第102話 砂浜の戦い、そして――
水飛沫が降り注ぐ西の海岸。
放たれる弾丸は、次々と海に激しい水柱を生み出す。
波の行き交う砂浜を獣魔族の長、ガウルが素早く駆ける。足場の悪さなど関係なく、縦横無尽に動き回っていた。
長い水色の髪を揺らす雪夜は、右手に持ったライフルに弾丸が装填されたのを確認し、ガウルへと銃口を向ける。だが、ガウルはすぐにその照準から抜け出す様に横に跳ぶ。
「葉泉! 後は頼んます!」
雪夜の声に葉泉が飛び出す。その手に持った剣の様に鋭い矢を持って、ガウルへと突っ込む。この隊には接近戦を出来るモノが居ない。故に、もしも接近戦に持ち込まれた時は、接近戦が出来る様に葉泉の矢は剣にも使える様に改良されているのだ。
砂浜と言う走りにくい状況下で、葉泉は右足を踏み込み鋭くその剣を振るう。だが、体重を掛けた右足が、砂に取られ大きくバランスを崩す。
「ぐっ!」
それにより、放った剣の軌道はそれ、大きく空を切る。鋭い太刀風だけがガウルへと浴びせられた。
「うがあああっ!」
遠吠えと共に、胸を張り大きく右拳を振りかぶる。完全な大振りだが、大きく体勢を崩した葉泉は逃げる事が出来なかった。
「くっ!」
「伏せなはれ! 葉泉!」
雪夜の声が轟き、同時に甲高い破裂音が響く。瞬時に理解した葉泉はそのまま腹ばいに砂浜へと倒れ込んだ。遅れて、葉泉の後ろ髪を弾丸がかすめた。そして、振り下ろされたガウルの拳がその弾丸を打ち砕く。
轟々しい爆音が轟き、衝撃が腹ばいに倒れていた葉泉の体を吹き飛ばす。大量の砂が宙へと打ちあがり、雨の様に降り注ぐ。
それでも、僅かに抉れた砂の中心にガウルは佇み、突き出した拳には微量の血だけが付着していた。
恐ろしく硬い拳。それが、ガウルの武器である。それを、打ち出す鍛え上げられた背筋と、それを支える足腰。どれをとっても間違いなく獣魔族でも指折りの人材だった。
「鉄拳……の異名は伊達じゃないか……」
砂まみれになった和服を叩き立ち上がる葉泉が、静かにそう呟く。遠距離からの攻撃も、接近戦も全てにおいて、分が悪い。弾丸を撃てば拳が迎え撃ち、接近してもまたその拳が待っている。しかも、この砂浜と言うステージが、葉泉と雪夜を苦しめていた。
元々、ここは海から侵入する敵を迎え撃つと言う作戦だった。魔族は海を泳いで渡ってくる。そう考えられていた為、遠距離タイプの二人の隊が配置されたのだ。しかし、魔族の侵攻は予想外にワープクリスタルによる転移での侵攻だった。完全に戦略ミスと言わざる得なかった。
圧倒的に不利な状況の最中、上下に肩を揺らす葉泉は草履を脱ぎ捨て裸足となった。それに遅れて、雪夜は左手にもう一丁ライフルを取り出す。リボルバー式のライフルのシリンダーに五つの弾丸を詰める。赤い弾、青い弾、緑の弾、黄の弾、銀の弾の五つの弾を。それから、シリンダーを回転させ、ライフルの銃口をガウルへと向ける。
このリボルバー式のライフルこそ、雪夜の本来の戦闘用武器だった。ただ、このライフルは運に左右される事がある為、雪夜も極力使用を控えている武器でもある。
静かにその薄い唇から吐息を吐き出す雪夜は、そのリボルバー式のライフルを額へと押し当てた。
「頼んまっせ。ウチの期待に応えや……」
ブツブツと雪夜は呟き、ゆっくりとライフルを下す。
張り詰めた空気の中、ガウルは喉を鳴らし、その手を砂浜へと着けた。獣の様に四足歩行にし、本来の戦闘スタイルへと移行する。黒髪が逆立ち、赤い瞳は獣の様に細く縦に長くなった。
空気が明らかに重くなり、僅かに大気が振動する。それを葉泉と雪夜は感じ取り息を呑み、僅かに足を退く。本能的にそう動いたのだ。
だが、その動きをガウルは見逃さず、一気に砂浜を駆ける。爆発と共に大量の砂が舞う。思わず目をそむけた二人の視界からガウルは消えた。一瞬の事で二人は驚き、すぐに周囲を見回す。
「何処や!」
「くっ! 気をつけろ!」
二人はゆっくりとお互いに背を向けあい近付き、周囲全体をその視界におさめていた。しかし、ガウルは一向に姿を見せない。それどころか、足音一つ聞こえない。その事から二人は推測し、同じ答えに至る。
「上か!」
「上や!」
背中合わせだった二人が、同時に離れ反転し頭上へと視線を向ける。葉泉は弓を出し矢を構え、雪夜は銃口を空へと向けた。だが、そこにも、ガウルの姿はなかった。驚愕する二人はすぐに視線を落とし、辺りを警戒する。
「ど、どないなっとるん……一体、何処に……」
「まさか、砂浜に……」
葉泉が視線を落とすとほぼ同時だった。遠くで兵の叫び声が響いたのは。
「ぐあああっ!」
「な、きさ――うわあああっ!」
「な、何で、ここに!」
次々と轟く打撃音と兵の悲鳴に、二人はようやく気付く。ガウルの目的に。
「くっそ! 野郎!」
「初めから、ウチらやのうて、兵をつぶす事が目的やったんか!」
表情を歪め、二人は走り出す。悲鳴の上がるその場所へ。
だが、すでにそこは惨劇と化していた。複数の兵の肉体が、そこには散乱していた。頭を砕かれた者、心臓を貫かれた者。様々な形で兵は血を流していた。身も弥立つ悪寒に、ただ二人は息を呑む。
その兵達の遺体の中央に佇むのは、一人の青年だった。長めの赤紫の髪を揺らし、真っ白な大剣を軽々と片手で構えた。
葉泉と雪夜は、その背を見据え、怪訝そうな表情を浮かべた。
「遅くなって、すみません」
二人の気配に気付いたのか、青年は静かにそう述べる。だが、二人は警戒し返答しなかった。その為、彼は静かに息を吐き答える。
「僕は、勇者レッド。わけあって、こちらの援護に回ります」
「勇者……」
「レッド?」
一層訝しげな表情を浮かべる二人に、レッドは苦笑し肩を落とした。
「え、えっと……英雄の冬華さんの――」
「あぁ……天鎧様が言っていた」
「せやせや。何か、けったいな奴がおるって……」
「け、けったいって……」
今更ながら自分の扱いの酷さをレッドは痛感した。そして、そんな三人をガウルはジッと見据え威嚇していた。
北――密林地帯。
激しくぶつかり合う刀と刀は、鮮やかな火花を散らし静かな木々の中に美しい金属の音色を響かせる。
衝撃が幾重にも重なり、木々の葉が次々と散った。
疲弊する天鎧は、短い黒髪の毛先から汗を滴らせる。裂けた羽織から覗く肌に刻まれた傷口から血が流れ出ていた。傷は浅いが、血は止まらない。これが、血桜と呼ばれる妖刀の力だった。血の凝固を抑える効果がある。故に、浅い傷でも血が止まらないのだ。
静かな呼吸音だけが響くその中で、和服の男が結った長い黒髪を揺らし、右手に持った血桜を肩へと担ぐ。
「老いぼれが、よく粘ったじゃねぇーか」
口元へと薄らと笑みを浮かべ、男がそう告げる。すると、天鎧は桜一刀を鞘へと納め重心を落とす。その行動に、男は呆れた様に首を左右に振った。
「おいおい。テメェーの居合い速度じゃ、もう俺には届かない。分かるだろ?
老いってのは、恐ろしいもんだな。あれ程、最強を誇っていたあんたが、このザマだからな」
「だからこそ、人は自らの技術を伝承する。私は老いたが、私の技術はすでに受け継がれている」
険しい表情の天鎧が静かにそう告げる。その言葉を男は鼻で笑う。
「そうだったな。テメェーの技術は、すでにこの俺が継承したんだったな」
男の言葉に天鎧は目を細める。
「お前が、闇に落ちるとは……私の目は節穴だった様だ」
「それが、息子に言うセリフか?」
不適に笑い、男は肩をすくめる。天童、剛鎧の二人同様、この男も天鎧の養子の一人だった。三人の中で最もずば抜けたセンスを持つこの男に、天鎧は自分の全ての技術を伝承した。だが、その矢先、彼は闇へと落ちた。天鎧の屋敷に封じられていた妖刀、血桜を手にした為に。
その日の事を、天鎧は鮮明に覚えている。あの日、この男を止められなかった事をずっと後悔していた。だから、天鎧はここに来たのだ。この男が居る事に気付いて。彼を止めるのは、自分の使命だと覚悟を決めて。
重心を落とし、全ての意識をその手に集中する。静寂に包まれる中、両者の間を一陣の風が流れた。不適に笑みを浮かべる男も、その手に持った血桜を鞘へと納め、重心を落とす。
「これで、終いだ。テメェーに引導を渡してやるよ」
二人の呼吸が重なる。勝負は一瞬。故に互いの動きに細心の注意を配る。
ジリッと両者は踏み出し右足を静かに半歩前に出す。そして、一瞬。左手の親指が鍔を弾き、鯉口に刃が擦れ火花が散る。金属の擦れる嫌な音が僅かに聞こえ、二つの刃は風を切った。
二つの閃光が大気を裂き、やがて衝突し、衝撃を広げる。火花が瞬きの中で閃き、刀が空へと弾かれた。遅れてその場に鮮血が散る。
深く息を吐く天鎧の膝が地面へと落ちた。血に染まる和服の男はその手に持った血桜を振り、刃に付着した血を払う。
「テメェに教わった居合いで死ねるなら、本望だろ?」
男はそう言い、血桜を鞘へと納め重心を落とす。
虚ろな眼差しの天鎧。その腹部からは血が溢れる。圧倒的だった。初速は互角だったが、後は全てこの男に軍配があがった。刃の走るスピードも、パワーも天鎧をすでに凌駕していた。弾かれた桜一刀が天鎧の遥か後方で地面へと突き刺さった。
口から血が静かに溢れ出す。視線はゆっくりと男へと向けられるが、その目に彼の顔は映っていなかった。もう視界は殆ど見えていない。意識もすでに途切れかかっていた。
「静かに眠れ。そして、大いなる戦いの火種となれ――」
男が鍔を左手で弾く。それと、同時だった。何処からとも無く風を切る足音が響き、彼の体を横から殴打する。だが、和服の男は咄嗟に身を翻し、鞘でその拳を受け止めた。それでも男の体は数メートル先まで弾かれ、その口角からは血が滴れる。
「誰だ!」
「わりぃな。散歩してたら、ぶつかっちまった」
右手を軽く振る少年は、その金色の髪から覗く獣耳を僅かに動かし、微笑する。口元に小さな牙が見え、赤い瞳は真っ直ぐに男を見ていた。
その少年の姿に男の表情は強張る。
「テメェが、獣王の息子シオ……か。なぜ、ここに居る?」
「何だ? 聞こえなかったのか? 散歩中だよ」
「くっ! ふざけるな! 貴様!」
怒号を轟かす男に対し、シオは左手で耳を穿る。そして、静かに鼻から息を吐き出し、真剣な顔で告げる。
「ふざけてねぇーよ。オイラは大真面目だぜ!」
拳を握り、瞬時に戦闘体勢に入る。左膝を包む薄い光は、肉体強化による物だった。威嚇する様にシオは金色の髪を逆立て、笑みを浮かべた。