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月は答えを知っている

「ここは覚えがあるわ」と、辺りを呆然と見渡しながらエレナがつぶやく。

 確かここは・・・・・・。

「エレナ!」

 庭をきょろきょろと眺め回しているエレナに、いきなり白いかたまりが横合いから抱きついてきた。

 甘い、かぎ覚えのある香りの柔らかな腕がエレナの首に巻きついた。これはフラーヴィアの香りだ。

 そしてエレナの戸惑う顔を覗き込んでいるのは、フラーヴィアの蒼い瞳。やはりそうだわ。ここは王宮のお庭。でもこの造りは、フランベルではなくシザリアスのお庭だわ。

 どうしてここにフラーヴィアがいるの?


「ごめんなさい、エレナ。ごめんなさい」

 エレナの頬に頭を押し付けるようにして、フラーヴィアが泣いている。

「フラーヴィア様? いったいなにを?」

「わたくしのわがままのせいで、こんなにひどい目にあわせてしまったなんて・・・・・・。許して、エレナ」

 フラーヴィアの涙がエレナの頬を濡らし、それでも足りずにエレナの上着の袖に滴り落ちた。

 こんなひどい目って何のこと?

 言葉も失って立ち尽くすだけのエレナの耳に懐かしく、愛しい声が聞こえてきた。

「本当に大変だったね、エレナ。大丈夫かい?」

「ジョゼフ様!」

 エレナはフラーヴィアに抱きつかれたまま弾かれたように振り向き、ジョゼフの顔を見た。優しい茶色の瞳がエレナを前のように見つめていた。

 一年会わないうちにジョゼフの顔は、とても大人びて見えた。ふっくらしていた頬が少し削げて、凛々しい顔立ちになっている。背も少し伸びたようだ。


 だが、エレナの目を奪ったのは、ジョゼフの顔ではなかった。彼の腕の中に大事そうに抱かれている小さき者。美しく繊細なレースのおくるみに優しくくるまれた赤ん坊だった。

 エレナの視線に少してれたように微笑むと、ジョゼフはその腕の中の赤ん坊を愛しそうに覗き込んだ。ジョゼフの腕に抱かれたその顔は誰かに、とても誰かに似ている。赤ん坊はジョゼフと同じ髪の色に、フラーヴィアのような蒼い目をしていた。ふっくらと柔らかそうな頬は健康そのもので、色が抜けるように白い。誰が見ても可愛らしいと言ってくれそうな赤ん坊だった。


 エレナから優しく腕をはずしたフラーヴィアが、ジョゼフに走り寄るとぴったりよりそって立った。

「ね、エレナ。わたくし達の赤ちゃんなの。ジュエルよ。ジョゼフ様によく似ているでしょう?」

「君に、だろ?フラーヴィア姫」

 二人は微笑をかわしながら見つめあった。


 今・何・を・いった・の? フ・ラー・ヴィ・ア・・・・・・。

 エレナは足ががくがく震えて、立っているのがやっとだった。口は開くのだが、声は出なかった。何が起こったのかよくわからない。頭の中がぐちゃぐちゃでうまく考えられない。

 夢? そうね、きっと夢だわ。とても悪い夢。口の中がひどく苦い。

 倒れそうになるエレナの身体を後ろから力強く抱きとめたのは、あの魔術師だった。

「僕はフラーヴィアの心を殺さなかった」

 魔術師が静かに後ろからエレナに囁いた。

 そう、そうか!

 思わず振り向く。エレナには声を殺している余裕はなかった。

「薬! あなた、ほれ薬を使ったのね!? あれほど言ったのに」

 でも何故赤ちゃんが?

「薬は使っていない。そういうものは嫌いだといっただろう?」

 魔術師は、にこりともしない。

「嘘だわ! じゃあどうして、どうしてこんな!」

 ヒステリックに叫ぶ自分の声が耳障りで、エレナは初めて自分が大声で絶叫していたことに気づいた。

 あわてて拳を口へ当てて、寄り添う二人、いや、三人のほうへ視線を戻す。


 だが、親子三人はエレナの絶叫に気づいた風もない。

 ジョゼフとフラーヴィアはジュエルをあやすのに夢中だった。

「大丈夫。聞こえてやしないさ。魔法がかかってるからね」

 魔術師の無表情な声がした。

 エレナは再び振り向き、きつい視線を魔術師へ投げた。

「あなたは一体何をしたの?!」

 魔術師は肩をすくめ、くいっと眉を上げた。

「僕はフラーヴィアに何もしなかった・・・・・・。だからフラーヴィアはなすすべもなく一ヵ月後、泣く泣くフランベルから、シザリアスへ嫁いで行った」

 一ヵ月後って?どういう意味?

「ジョゼフはあの通り優しいから、フラーヴィアにとても思いやり深く接したようだよ」

 そうね、ジョゼフ様ならそうするでしょうとも。でも、何故、魔術師の語尾は過去形なの?


「それでフラーヴィアの心もジョゼフに向かって徐々に開いていったようだよ」

 あんなに好きだったフィリップ様のことも忘れて? いえ、それよりも徐々にっていつのまに?

 エレナは思わず憎々しげな視線をフラーヴィアのほうへ投げた。

 少しふっくらとした感じのフラーヴィアは、一層美しくなっているようだ。そうだわ、フラーヴィアと最後にあったのは3日前のことじゃない。なぜあんなに大人っぽく美しくなっているの?

「人の心は変わるんだよ、エレナ」

 思わずエレナは振り向いて何か恐ろしいことを聞いたように、怯えながら魔術師を見上げた。魔術師がなにかとんでもないことを告げようとしている。

「あれから・・・・・・、君が僕の城へ来てから、三年、経っているんだ」

「・・・・・・う、そ・・・・・・」

 魔術師の容赦のない言葉がエレナを打ちのめした。あの時感じた違和感は・・・・・・。あれは自分の時間が、三年も奪われたからだったの? くらりと視界が回った。

 エレナは世界中のものすべてが、真っ白になってしまったような気がした。


「君は僕の城のあの部屋で三年間眠っていた」

 どこか遠いところから、魔術師の涼しい声が降って来る。

「う、そよ・・・・・・。そんなの嘘だわ」

「ごめんなさい」

 泣きそうな声であやまったのはいつのまにかそばに来ていたフラーヴィアだった。どうやら魔術師が魔法を解いたようだ。

 エレナは眉をしかめながらフラーヴィアの言葉を聞いた。

 身体の中が痛かった。まるで胸のどこかに大きな穴があいているように。

「わたくしがあんなわがままを言ったばかりに、エレナがその報いを受けてしまったわ。本当にごめんなさい。これからここでまた昔みたいに、皆で一緒に暮らしましょう。ね、エレナ」


 優しいフラーヴィアの言葉を、まるでおぞましい呪文のように身震いしながらエレナは聞いた。聞きたくない。聞きたくないの。

 エレナは喉の奥にひっかかってしまった言葉を、魔術師に伝えようとした。低くかすれてしまった声を聞き取ろうと、魔術師がエレナのほうへ顔を寄せた。

「連れて行って・・・・・・。ここではない別のところへ」

 ため息をついて魔術師が片手を挙げた。

「了解」

 鋭い音を立てて指が鳴らされる。その音の余韻が終わらぬうちに、エレナは再びひんやりした魔術師の応接間へ戻っていた。

 窓の外には白い月。冷えた空気はまだ春のもの。あれは夢だったの?

「今のは、夢?  それとも作られた幻影?」

 エレナは自分の腕に鳥肌が立っているのを感じた。あそこは確かに現実だった。自分の足で庭に立ち、自分の目で、耳で、鼻で、肌で感じた。

 フラーヴィアの涙のしみがまだ袖口についてはいないか?

 でも、三年も経っているなんて信じない。信じられない。

 ましてフラーヴィアとジョゼフの間があんなに親密なものになっているなんて。

「信じない、信じられないわ、あれが本当のことだなんて」

 では、すべて魔術師の作り出した幻影なのか?

 わからない。知っているのは魔術師だけだ。


「君の願いはかなったのかな?」

 深く柔らかでどこか妖しい甘さを秘めた声がそう言った。すぐそばに魔術師が立っていた。

「私の願い?」

 エレナは魔術師を見上げ、両腕で自分自身を抱きしめた。彼が言っているのは、いったいどの願いのことなのだろう?

 かなっていない。かなっているはずがないではないか。

 エレナはすっかり混乱していた。


 魔術師は歌うように続ける。

「乙女は願う。私の恋をかなえてください。私は誓う、この恋は永遠なの、と」

 魔術師の声を聞きながら、エレナは震える自分の肩をもっと強く抱きしめた。

「月は問う。乙女よ、この恋が永遠でよいのか?と」

 ふいにマリオンはエレナの瞳を間近から覗き込んだ。

「乙女は答える、ためらいもせずに」

 エレナの瞳は、魔術師の瞳から逃れられなかった。

 緑の瞳と、前髪の間から垣間見える金の瞳が、エレナを射すくめている。「この恋は永遠よ。かなえてくれたら私の心は永遠にあの方のもの、と」

 エレナは息を吸った。肺の奥がぴりりと痛い。

「だが、月は乙女の願いをかなえない。なぜなら月は知っているから」


 一陣の風がふいに部屋中に巻き起こり、マリオンの金の髪をなぶり、彼の左目にかかる前髪を白い額まで吹き払った。

 強大な魔力が部屋中に満ち溢れ、空間を歪め、すべてを押し潰さんばかりに圧倒した。ちらりと前に見た時とはまったく比べ物にならないほどの脅威がエレナに襲い掛かった。エレナの髪の毛が逆立ち、耳の後ろがちりちりする。

 エレナは大きく口を開けた。うまく息が吸えない。

 こんなに強大な力をこの人は隠していたの? だから左目を隠していたの?

 恐怖に飲み込まれそうになりながらも、エレナは魔術師の金の瞳から目が離せない。

 やがて魔術師がゆっくりと瞼を閉じ、それとともにエレナの意識がふっと遠のいた。


「乙女の恋は不変ではない」

 マリオンの声がどこか遠くから降って来る。

 いつのまにか脅威はどこかへ飛び去り、エレナは絨毯の上へ今にも倒れ込まんばかりの不安定な姿勢で座り込んでいた。

「恋をかなえたところでそれがいつまで続くかわからない。月は恋の継続まではしてくれない。月は乙女の心変わりを知っている。乙女の恋は不変ではない」

 魔術師は言葉を切り、きつい視線をエレナに向けた。


「その不変ではないもので僕をわずらわすのはやめてくれ。後ろ向きな解決方法も、全然僕の好みじゃない」

 流れる金の髪、よく光る緑の瞳、不機嫌そうに歪められた口元、そして黒の上下に緑のサッシュ。

「あ・・・・・・」

 エレナの口が小さく開かれた。

 魔術師はものうげに自分の椅子に戻ると、どん、と足を投げ出して座った。一番最初にはじめてあった時そのままの、あの不機嫌な魔術師がそこにいた。

「まさか」

 エレナは我知らず立ち上がっていた。ふらつく身体を椅子の背もたれでやっと支える。

「まさか、あなたは」

 あれはやはり魔術師が見せた幻影だったのか。エレナの中に怒りが生まれた。

「一体何のためにあんな、あんなものを見せ付けたというの? 月が一体何の答えを知っているというの? そんなこと、私の知ったことじゃないわ」

 今まで悲鳴すらあげられずにいたのが不思議なくらいなめらかに、エレナの口から声が流れ出た。


「あなたは、自分が正義だとでも言いたいの?」

 思わず口をついて出た自分の言葉に、エレナは正直驚いていた。

 そう、そうだわ、そのとおりよ。何でもできると思って、なんて傲慢な奴! あれが正しい道だとでもいいたいのか。

 ふいに魔術師の口が歪んだかと思うと、彼はいきなり大声で笑い出した。

「正義! 正義ね!」

 エレナは唇をかんだ。でも、正義はまずかったかしら。まるで私の思惑が、あくみたいじゃない。

 私は悪くなんて、ない。自分の恋に正直だっただけよ。

 小憎らしいほど豪快に笑い転げている魔術師を、エレナは無言で睨みつけた。

「僕は恋愛に正義を持ち出すほど、野暮じゃないつもりだが」

 左手をこめかみにあて身体を震わせながら、魔術師はまだ低く笑っている。

「もっとも、僕に正義を望む者もそう多くはいないだろうね。今回のことは僕が天邪鬼だった、ということだと思うけど」

 ふいに笑いを納めると、魔術師は斜めに見下ろすようにエレナを見た。

「僕はもう自分の領分のことはやったし、報酬もいただいた。これで終わりにしていいかな?」

 エレナは目をしばたたいた。

「報酬? 一体何を?」

 魔術師の口元が微かに笑いの形に歪む。魔術師は立ち上がると軽く伸びをして、扉へ向かうためにエレナに背をむけた。何歩か踏み出し、あっけにとられているエレナへわずかに顔を振り向けた。


 エレナには魔術師の白い横顔は見えたが、目までは見えず、その口元だけが見える。その端正な口元が静かに開かれた。

「あとは君が自分で確かめるといい」

 え? とエレナは問い返した。

「フラーヴィア姫の願いがかなって、心のない人形になっているのか」

 頭がぼーっとして、魔術師の声はよく聞き取れていても意味がうまくつかめない。エレナは魔術師に近づこうとしたが、膝に力が入らなかった。

「僕が君に見せたものが、魔術による幻影だったのか」

 魔術師は静かに続ける。やっと言葉が頭にしみとおり、エレナの顔がそれとわかるほど青ざめていく。ピンクの唇が色を失ってわななき、言葉はうまく出てこない。椅子の背をつかむ細い指の関節が白くなった。

 魔術師の声がエレナに容赦なく突き刺さる。

「あるいは」

 魔術師は軽く頭を振り上げ、再び前を向いた。

「君言うところの正義が行われて、あれは本物で本当にもう三年もたっているのか」

 エレナの口が大きく開かれたが、魔術師の高く上げた右手が鋭く指を鳴らすと、声が悲鳴の形をなす前に彼女は忽然と部屋から姿を消していた。

「魔術にすべての自分の運命さだめを託すのはやめたまえ。自分で切り開かねば、すべては虚しいだけだ」

 魔術師の低く昏い声が、彼女の消えたくうに向かってそう呟いたが、

 エレナに果たして聞こえたかどうか。


 両開きの重い扉が、魔術師の手が触れる前に微かにきしみながら大きく開く。

 金の髪の魔術師が闇の中へ歩み去ると、再びゆっくりと扉が閉ざされた。

 同時に部屋の中に灯っていた蝋燭も次々と消えていく。

 後に残ったものは、窓から差し込む蒼白い月の光。


 **.*.**.*.**.*.**.*.**.*.**.*.**.*.**.*


  「私とあの方が永遠とわに結ばれますように。

 あの方が私だけをずっと愛してくださいますように。

 月よ。願いをかなえてください。

 どうぞあの方と永遠とわに添い遂げられますように。

 私の心は変わりませぬ。

 あの方以外の方と恋に落ちることなどありえませぬ。

 どうぞこの恋が永遠に続きますように。

 あの方が一生、私だけを想ってくださいますように」


 月は問う

「それは永遠の恋なのか? 不変のものなのか?」と


 乙女は答える

「もちろんこれが永遠の恋ですわ。私の心は変わりません、永遠に」


 けれど月は乙女の願いをかなえない。

 なぜなら月は知っているから。

 自分の問うたその答え。

 乙女の言ったその恋が、けっして永遠ではありえないと、月は答えを知っているから。


(幕)



お読みいただきありがとうございます。

次回は、「薔薇の誓約」でお会いできるといいなと思います。

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