第1話 登録
「何で私が!」
白雪冬華は激怒していた。
担任の熊谷に呼び出され、日直である黒兎裕也と次の授業の準備をしなければならないからだ。しかも、その裕也は教室に居らず、クラスの男子に聞いた所、腹が痛いからと出ていったと、言う。だが、保健室に行けば来ていないと言われ、他の生徒に裕也を見なかったかと、聞いて回る羽目になったからだ。
拳を振るわせる冬華は、乱暴に屋上の扉を開いた。しかし、そこに裕也の姿は無かった。屋上に行くのを見たと言う有力な情報を掴んでいただけに、冬華は落胆し両肩を落とす。
「全く、黒兎の奴、何処行ったんだ」
ボソリと呟いた冬華は、一通り屋上を見回した。
「黒兎の奴、ここに居るって情報があったんだけど……」
自らの集めた情報を信じてここまで来た為、諦めがつかず、屋上全体に聞こえる声で叫ぶ。
「おーい! 黒兎! 居るんだろ! 十秒待ってやるから、出てこーい! いーち……にーい……」
ゆっくりと数を数えるが、黒兎は姿を見せない。
「なーな……はーち……」
ここまで数えても出て来ない。情報はデマだったのか、と半分諦め気味で「きゅーっ」と、告げた時、給水タンクの後ろからボサボサの寝癖頭の裕也が姿を見せた。が、同時に「じゅうっ!」と、冬華が発し、ニコッと笑みを浮かべ、
「時間切れ」
と、裕也の顔を真っ直ぐに見据えた。
彼、黒兎裕也と冬華は、向かいに住んでおり、幼い頃からのお互いの事を知っている仲だ。親同士も仲がよく、子供の頃に何度か遊んだ事があるが、いつ頃からか裕也の方が冬華を避ける様になり、冬華も自分が避けられていると知り、裕也に干渉しなくなった。あの頃、少なからず冬華は裕也に好意を寄せていただけに、ショックが大きかったが、今では何で好意を寄せていたのか、裕也を見ては自問している。
表情を引き攣らせる裕也に、拳を握りながら静かに歩み寄る冬華は、
「随分探しちゃった。今まで何処に行ってたのかなぁ?」
と、笑顔で威圧する。
相変わらず引き攣った表情を浮かべる裕也は、お腹を右手で擦り、
「何処って……ちょっとお腹が痛くて……」
「だったら、保健室に居ようよ。私、凄く走り回っちゃったよ?」
相変わらず、笑顔で威圧する冬華に、作った様な笑みを浮かべる裕也に、冬華は少しだけ落ち込んだ。どうして、そんな無理に笑みを浮かべるのかと。
「それで、俺に何の用?」
右手を軽くあげ、まるで友達に話し掛ける様なノリの裕也に、冬華はため息を吐きたくなったが、熊谷から言われた事を思い出し、
「そ、そうだった! あんた、今日日直でしょ! ちょっと、来なさいよ! 準備するモノがあるんだから!」
と、声を大にする。
だが、一方の裕也はキョトンと、した表情を浮かべ、「日直?」と、マヌケな声をあげた。それから、数秒の間が空き、思い出したのか、
「そう言えば、そうだったような……で、何で、白雪が?」
日直である事を思い出した裕也だったが、肝心の相手が冬華である事を忘れて居た事に、冬華は更に腹が立った。そのため、怒りのこもった声で、つい「私も、日直だからよ」と、言ってしまった。
何ムキになってるんだろうと、言った後で後悔し、小さくため息を漏らしたが、裕也には聞こえなかったのか、何やらボソッと呟いていた。
そんな裕也に呆れた表情を浮かべ、
「全く……ほら、パソコン室行くわよ」
と、視線をそらした。すると、間の抜けた声で、
「パソコン室? 何で? 今日、パソコンを使う授業は無いはずだろ?」
「知らないわよ。熊谷が使うって言ってたんだから、熊谷に聞きなさいよ」
面倒臭そうに冬華がそう言うと、
「先生を呼び捨てにしていいのか?」
と、真面目な顔で言う。変な所で真面目な裕也に冬華は更に面倒臭そうに、
「いいのよ。私、あいつの事嫌いだから!」
と、背を向けた。
熊谷は、四十を過ぎた小太りの男性教諭。何かにつけて女子の体に触ろうとするセクハラ教師だ。冬華も、何度か触られそうになった事があったが、その度回避してきた。その内の半分以上が裕也のおかげで回避出来たモノだった。別に裕也は助ける為に取った行動じゃないはずだが、結果的に冬華を助ける形になっている。その証拠に、他の女子も裕也にセクハラされそうになったのを助けてもらったと、冬華はよく耳にする。
だが、冬華が熊谷を嫌う理由はそのセクハラではなかった。
冬華が熊谷を嫌う理由は、女子を何かと助ける裕也に対して嫌がらせをするからだ。裕也自身はそんなに気にしていないみたいだが、冬華にとってそれは許せない行為だった。
「しょうが無い……何かと文句を言われる前に、準備しておくか……」
そんな冬華の気持ちなんてこれっぽっちも知らず、のん気にそう言う裕也に
「全くね。はい、鍵」
と、パソコン室の鍵を手渡す。その行動に裕也は首を傾げる。
「……鍵を渡して、お前はどうする気だ?」
「もちろん、教室に――」
思わず本音を漏らした冬華をジト目で裕也が見つめる。
「おい。俺に全部させる気か」
「そ、そんなわけ無いじゃない! と、トイレよ。トイレ」
つい口から出た言い訳に、赤面する冬華は、逃げる様に屋上から飛び出した。
言い訳とは言え、トイレに行くと堂々と言ってしまった事を後悔し、そのままトイレに逃げ込んだ。
「あうーっ! 私のバカバカ! 言い訳するにしても、もっと他に色々あったじゃない!」
一人大騒ぎする冬華。幸い、ここのトイレは使用者が少なく現在人はいなかった。
一通り、騒ぎ終えた冬華は、息を荒げ肩を落とし両手を洗面器の手摺に置いたまま俯いていた。
「はぁ……絶対、変な奴だって、思われた……。てか、何言ってんのよ! も、もう、私はあんな奴の事……」
自分に言い聞かせる様に何度もそう呟き、顔を洗った。
「ふぅー。んっ。大丈夫! いつもの私だ! 大丈夫、大丈夫!」
ハンカチで顔を拭いて、何度も自分を励ましてからパソコン室へと移動した。
第三校舎三階の奥の教室。既に明かりはついており、裕也が居るのが分かった。ドアの前に立ち止まり、深呼吸をした。
「スーハァー。だ、大丈夫! 平常心、平常心」
何度も言い聞かせ、ゆっくりと戸をスライドさせた。
「失礼しまーす……」
静かに教室内を見回すが、裕也の姿は無かった。安心した様な、残念な様なそんな気持ちに、ため息を吐いた冬華は、もう一度教室を見回す。
「いないじゃない……何処に行ったのかしら? んっ?」
不意に電源の入ったパソコンが目に止まった。裕也がつけたのだろうと、そのパソコンに近付く。そして、モニターに映ったネットゲームの画像に引き攣った笑みを浮かべる。
「裕也の奴……また、こんなゲームして……面白いのかしら? ワールドオブレジェンドって……聞いた事もないゲームだけど……」
パソコンの前にあった椅子の高さを、一旦一番高くしてから、腰を下ろしそのまま一番下まで落とした。特に意味は無いが、何と無くクセになっていた。
「……裕也、このゲームやってるんだよね……。ふふっ。私も始めようかなぁ。そしたら、ネットの中で、裕也と……」
妄想の世界へと旅立つ冬華だが、すぐに我に返り周囲を見回した。
「だ、誰もいないわよね。今の内に登録しちゃおっ」
説明も読まずに冬華は登録ボタンをクリックした。
正直、冬華がこの手のゲームに手を出すのは初めてだった。別に、ゲームが嫌いなわけじゃないが、ネットゲームは極力避けていたのだ。人と交流しながらゲームを進めていくと、言うのが苦手だったからだ。
モニターにゲームのタイトルとパスワード画面が映る。
「えっと、新規登録で、いいんだよね?」
分からないながらも、新規登録ボタンを押すと、画面がキャラ作成画面へと移る。
「ユーザーネーム? 自分の名前でいいかしら? と……う……か……っと。変換!」
ぎこちないながらも、キーボードを見ながら入力を進める。
「性別は、女。じゃないと、裕也に分かってもらえないし……背丈は、標準より低めかな? 戦闘タイプ? 私は中距離かな? 後は、目がこんな感じで、口がこれでしょ、髪がこんな感じで……」
ブツブツと独り言を言いながらキャラ作成を続ける事数分――
「出来た! 完璧! 私の分身よ! ふふっ。これなら、裕也もに気付くはずよ!」
淡い期待に胸を躍らせながら「次へ」のボタンをクリックすると、選択肢が二つ出る。人間軍か、魔王軍かと言う選択肢だった。だが、その選択肢に、一切の迷いも無く、冬華はクリックする。
「人間軍に決まってるじゃない! 正義は勝つのよ!」
速攻で人間軍を選択した冬華はそのまま登録完了のボタンをクリックした。と、同時にモニターが眩い光を放つ。
「眩しい! ちょ、何? 一体?」
『登録完了しました。これより、ゲートを開きます』
「げ、ゲート? えっ、ちょっと、何言って――!」
困惑する冬華の目の前で、モニターに大きな穴が開く。全てを吸い込んでしまいそうなその穴に、驚く冬華だが、動く事さえ出来ず、そのままゲートの中へと吸い込まれた。
ゲートが消えると、後に静けさだけが残され、パソコンの電源は自動的に落ちた。