第101話 魔術師の正体
呼吸を乱す冬華は、真紅のローブに身を包んだ魔術師の放つ魔術をひたすらかわし続けていた。
手の平に集めた魔力を矢状にして放つ、魔導の矢と言うモノだった。それを、魔術師は空中から途切れる事無く放ち続ける。一体、どれだけの魔力を有しているのか、魔術師には全く疲れの色は見えない。
一方で、激しく動かされ、荒い呼吸の冬華には明らかな疲労の色が見えていた。彼是、二十分近く避け続け、足は重い。それでも、冬華は動きを止める事無く、魔術師の動きをその視界に捉えていた。何とか光明を見つけようと、必死だった。
冬華は額から溢れる大粒の汗を左手の甲で拭い、その手で前髪を掻き揚げる。鋭い眼差し、美しい冬華の黒の瞳が、ジッと魔術師を見ていた。
魔術師は冬華の視線に表情を険しくする。純粋で真っ直ぐな冬華の眼差しは、魔術師に苛立ちだけを募らせた。
鼻筋にシワを寄せ、魔術師は奥歯を噛み締めた。そんな冬華の態度に、魔術師の苛立ちは頂点に達する。
「ちょこまかと、逃げてんじゃねぇよ!」
魔導の矢が止む。その瞬間に、冬華は踏み出した右足へと体重を乗せ、一気に跳躍する。だが、所詮、人間の冬華が、地上十数メートルに浮かぶ魔術師に届くわけがなかった。魔術師はそれを知っていた為、不敵な笑みを浮かべ、左手を冬華へ向け魔力を練る。
「獣魔族でも無い限り、ここまで跳躍なんて――」
「なら、これでどう!」
冬華が右腕を大きく振りかぶり、その手に持った槍を放つ。バランスを崩し冬華は地面へと落ち、槍は魔術師を貫く。
「くっ!」
僅かに魔術師は表情を歪める。紙一重でかわしたが、その槍が漆黒のローブを貫いていた。
槍にローブは引かれ、魔術師の頭に被っていたフードがふわりと浮き上がる。群青色の長い髪が揺れ、フードは落ちる。
あらわとなった魔術師の顔に冬華は驚き、目を見開く。
「う、うそ……」
呟く冬華の目に映るのは、真っ白な美しい肌の女性だった。冬華と同じ位の歳に見える美少女だった。幼い声、喋り方から少年だと誰もが思っていた。もちろん、冬華もそう思っていた。
そんな冬華へと赤い瞳を向ける魔術師の少女は、右手で長い群青の髪を掻き揚げる。血色の良い薄い唇は不適に緩む。
「なっ! アイツ、女だったのか!」
エルドの流れる様な剣撃を受け止め、剛鎧は驚きの声をあげる。
「まさか、女だったとは……」
瞬功を使用し素早く打ち込んでくる水蓮の剣を受け流し、天童も驚き声をあげた。
天童も剛鎧も防戦一方だが、何処か余裕がその表情にはあった。二人共まだ本気を出してはいないようだった。
もちろん、二人が本気を出していないのには理由がある。それは、エルドと水蓮が冬華の知り合いだと言う事を知っていたからだ。だから、あえて防戦に回っていたのだ。
だが、天童と剛鎧の二人を押さえ込まれ、守備隊は完全に龍魔族に押されていた。数で圧倒的に不利だった為、自力の差が出ていたのだ。二人も現状押されていると言う事を理解しているが、それでもエルドと水蓮の二人の相手をするので精一杯だった。
二人の様子に不適な笑みを浮かべる魔術師の少女は、左手に再度魔力を練る。
「俺が女だと、何か問題でもあるのか?」
「むっ……女の子が、そう言う言葉遣いは良くないんじゃないかな?」
右手に再度槍を転送した冬華がそう言うと、魔術師の少女は呆れた様に鼻で笑う。
「はぁ? あんた何言ってんだよ? バッカじゃないの?」
くくくっと、声を漏らす魔術師の少女に、冬華は不満そうな表情で告げる。
「綺麗な顔してるのに、その言葉遣いじゃ台無しだよ?」
「だーかーら! 俺は別に気にしてないんだよ!」
冬華の言葉に少女は声を荒げる。その言葉に冬華は不服そうな表情を浮かべた。綺麗な顔立ちで、自分よりもちょっぴり胸の大きな少女に対して。
場所は変り、東の森林。
魔人族の長、レオルと龍馬と秋雨が激しい攻防を繰り広げていた。だが、強力な魔術による攻撃で、龍馬と秋雨の二人は徐々に劣勢に立たされて行く。
魔力に耐性を持たない二人に魔術による攻撃を受ける事は致命傷に繋がる。故に、慎重に距離を取って戦うしか術がなかった。だが、二人の武器は刀、接近して戦う以外に方法はないのだ。
紅蓮の玉を長刀で両断した龍馬は、地面を滑り後方へと体は流れる。足元に土煙と木の葉を舞い上げ、龍馬は素早く顔をあげた。
「くっそっ! ふざけんな!」
長刀を構えなおし、魔人族レオルを見据える。
赤黒い髪を揺らすレオルは、右手を左から弧を描き接近する秋雨へと向けた。
「静明流三の太刀!」
「アークシールド!」
レオルがかざした右手を一気に振り下ろす。すると、大地が揺れ、土の壁が秋雨の進行方向に隆起した。だが、秋雨はそんな事お構いなしに突っ込む。
「水切り!」
重心を低くした秋雨は、逆手に持ち替えた二本の刀で一気に切り上げる。切っ先が地面を抉り、同時に何処からとも無く水飛沫があがった。そして、刀が振り切られると、その水飛沫は鋭利な水の刃と化し、地を走る。まるで水切りの様に激しい飛沫を上げて。
一発目が土の壁へと激突。轟々しい衝撃音と共に突風が吹き荒れる。だが、土の壁は僅かに切り込みが入っただけで、殆ど無傷だった。そこへと続けざまに打ち込まれる二発目。コチラが本命で、利き腕放った一撃だった。故に、先程よりも水飛沫は激しく速度も速い。
そして――直撃。先ほどよりも激しい衝撃が広がり、爆発と共に土煙が辺りを包む。舞い上がった土が、雨の様に降り注ぎ、水は霧状になり辺りを包む。
この衝撃、この爆発なら壁は完全に崩れた。そう思い、秋雨の足は更に加速する。だが、その時、声が響く。
「秋雨! 罠だ! 下がれ!」
龍馬の声だった。一瞬、龍馬が何を言ってるのか理解出来ず、その視線がゆっくりと龍馬へと向く。全てがスローモーションに秋雨は感じる。降り注ぐ土が――舞う霧状も水が――ハッキリと止まって見える程ゆっくり落下するのが分かった。その向こうに龍馬が見えた。大きく口を開き、左腕を横に真っ直ぐに伸ばす。何かを必死に伝えようとしているのだと、分かる。
あれ程、必死な龍馬の顔を、秋雨は初めて目にした気がする。
ゆっくりと流れる時の中、秋雨の視線は正面へと向く。輝く光がその目を差す。そして、気付く。竜馬の言葉の意味を――。
目の前で光を放つのはレオルの右手だった。練りこまれた魔力が放出され、弾ける。危険だと秋雨は理解するが、もう足は止まらない。
(刀で防げるだろうか?)
自問する。答えは――否だ。防げるわけが無い。この至近距離で、あれ程の純度の高い魔力による攻撃に、刀が持たない。いや、刀だけじゃない。秋雨の体もただでは済まない。
奥歯を噛み締め、僅かに俯く。一瞬の最中の事だった。
だが、そんな中、レオルの表情が一変し、突然秋雨に向けられていた右手が正面へと向く。不可解なレオルの行動に、秋雨は戸惑う。
「極炎!」
高らかに響き渡る凛とした女性の声に、レオルはかざした右手を振り下ろす。
「アクアトルネード!」
レオルが右腕を振り下ろすと、彼を中心として激しい水の渦が空へと登る。秋雨の体はその分厚い水の壁に弾かれ吹き飛ぶ。
「ぐっ!」
遅れて、龍馬の横を紅蓮の炎が駆け抜ける。煌く美しく激しい炎が、酸素を取り込みその火力を増し直進する。その炎の煌きに龍馬は息を呑んだ。昔、見た事があった。人の目を魅了する程美しいこの激しい炎を。
直進する炎が逆巻く水の渦と衝突する。轟々しい衝撃音と共に熱風が蒸気と共に周囲へと広がった。炎は分厚い水の壁を蒸発させ、水の渦は激しく衝突する炎を鎮火する。
二つの力は互角だった。後は相性の勝負だった。もちろん、分があるのはレオルの方だ。火属性は基本的に水属性との相性は悪い。故に、炎の火力は徐々に弱まっていき、やがて完全に鎮火する。
それと同時に、水の渦も消え、水飛沫の中心にレオルが佇む姿が映し出された。
遅れて、静かな足音が龍馬の後ろから聞こえ、凛とした声が響く。
「戦況はどうなってるんだ……」
白銀の髪を揺らし、辺りを見回すのはクリスだった。軽装のクリスは、片手に握った大刀を消し、再度剣を転送する。
そんなクリスへとレオルは眉間にシワを寄せ、威嚇する様に魔力を全身から放つ。その激しい魔力に、クリスは彼がここの指揮官なのだと理解し、同時に龍馬と秋雨がここの主力なのだと判断した。
「私は、クリス! お前たちは?」
クリスの問いかけに、龍馬はハッと我に返り叫ぶ。
「く、クリス! お前、一緒に修行した――」
「…………お前、龍馬……か?」
クリスはマジマジと龍馬の顔を見据え、呟く。その言葉に、龍馬は嬉しそうに笑い、何度も頷く。
「おうおう! 俺だ、俺! ひっさしぶりだな!」
「あ、ああ……そうだな……」
目を細め、嫌そうな顔をするクリスに、龍馬は笑顔で歩み寄る。クリスと龍馬は同じ道場の門下生だった。丁度、二人は同期に当たり、色々と比較された。その為、クリスは彼を苦手としていた。
そんなクリスの気持ちなど分かっていないのか、龍馬はクリスの前まで来ると、頭の後ろで手を組む。
「お前、大分大きくなったな? 背も、胸――ふごっ!」
言い終える前に、クリスの拳が龍馬の腹を抉った。
(そうだった……コイツ、こう言う奴だった……)
握った拳を震わせるクリスが、額に青筋を浮かべる。昔からそうだった。何かにつけて、コイツはクリスに対しセクハラ的な発言をしていた。何度も着替えを覗いたり、風呂を覗いたりと、コイツは相当の悪ガキだった。それも、クリスが龍馬を苦手とする理由の一つだった。
「うぐっ……いきなり殴んな!」
「黙れ! それより、戦況は?」
「現在、私達は劣勢です。相手は魔人族。私達、第二、第三部隊は基本的に接近戦を得意とする隊。
遠距離からの魔術による攻撃に耐性がありません……」
秋雨が二本の刀を構え、レオルを睨む。彼だけがこの場の緊張感を感じていた。
秋雨の言葉に、クリスもようやく状況を把握する。今、ここが最悪な状態なのだと。