も無いな」
男の子の様に荒っぽい口調でそう言う魔術師に、冬華は深く息を吐き瞼を閉じた。
体に蓄積したダメージを一瞬でゼロにする事は出来ない。でも、この短時間で呼吸を整え、体力を少しでも回復させようと精神力を全身へと張り巡らせる。
シオの精神力をまとう鍛錬を見ていた事もあり、冬華もそれなりに精神力を制御していた。
薄らとした光をまとう冬華の姿に、魔術師はすぐに気付く。
「へぇー……自己再生って奴か……。
そう言えば、人間の使う精神力って奴は、己の肉体に対する強化・補助を行う事が出来るんだっけ?
まぁ、そんな再生待たないけどね!」
魔術師の少女が大きく開かれた袖口から右手を出し、冬華へと向ける。魔力が練りこまれ、赤い輝きがその手の平で渦巻いた。
「フレア!」
彼女の声と共にその手の平へと集まった炎が球体となり放たれる。放たれた時は魔術師の手の平サイズだった炎の玉は、冬華へと迫るにつれ酸素を取り込み大きく膨れ上がる。だが、直径一メートル程の大きさまで来ると、それ以上は大きくならなかった。
注がれた魔力の量で取り込まれる酸素量を制御してあるのだ。
その炎の玉は不規則に回転を加え、冬華へと迫る。初速からここまで約〇コンマ七秒。すでに、炎の玉は、冬華まで二メートル程の場所まで迫っていた。
そんな状況下で、冬華は冷静に考えていた。大きく開かれた口から酸素を取り込み、その脳をフル回転させる。膝に力が入らず、槍を支えに立っているのがやっと。この状況で、何が出来るのか――。
様々な考えが頭の中を巡り、シミュレートされる。だが、結果は全てにおいて最悪なモノとなった。
奥歯を噛み締め、冬華は衝撃に供える。今の冬華に出来るのは、光鱗で攻撃を防ぎ、衝撃に耐える事だけだった。
体力は少なからず回復し、震えていた膝にも力が入る。その為、冬華は地面に突き立てていた槍を抜き、体の前に構えた。
だが、その瞬間だった。僅かに風が吹き抜け、冬華の前へと剛鎧が割り込む。小麦色の肌が迫る炎で赤く染まり、逆立った紺の短髪が揺れる。
「焔斬り!」
剛鎧の大剣が右から左へと横一線に走る。迫っていた炎の玉は真っ二つに裂け、同時に振り抜いた大剣の刃が真っ二つに裂いた炎を吸収する。
「チッ! その剣は――」
魔術師の少女がその光景に表情を歪める。その表情を舞う火の粉の合間から見た剛鎧は、ニヒッと笑みを浮かべると右手で振り抜いた大剣の柄に左手を持っていく。紅蓮に染まった刃を返し、左足を踏み込んだ。
「これは、お前に返すぜ!」
剛鎧が叫び、左足へと体重を乗せ重心を前方へと倒す。
「焔返し!」
重心を前方へと落とす勢いをそのままに大剣をもう一度横一線に振り抜く。すると、その刃から激しい炎の刃が魔術師へと放たれた。
しかし、魔術師は驚いた表情すら見せず、右手を振り上げる。
「俺に、そんなモノ届くと思ってんの?」
振り上げた右手に魔力が集まる。そして、その手を勢いよく振り下ろす。
「グラビティ!」
その声と同時に、彼女に迫っていた炎の刃が上から何かに叩かれた様に、地面へと叩きつけられる。地面は砕け陥没し、炎の刃は弾けた。
火の粉だけが三人の間に散り、魔術師は振り下ろした右手を持ち上げる。
眉間にシワを寄せる剛鎧は、フッと肩の力を抜いた。
「重力魔法? それは、禁術として消された魔法だって記憶しているんだが?」
「ほーっ……。俺の調べじゃ、お前は体力バカだって言う記憶があるんだが? 違ったようだな」
魔術師の少女が右肩を竦めて見せると、剛鎧は表情を歪める。
確かに、剛鎧は勉強は苦手で、どちらかと言えば体ばかり鍛えている方だ。だが、それは勉強の合間の息抜きの時間に行っているだけで、勉強は一日五~六時間程キッチリしている。これでも、天鎧の跡継ぎとしての自覚はあるのだ。
表情を引きつらせる剛鎧は、大剣を肩へと担ぎ静かに息を吐く。
「体力バカねぇ……まぁ、言われても仕方ねぇーけど、そう言う事、女の子が言うか?」
横目で冬華を見据え、同意を求める。何か策があるのか、剛鎧は冬華へとウィンクする。その行動に冬華は慌てて頭を振る。
「そ、そうだよ! う、うん。女の子が言う事じゃないよ!」
「だよな。どうよ? 同じ、女としてああ言うの?」
肩を竦める剛鎧に冬華は表情を引きつらせる。その挑発的な剛鎧の言葉に、魔術師の少女は肩を震わせ、その体から魔力を放出していた。怒りによって放出される魔力に、剛鎧は静かに笑みを浮かべる。作戦は単純だった。怒らせ、魔力を消費させる事。これ以外にこの場を乗り切るだけの策は無い。
だが、その事を魔術師もすぐに気付いたのか、魔力の放出は鎮まり不適な笑みを浮かべる。
「何て、自爆するとでも思ってる? 別に、俺は女がどうとか興味ないね」
「あらら。とっくに女を捨ててるってわけか。それじゃあ、無意味だわな」
苦笑する剛鎧は左手で頭を掻く。と、その時、剛鎧に水蓮が襲い掛かる。死角からの襲撃だったが、剛鎧は瞬時に身を翻しその刃をかわす。そして、バックステップで距離を取ると、そのまま水蓮を引きつれその場から離れる。
残された冬華は静かな呼吸を繰り返し、魔術師の少女を見据えていた。剛鎧のお陰で幾分体力は回復し、呼吸も整っていた。まだ体は重いが、そんな事を言っても状況は変わらないと、冬華は槍を構える。
真剣な顔の冬華に、魔術師は舌なめずりすると、不適に笑う。
「いいねぇ……。その表情、すっごくいいよ」
身を悶えさせる魔術師に、冬華は呆れた眼差しを向け、小さくため息を吐いた。
「あなた……一体、何がしたいの? こんな事までして……」
眉間にシワを寄せ、冬華がそう言うと魔術師は不快そうな表情を見せる。
「何がしたいって? 決まってるだろ? 人の苦しむ姿が――」
「違う。もし、そうなら、こんな大掛かりで回りくどい事する必要ない。そうでしょ?
そんだけの力があるんだから、苦しめたいなら、その力を存分に振るえばいいだけ」
真剣にそう言う冬華の目に、魔術師はジト目を向ける。だが、すぐに瞼を閉じ、小刻みに肩を揺らす。
「ふっ……ふふっ……。じゃあ、言い方を変えるよ。俺は人が絶望する姿を見たいんだ。
イリーナ王国の暴動も、あと少しでゼノアの絶望する顔が見られると思ったのに……」
「――ッ! じゃあ、あの暴動はあなたの!」
冬華はイリーナ王国で起こった事件を思い出し、奥歯を噛み締める。明らかにその瞳に怒りが現れ、魔術師は不適に笑みを浮かべる。
(もう少し……もう少しで――)
くくくっと小さな笑い声を上げた魔術師は、両腕を広げると控えめな胸を張った。
「良い事、教えてやるよ」
「良い事?」
不適な笑みを浮かべる魔術師へとそう聞き返すと、彼女は冷めた眼差しを向け静かに告げる。
「何で、魔族の中に無抵抗な奴がいるか知ってるか?」
「無抵抗な魔族?」
冬華は訝しげな顔で周囲を見回す。そこで気付く。襲い掛かって来る魔族と、その場で呆然と立ち尽くしている魔族の二種類が居る事に。
だが、それが一体なんなのか分からず、冬華は眉間にシワを寄せた。そんな冬華に魔術師はニヤリと笑う。
「お前達は自我を失ったとは言え、無抵抗の魔族を殺しているんだよ。
あいつらはただ操られているだけで、助かる可能性があるのに――」
その言葉に冬華は険しい表情を見せた。彼女が何を言いたいのか、分かったのだ。
「お前達はただの人殺しさ。この大陸に集まった三十万以上の魔族の命を奪う人殺し。
この戦いが終わって、気づくんだ。自分達は無抵抗な魔族を殺したんだと。
そして、絶望する。自分達の犯した罪に――」
この言葉で冬華は全てを理解する。この魔術師が考えた策の全てを。きっと、魔族が劣勢に立った時、魔族達は解放される。あの緑の雨の力から。だが、その時にはリックバードの軍も必死だ。間違いなく止まらない。そして、自我を取り戻した魔族はわけも分からぬまま斬られ、死に際に呟くだろう。
「どうして……」
と。いや、もっと他の言葉かもしれない。でも、冬華の頭に過ぎったのはそんな言葉だった。それが、冬華には一番重く胸に刺さる言葉だったからだ。
拳を握り締める冬華は、僅かに俯き肩を震わせていた。彼女がしようとしている事は、心を折ると同時に、新たな火種を生む事。
ここで魔族が全滅すれば、きっと大きな事件になる。三十万以上の魔族が死ぬと言う事は、それだけ大きな事なのだ。
各地でどの様な戦いが行われ、どれだけの魔族、人間が死んだのか、冬華には分からない。だが、一つだけ冬華にも分かる事があった。それは――
「……させない。そんな事、絶対に! 私が止めてみせる!」
体から放たれる金色の光。それは、神の力の解放だった。自らの強い意志によって解き放たれた神の力により、冬華の瞳は金色に変わり、その額には太い血管が浮き上がっていた。そして、空には一本、また一本と光の剣が切っ先を地上へと向け姿を見せる。
これが、冬華がやらなければ行けない事だった。イリーナ王国の暴動の時よりも多く、規模も広い。それでも、やるしかなかった。
頭は割れる様に、体は引き裂かれてしまう様な激しい痛みが冬華を襲う。だが、冬華は強い眼差しを魔術師へと向け力強く叫ぶ。
「私は全員救って見せる! あんたの思い通りにはさせない!」
奥歯を噛み締め、苦しそうな表情を浮かべる冬華の宣言に、魔術師は呆れた様に息を吐く。
「神力か……。でも、俺もお前の思い通りにはさせねぇーよ!」
魔術師は跪くと両手で地面を叩き、叫ぶ。
「羅生門!」
突然、地響きが起き、やがて地を砕き巨大な赤い門が姿を見せる。高さおよそ十メートル、横幅八メートル程の大きな門。両開きの扉は閉ざされ、不気味な雰囲気を漂わせていた。