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姫君の願いと魔女の願い

 エレナは、こっそりため息をついた。

 従兄のフィリップが、そんなによいだろうか? 確かに外見は多少女性的だが、綺麗な顔だ。そこはフラーヴィアのいうとおりと認めよう。

 しかし、決して性格と素行はよろしくない。

 フィリップの大仰な身振りを交えた流れるような弁舌は、一見聡明そうに見えるだろう。

 だがエレナには、それが彼のずる賢さと底の浅さを隠すためのものだと思えた。

 口先だけはやたらうまいが、果たしてそこに誠意があるかどうかはきわめて疑わしい。

 それはフィリップのお相手と噂される女性たちが、両手でも足りないあたりでもわかるであろう。王族の特権をフルに生かして、フィリップは楽しく遊んで暮らしている。それ以外のことには、そのフラーヴィアいうところの聡明な頭を使っていない。


 またフィリップの優しさは上辺だけのもの。女性のために扉を開けてあげるとか、花を摘んであげるとか、彼女の話には微笑んで相槌を欠かさないとかそんなようなことだけだ。エレナははじめて彼女の想い人を知った時からずっと、夢見るフラーヴィアに忠告したくてうずうずしていた。

 それに比べて、とエレナはフラーヴィアの代わりにジョゼフ王子の肖像を見つめた。

「ジョゼフ様は、本当に心の底からお優しいわ」

 宮廷絵描きはなかなか優秀な人物と見え、ジョゼフの性格すらもうまく描きあらわしていた。

 優しい茶色の瞳の中になんともいえないせつないかげりが見える。

「お母様を早くにお亡くしになられたからね」


「僕は、戦いも争いも好まない」

 口数のあまり多くない王子はその昔、心を許したエレナに一度だけそう言った。

 第一王子派と第二王子派に分裂して内部闘争を繰り返し始めた王宮でジョゼフはエレナに弱音を吐いた。

「兄上が国を統べればいいんだ。僕には責任が重過ぎるよ。兄上のようにしっかりした王でないと、国は成り立たないよ。僕には迷いが多すぎて、みんなが困るだけさ」

「ジョゼフ様は、お優しすぎるのですわ」

 エレナが熱心な口調でそう言うと、ジョゼフは哀しげに微笑んだ。

「本当に優しいのは強い人だよ。僕は強くなんて、ない」

「そんなことありません。ジョゼフ様は誰よりもお強くていらっしゃいます」

 そうよ、とエレナは思う。

 今までご自分のことをすべて後回しになさってまでも、いろいろなところをご視察なさっていたのはジョゼフ様ではないの?

 あちこちに医療院や孤児院、介護療養所を作ったのは、兄上ではなくあなたでしょう。

 大規模な災害が起きたと聞けば真っ先に飛んでいき、被害状況を調べて適切な処置をしたのもあなた。

 また隣国で飢饉が起きたと聞けば、丁重なお見舞いの言葉とともに心のこもった物資を自ら赴いて届けていらっしゃったのも覚えているわ。

 でも、そんなことをここで口に出して言ったところでジョゼフ様は、「兄上の代わりにやったことだから」とおっしゃるに違いない。


「ありがとう、エレナ。君だけだね、そんな風に言ってくれるのは」

 少年のような少しはにかんだ微笑が、エレナの心に焼き付いて離れない。

「僕は臆病なんだ。誰かが傷つくのを見るのは辛いよ」

 そういうジョゼフは、しかし勇敢だった。

 どこかで内戦があれば誰より早く馬を駆り、海賊が出没すると聞けば一番に船に乗りこみ真っ先に兇刃の前へその身を投げ出した。

 優しげな顔のわりに剣の腕も立ち、馬の扱いにも長けている。

 そのたびにエレナははらはらしながら、王宮で待つしかなかったのだが、ジョゼフは大きな怪我を負うこともなく凱旋してきた。

 だからといって、それを自慢にするわけではない。

 たとえ敵であっても、自分がその手で絶ってしまった命にたいしては、陰で密かに涙を流し、祈りをささげていた。


 また、ジョゼフはなかなか頭もよかった。

 奇襲戦略を考えたり、水路を村々へ通すための図面を引いたりすることも得意だったし、自国語のみならず東方の言葉や西の国の言葉を話すこともできた。

 そのかわり控えめで人の前で自分のことを話すことは苦手のようで、父王に成果を報告するのは弟から巧みに話を聞き出した兄王子のほうだったりした。

 エレナはそんなとき、得意げに王に成果を話す兄王子にほのかな殺意すら覚えたものだ。

 そう、エレナはずっとジョゼフ王子に恋をしていたのだ。最初はその寂しげな瞳に、やがてその勇姿に、そしてその掛け値なしの優しさに。


 だからこそシザリアスが揉めたとき、エレナは残ってジョゼフの力になりたいと思った。

 エレナの魔力は薬草と農作物などの植物の助長と病の治癒力に限られていたのだが、ジョゼフのためになるのだったら、自分の力の範囲を超えてもかまわなかった。たとえば、ジョゼフが怪我をしたり毒を飲まされたりしたら、エレナの治癒力を全開すれば命を救うことができるはずだった。

 たとえ自分が、その後何年かまともに歩くことすら出来なくなるとしても、そんなことはエレナの妨げにはならない。

 しかし、その決意は解雇という形であっさりといなされた。

 エレナはジョゼフに直接嘆願したのだが、ジョゼフはそれを許さなかった。

「君みたいな女の子がこんな危ないところに残っていてはいけないよ。

 早く別の安全な国へ移ったほうがいい。この騒ぎはまだしばらく続きそうだからね」

 いつものとおり、柔らかな口調だが有無を言わせずジョゼフはエレナを国から逃した。

 エレナの胸は痛んだ。

『ジョゼフ様に二度とお会いできなくなる』


 エレナは、身を二つに引き裂かれる想いでシザリアスを後にしたのだ。

 そのジョゼフ様とフラーヴィアが結婚する。

 エレナは呆然とした。

 自分の知らぬところで知らぬ相手と結婚してしまうのなら、まだあきらめもつくだろう。

 だが、自分が今仕えている姫君と結ばれてしまうのか。

 しかもフラーヴィアにはちゃんと別に想い人がいるというのに・・・・・・。

 何故こんなことになってしまうのだろう。

 エレナの胸の痛みはひどくなっていった。

 そして痛みとともに、昏い想いがどんどんエレナを蝕んでいく。


 そんな時、フラーヴィアがこう言いだした。

「ジョゼフ王子を愛することなどありえないわ。わたくしの心は永遠にフィリップ様のものよ。でもわたくしはこの結婚から逃げることはできないわ。国のためだもの。フランベルのみんなのためだもの。でも、辛いの、エレナ。とても辛いわ」

 辛いのはエレナも同じ。

 だが、フラーヴィアにそう言うわけにもいかない。

 エレナは出来る限り心をこめてフラーヴィアに答えた。

「お気持ちお察しいたします。フラーヴィア様」

「ありがとう、エレナわかってくれるのはあなただけね」

 あの方にもそう言われたわね、と心の中でエレナは苦笑した。

 フラーヴィアはエレナの手をしっかり握りしめ、その大きな瞳からはらはらと涙をこぼした。

「エレナ、あなたにお願いがあるの」

 フラーヴィアはそこでいったん言葉を切り、エレナの瞳をきっと見つめた。


「わたくしの心は永遠にあの方のもの。けれど、わたくしにはこの運命を逃れるすべはありません。己の死を選ぶことすら出来ません。ならば・・・・・・。ならば、わたくしの心を殺してちょうだい」

 エレナは仰天してフラーヴィアの手の中から自分の手を引き抜いた。

「何を言い出すのです、フラーヴィア様?」

 まだ、この国を出奔したいのです、と言われたほうが驚かなかった。

 そう言われたらエレナは喜んで手を貸しただろう。

 だが、これは、この望みは・・・・・・?

 フラーヴィアは床に体を投げだし、身も世もなく泣き伏した。

「もうこれ以上、感情に振り回されるのはいや。もう何も感じたくないの。フィリップ様への愛だけを持っていたいの。他の感情はすべて殺してほしいの。ジョゼフ王子に話し掛けられたら、にっこり微笑んで相応しい答えを返していることだけできればいいわ。わたくしが人形になっていても義務は果たされるはずだもの」

「でも、フラーヴィア様。そんなことエレナにはできません」

 幾分ためらってから、エレナはフラーヴィアの細い肩に手を掛けて注意深く引き起こした。

 フラーヴィアは濡れた瞳でエレナをせつなく見つめた。

 その目は濡れてはいるが、固い決意を秘めている。

 この姫君はいつもそうだわ、とエレナは思う。

 可愛らしい顔で弱々しそうなのに、それを裏切るように内には強い炎を秘めている。


「そうね。あなたには無理ね。わかっているわ。でも魔術師を捜すことはできるでしょう? いくらお金がかかってもいいわ」

 エレナはかぶりを振った。

「エレナは、そういう意味で出来ない、と申し上げたのではございません。私はフラーヴィア様を人形になどしたくはございません」

 でも、とフラーヴィアは、エレナに渡された小さなハンカチで涙をぬぐった。

「そうすれば、わたくしは幸せよ。今のこの辛い気持ちがすべて無くなってしまうのですもの。何も悩みがなくなるわ。魔術師にはフィリップ様への愛だけを残しておいてください、とお願いするのよ。素敵なことじゃない?」

「でも、フラーヴィア様」

「お願いよ、エレナ。これしかないの。わたくしにできることは、もうこれしか残っていないのよ」

『そうね、それもいいかもしれないわ』

 エレナは小さくうなずいた。


 **.**..**.**..**.**..**.**..**.**..**.


 エレナはほぅっと一息ついた。

 話し終えてやっと肩の荷が下りた気がした。

 とりあえず不機嫌で愛想の悪い魔術師に、フラーヴィアの言葉をなるべく忠実に伝えたかった。

 もちろん、魔術師にする話にエレナ自身の感情は必要がないからまるきり省いてある。エレナには、自分の気持ちを魔術師に話すつもりなどこれっぽっちもなかった。

 いや、何があっても隠しとおさねば、エレナの望みなど悟られてはならない。


 まるで眠っているように深く椅子に掛けておもてを伏せ、静かにエレナの話を聞いていた魔術師が、ふいにくいっと頭をあげた。

 部屋の隅に置かれている大きな燭台の灯りに照らされて綺麗なエメラルド色の右目がきらりと光り、一瞬エレナはひやりとした。

 油断のならない瞳。

「なるほど、エレナ。話はよくわかった。それで」

 言葉を切り、魔術師は相変わらず不機嫌そうなまなざしをエレナにむけた。

「君のお願いは何?」


 話はわかったと、今言ったじゃないの! と、思わず口走りそうになり、エレナは慌てて息をひとつ吸い込み、膝のハンカチを再びきつく握り締める。

 魔術師の機嫌をこれ以上損ねてはならない。

「ですから、フラーヴィア様はご自分のお心を」

 いい終わらぬうちに、ふふん、と魔術師は口の端で小さく笑った。

「それはフラーヴィアのお願いでしょ? 僕は『君のお願いは何?』と聞いたんだけどね」

 あっとエレナは小さく声をあげ、手で口を押さえた。何? 何を言ってるの、この魔術師は。エレナは動揺した。胸の動悸が早くなる。自分の感情のことなど何も言ってないのに何故、彼はそんなことを聞いてくるの?

 それに私の願いを聞いてこの人はどうしようというの?

 そんなことより早くフラーヴィアのお願いをかなえてちょうだい。落ち着かなくては、とエレナは自分に言い聞かせた。


「私のお願いなんてありません。強いていえば、フラーヴィア様のお願いをかなえて差し上げてください、ということだけです」

 こう言ってのけるしかない。

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