第1幕 侵入者<First Intruder> Part 3
その後国道を外れて何度も、三十回をこえるほど左折と右折を繰り返した。乱暴な口調での指示にストレスが溜まっていく。標識を見ても、どこを走っているのかわからなくなっていった。ここは茨城なのか、それとも栃木か? 道路上に雪はないから、そう遠くまで行っていないはずだ。しかし時刻はもう15時をまわっている。3時間以上も走行を続けているのだ。
侵入者はさらに不機嫌になっていった。ルート指示の合間に舌打ちを繰り返し、クソッ、つまんねー、と度々愚痴を挟んでいる。夫が指示通り右折する事ができずに交差点を通り過ぎると、後ろから頭を軽くはらうように叩いて罵倒した。
「ぼ、暴力はよせ!」
「あん? こんなもんが暴力だって?」と言ってもう一度、二度、三度と叩いた。
「これはな、〝かわいがり〟ってヤツだよ。これまで味わった事ないか?」
「やめろ!」
「やめろ、つっても止めらんないのが〝かわいがり〟なんだよ、オラ! オラ! オラ!」とそれからまた三度叩いて、男はからかうように笑った。
「ひ、卑怯だぞ、こっちが抵抗できないからって」
「そうだよ、卑怯だよ、わかっててやってんだよ」
「何が目的なんだ、なんだってくれてやるから早く解放してくれ」
「うるせえ」
「こっちは忙しいんだよ。お前みたいな奴にはわからないだろうがな、はした金なんかよりも時間の方がずっと惜しいんだ」
「偉そうに言うんじゃねえよ! ヒマ人で悪かったな、はした金で済むなんて誰が言った!」
「いくら欲しいんだ!」
「うるせえ、黙って言うとおり運転しろ! もう〝かわいがり〟じゃあ済まねえぞ!」
男は銃口を妻のこめかみに当てて、強く押し付けた。妻は顔を伏せ、わずかに呻き声をあげた。
「…わかった」
「わかっただ? なにもわかっちゃいねえぞ!」
「…わかりました」
「右曲がれオラ」
それからも十数回角を曲がると、登山道路に繋がっていった。少し登ると広い空き地が左側にあって、そこには小さいプレハブ小屋と新品に見える青色の仮設トイレがあった。どこかの工事現場の仮設事務所のように思えるが、車はなく、人の気配は感じられなかった。
「そこへ停めろ、トイレ休憩だ」
夫は車を空き地の中央付近に停車した。トイレまで30メートル程あるが、男はそこでエンジンを切るよう指示した。
「よし、まずは女だ。行ってこい、変な真似をしたら… 2分以内に戻ってこなかったら夫を撃ち殺すぞ」と言って、撃鉄をあげた。
妻は素直に車を降りて、トイレに向かった。スカートとハイヒールを履いているし、足下が悪い。しかもまだ雨が降っている。急ぎ足ではあるが、トイレにたどりつくまでに30秒以上かかっている。1分で用を足してもぎりぎり間に合わない。
30秒経ってもトイレのドアが開かない。40秒経っても… もしやあいつ…。 50秒を過ぎて、つまり合わせて1分25秒を越えたところでトイレのドアが開いた。計算していたかのように2分ぴったりで妻は車に戻った。
夫は戻ってきた妻を安心と疑念の目で見つめた。妻は何も言わず、まだ湿っているハンカチで髪と衣服の雨を拭った。
「よし、次はお前だ」
「だ、大丈夫です」
「ああ?」
「行かなくてもいい」
「ふざけんな! 次いつ行けるか分かんねえんだぞ、いいから降りろ!」
「2分じゃあ、焦って余計に出ない」
「お前は時間制限なしだ、その代わりに俺が付いていく」
男は撃鉄を戻した。
「え?」
「キーをよこせ、女は車で待っていろ。さっきも言ったが、変な動きを見せたらこいつの頭を便器に突っ込んで撃ち殺すからな」
夫は震えた。妻を信じていないからだ。自分を殺したいほど憎んでいるかもしれない、そう思ったからだ。
5分以上かかって、夫はトイレから出てきた。「長えよ!」男はそう言って夫の頭を小突いた。妻はおとなしく助手席で待っていた。迂闊な侵入者の目を盗んで、走行している車に助けを求める事は可能だったように思える。拳銃が本物である場合、代償として夫の命は失われるのだろうが、それによって遺産はすべて妻のものになる。夫の親族には恨まれるだろうが、そんなもの知った事ではない。
夫が運転席に腰を下ろし、シートベルトをするまで、男は上着の内側に隠した銃を握ったまま、夫の傍を離れなかった。
「名残惜しいが、ここでお別れだ」
「え?」
「お前よ、その高慢ちきな性根を直せよな。嫌味が溢れ出てんだよ」
2年前まではそうじゃなかった。夫は自信と余裕に満ち溢れていて、誰にでも優しく接する事ができる人物だった。しかし数分の一とはいえど多額の資産を失い、予定していたはずの清く正しい家庭像を失い、さらなる資産の喪失と信用の失墜の恐怖に脅かされている今の状況に、急激に精神を蝕まれていったのだ。ビジネスの場や浮気相手の前では平静を保っているのだろうが、その反動で妻に対して過度に不遜になるのだ。
男は八つ当たりするかのように運転席のドアを強く閉めて、車から離れていった。
「な、なんなんだいったい…」
そう不機嫌な様子で言いながらも、夫はほっとしていた。瞬時に緊張を解いて、笑顔にまでなっていた。能天気すぎる。それで終わるはずがない、妻はそれを知っていた。
「それでは、車を出してください」
振り返った夫に拳銃を見せた女は、やはりサイレンサーの先端を助手席の背に押し当てた。
次回
幕間&第2幕「新入者<Second Intruder> Part 1」
は
2月下旬ごろ投稿予定です




