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魔女の嘘

 ふーん? ないんだ、と少し意外そうな表情を浮かべてマリオンは背筋を伸ばして座りなおした。

 両腕を椅子のひじ掛けにだらりとかけると、彼は頭を後ろへそらしエレナを斜めに見た。

「てっきり『強力なほれ薬を調合して!』とかね、『フラーヴィア様と私を入れ替えてください』とか言うのかなと思ったよ」

「入れ替える!?」

 エレナは思わず声をあげた。

 強力なほれ薬は、フラーヴィアに飲ませるの? それはダメ! いえ、それよりもフラーヴィアと私の入れ替えってなんなの?

 ふっと魔術師がかすかに笑った。

 それは優しい笑みではなく、面白がっているようなそんな笑いだった。

「ふぅん、どうやら入れ替えのほうに興味があるみたいだね、君は。そう、そんな方法もあるかもしれないね・・・・・・。でも」

 と、そこでマリオンは言葉を切った。

「でも?」

 思わずエレナが身を乗り出したが、本人は気づいていない。


「僕は、入れ替えなんか行う気はないよ。どうしてもやりたかったら他の魔術師をあたりたまえ。僕と同等か、僕以上の魔術師にね」

 マリオンは自分で言っておきながら、あっさりその案を退けた。

 なんて奴! と、心の中で罵倒しながらエレナは唇をかんだ。

 だが、この人は『出来ない』とは言わなかったわ。行う気がないと言ったのよね、とエレナは心の中で魔術師の言葉を反芻してみた。

 他の魔術師を急いで探すべきだろうか? でも彼と同等かそれ以上の魔術師ですって? 探すのがきわめて難しそうだ。

 それにどうだろう、私とフラーヴィアが入れ替わるのは・・・・・・。私はフラーヴィアとしてジョゼフ様に愛されるの? さぞかし複雑な気分に浸れることだろう。

 エレナは微かに眉をひそめた。


 魔術師はそんなエレナに気づかないか、そのふりをしている。

「たかが姫君一人の恋のために、莫大な労力を使う気にはならないね。あれはものすごく手間がかかって、おそろしく消耗する呪文だ」

 一国の王女の頼みをたかがと言い切るのか、とエレナはあきれた。

「お金ならいくらかかってもかまわないんです」

 もしかしたら報酬の話が出ればいくらかやる気がでるのかもしれないとエレナはそう言ってみた。

 それに対して、魔術師はいたってまじめな顔でこう答えた。

「王国の半分でももらえるとか?」

「まさかそれは、いくらなんでも」

「冗談だよ。王国なんて退屈なもの、ほしくもないさ」

 その答えにたじろいでいるエレナを見つつ、魔術師はたいして面白くもなさそうな顔で肩をすくめてみせた。


「僕は女の子の恋に対してとやかく言うつもりもないし、言う資格もないよ。あの情熱と力はものすごいものだからね。・・・・・・あれにはとても太刀打ちできない」

 最後のほうは小さな声でつぶやくように付け加えたのだが、エレナは聞き逃さなかった。

 そうね、フィリップとはまたちょっと違う雰囲気だけど、女の子受けしそうな容姿だもの。何か女の子の激情に圧倒されるようなことが何度もあったんだわ。

 そしてそれでかなり大変な目にあったに違いないわ、とエレナは考えて密かに意地の悪い笑いを噛み殺した。

「姫君の恋は一国を背負っているだけに実らないことが多いし、かなり辛いよね。でも、そんなのは昔からたくさんあったし、貧しい村の娘にだってそれはよく起きることさ。待遇の面から考えれば、貧しい娘のほうがずっと辛いはずだしね」

 俯いたので魔術師の金色の髪が深く落ちて、見えていた右の目も隠した。

「そういうことに耐えている姫君も、耐えられなかった姫君もたくさんいたな」


 その姫君たちにあなたは何をしてあげたの? と、訊きたい衝動にエレナは駆られた。

 やはりこの金の髪の魔術師にかなわぬ恋をしたお姫様もいたのかしら。そのとき彼は、姫君の中の自分の記憶を消してみたりしたのかしら。

「僕は人の心に手を加えるのはあまり好きじゃない」

 俯いたままの魔術師の静かな声に、エレナはぎょっとした。

 心を読まれているのだろうか? それとも自分の表情があまりにも読み取り易いのだろうか?

 だが魔術師は俯いたまま、エレナのほうを見ることもなく淡々と話を続けた。

「辛いことや哀しいことはもちろん多くないほうがいい。でもすべて忘れてしまうべきじゃない、と僕は考えてる。そこから生まれるものだってたくさんあるはずだから」


 生まれるもの?

 エレナはもうだいぶ前に、自分の中に生まれて確実に息づいている昏い(くらい)想いのことを考える。

「だから、僕はフラーヴィアのお願いみたいなものもかなえてあげたい、とは思わない」

 フラーヴィアのお願いのことね。心を読まれていたわけではないと知り、エレナは少し安心した。


「そういう意味で、ほれ薬も好みじゃないんだけど」

 でも、と言いながらマリオンは顔を上げると前へ乗り出して、今度はエレナの瞳をまともにまっすぐ覗き込んだ。

「フラーヴィア姫がジョゼフ王子に、ジョゼフ王子がフラーヴィア姫に恋をすれば、すべては丸く収まったりする気がしないかい?」

 エレナの瞳が揺れた。

 いや! と心の中で即座に否定する。それだけはいや。それだけはやめて。


 大体それではフラーヴィアの望みのままではないではないか。

 フラーヴィアは、『自分の永遠の恋はフォリップ様にささげる、だから他の感情はすべて殺してほしい』と言ったのではなかったのか。

 フラーヴィアの心を殺してしまうのだ。人形のようにただ微笑むだけのフラーヴィアをジョゼフ様のもとへ嫁がせる。ジョゼフ様はフラーヴィアを大事にはするだろうが、愛情は感じないだろう。

 そしてもしかしたら前のように、いや、前以上にエレナに慰めを見出すかもしれない。

 いいえ、きっとそうしてみせる。それでいい。

 たとえ陰の存在であっても、ジョゼフ様の大事なひとになれるのならそれでいい。

 フラーヴィアが心を無くしてもつらぬきたい永遠の恋をフィリップにささげるなら、エレナの永遠の愛はジョゼフにささげられるべきものなのだ。


 マリオンは目を細めた。エレナの答えを待っている。

 エレナは肺の底まで深く息を吸った。

「私にはフラーヴィア様のお願いを曲げる権限はございません。フラーヴィア様の望まれるとおりにして差し上げてください」

 魔術師の目がエレナの瞳を覗き込んでいる。

 長い睫毛まつげに縁取られた魔術師の瞳は、明るい緑なのに底のない深さを感じる。何もかもお見通しなのかもしれない。エレナの思惑も何もかも。

 エレナは挑むような視線をマリオンに返した。

 驚いたことに先に魔術師のほうがゆっくりと目を伏せたので、彼の長い睫毛が緑の目に暗い翳りを落とした。


「君はその望みでフラーヴィアが幸せになると本気で思ってるのかな?」

 エレナは小さくうなずく。だって、フラーヴィアがそう思っているのよ。彼女の思うとおりにすればいいじゃないの。

 何も他のことを考える必要なんてないわ。それがどんなにあさはかな願いだろうと、もっといい他の手があろうと関係ないわ。

 フラーヴィアの望むことが彼女の幸せだわ。エレナは魔術師をまっすぐ見つめた。

 もう迷いはない。

「では、君はフラーヴィアが幸せになればいい、と思ってるんだね?」

 魔術師が、聞いた。

「私は、フラーヴィア様が幸せになってくださることだけを、願ってます」

 エレナは、嘘を、ついた。

「そう」

 答えを聞くと魔術師は気のない風に椅子に寄りかかり足を組むと、エレナを見つめた。そのまま沈黙が続く。

 魔術師は静かにエレナを見つめたままだ。


 気詰まりになったエレナは、咳払いをひとつして、だいぶ前にテーブルに出された冷めた紅茶のカップに手を伸ばした。

「エレナ」

 魔術師の声にふいをつかれてエレナは伸ばしかけた手を止め、思わず、はい、と返事をした。

「ところで君は、月の魔法を使ったね」

 エレナは息を呑んだ。

「満月の夜、白いカップに清水、銀のスプーンに薔薇の花びら。そして」

 黒ずくめの魔術師が椅子からつと立ち上がって部屋を横切りエレナの横に立ち止まった。

 不安げに瞳を揺らしながらエレナが魔術師を見上げている。黒のシャツに金の髪のコントラストが美しい。

 魔術師はエレナの椅子の背に手を置き、彼女のほうへ軽くかがんだ。腰までの長く柔らかそうな金の髪がふわりとエレナのほうへ流れた。

 一瞬、魔術師の魔力が宿っているという噂の隠れていた左の目が垣間見えた気がしてエレナは震えた。

 怖いほど金色の目。この人はオッドアイだったのね。


「そして、想い人の名前と自分の名前」

 魔術師はゆっくりと続ける。マリオンの深く柔らかな声が耳朶じだを打つのが何故か心地いい。

「何故、知っているの?」

 かすれた声でエレナが言った。魔術師の声は次第に低く聞き取りにくくなっている。

「君の周りにかすかに魔法の気配が残っている。昔から乙女のお気に入りの方法さ」

 そうね、昔からのあれよ。私だけではないわ。フラーヴィアもやっていたわ。私が教えてあげたから。


 マリオンの唇の両端がゆっくりと上がり、笑みの形を作るが彼の目はちっとも笑っているようには見えなかった。

「だけどエレナ、君は知っているのかな? その魔法の成就率は高くない。なぜなら」

 エレナは急に部屋の中が息苦しいと感じた。

 通されている部屋は、広い応接間で窓も大きい。その窓の外には蒼く何処までも続く夜空と、煌々と光を放ち辺りの夜気を払う月が見える。

 調和の取れた装飾品、調度品は決してごちゃごちゃした感じではなく、むしろ落ち着くように配置されている。部屋の空気も清浄で、かすかに薔薇の香りがする。

 それなのに、息苦しい。

 何か圧倒的な魔力が部屋の中に満ちている。

 エレナには、さっきちらりと見えた彼の金の左目が気になって仕方がなかった。

「なぜなら」

 マリオンは言葉を切ると、上体をもっとエレナの方へ傾けた。いまや囁く彼の唇がエレナの頬へ触れんばかりになっている。彼の黒いシルクのシャツの襟がエレナの首筋を擦った。エレナは間近で彼の瞳に見つめられ、頬が熱くなっていくのを意識していた。


「なぜなら月は」

 マリオンが耳元で優しく囁く。

 その絡みつくような深い囁き声にエレナは眩暈すら感じた。気を取り直すように目をしばたたく。マリオンの唇がエレナの耳に触れ、彼女の頬はさらに上気するが、何かに操られたように身動ぎすることも出来ない。

 マリオンが執拗に耳元で繰り返していた。

「なぜなら月は知っているからだ」

 エレナはもう一度瞬きをした。


 ふっと身体が軽くなった。

 あの息苦しい感じが薄れている。

 何かがおかしい。何かが変化している。さらにもう一度エレナは瞬きを繰り返した。

 だが、一体何処がおかしいのか、わからない。

 今マリオンは、少しエレナから身体を離している。魔術師の白いシャツにこぼれた金色の髪が眩しい。

「答えを知っているからだ」

 声もすでに囁き声から、少し低めだが普通の声に戻っている。

 答え? 月は一体何の答えを知っていると言うの? それに・・・・・・。

 まじまじとエレナは魔術師を見つめた。色が違う? おかしいわ、さっきまでシャツは黒くはなかったかしら?

 エレナはこめかみに指を当てた。


 いつのまにかマリオンは、背筋を伸ばして瞬きを繰り返すエレナを見下ろしていた。

「エレナ」

 魔術師はさっきとはうってかわって優しい微笑を浮かべた。

「月の答えを教えてあげよう」

 マリオンは椅子の背にもたせかけていた手を下ろし、エレナのほうへかがみ込みんだ。

 エレナは、やはり何かおかしい、と感じた。

 魔術師のいでたちが白のシャツ、濃い蒼のズボン、腰のサッシュは淡いピンクに変わっている。先ほどまでは黒の上下ではなかっただろうか?サッシュは淡い緑色で。何故、たった一瞬前までとは違っているのだろう?

 魔術師だから魔法で衣服を変えるのは簡単だろうけれど、どこに着替える必要があったのだろう?

 混乱したエレナの想いに魔術師は頓着した風もない。そのまま優雅な仕草でエレナの左腕を取ると、肘に手をあてて立ち上がらせた。

「さあ、ごらん」

 立ち上がろうとするエレナの膝が伸びきらぬうちに、辺りの様子が一変していた。

 確かに魔術師の城の応接間だった筈で、しかも夜だったはずなのに瞬きする間にそこは、白昼の屋外になっていた。

 蔓薔薇が絡むアーチ、低木には白い小さな花が咲いている。

 ピンクの可憐な花が小道のいたるところに咲き乱れ、風に揺れている。手入れの行き届いた庭園は、陽射しが明るく汗ばみそうなほど暑い。むせ返るような花の香り、耳には蜂の羽音が聞こえている。


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