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Flower  作者: Machio
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第5幕 勧誘者<Recruiter> Part 2

結局連休も執筆してました


ガソリンも高いし…

 初対面の、しかも夫の浮気相手の自宅に泊まるなんて事ができるはずなく、その後1時間ほど彼女と話してからタクシーを呼んで帰宅した。彼女がわたしの側に付くか、それとも夫側に付くかは保留となった。彼女はそれぞれの条件、メリットをよく吟味してから決めると言った。彼女との会話が本当に録音されているとしたら、確かに不利な証拠となる。夫がそれを夫婦間の不和の原因と訴え、離婚の正当な理由とする可能性がある。たとえ離婚まで発展しなくとも、その負い目がわたしの立場を一層弱くするだろう。

 しかしその不安は、帰宅後の睡眠を阻害するほど深刻なものにはならなかった。彼女は夫に対して本気の気持ちはまるでない、と明言してくれた。そのまま信用していいものではないだろうが、わたしは安心してしまったのだ。


 以降、数日から数週の間を空けつつ、彼女と何度も話し合いを行った。保留の間は録音データを夫に渡さない事、またわたしと会っている事を口外しないと約束してくれた。それもまた彼女の言葉を信じるしかない、他に選択肢がないのだから。

 彼女と会う時は、お互い偽名を使ったメールで連絡を取り合い、日時と場所を調整した。メールには決して相談内容を書かず、会った後はすぐに互いの履歴を消す事を徹底した。初めて会った時に言われた通り、夫もまたわたしの動向を探っている可能性があったため、周囲に注意するようになった。彼女は尾行の躱し方など、ネットからだけでは学べない知識とコツ(・・)を教えてくれた。

 わたしは営業職になった気持ちで、必死に彼女を口説いた。彼女の情に訴えかけるために、夫とのなれそめや結婚生活を赤裸々に語った。ほとんどが単なる主婦の愚痴だったが、自身のコンプレックスの吐露も多く含まれていた。 彼女はわたしを気遣った、しかし時に辛辣で、またユーモアを多分に含んだコメントを返してくれた。 いつしか目的が変わっていった。わたしは彼女に会う事が、話を聞いてもらう事が楽しくなっていた。身分違いの結婚やパンデミックで友人との交流を減らしてしまっていた孤独な生活の中、久々に心を許せる友人ができた気持ちになってしまった。

 密談のついでに、マスクを外して一緒に遊んだ。お茶して、食事して、カラオケに行って、ショッピングに行った。モデルのようなスタイルの彼女に、わたしがセレクトした服を着てもらう事が楽しくてしょうがなかった。彼女の美貌に触発されて、やせ細っていたわたしの体は、少しずつ健康を取り戻していった。

 また彼女の自宅で一緒にお酒を飲んだ夜があった。何度も繰り返した夫に対する不満を、彼女は繰り返し聞いてくれていた。わたしは…夫の振る舞いに深く傷ついた出来事を話した。それははじめて話す内容だった。他の誰にも話した事はない。


 わたしは、どちらかというと経済的に少し貧しい家庭の生まれだったと思う。両親はともに介護士だったけれど、父は結婚後に運送業に転職して、若い頃は二人とも毎日働きづめだったらしい。あまりに仕事が忙しくて、子供…わたしが生まれたのは父が40、母が36歳の時だった。それからは少し落ち着いて、わたしは質素だけれども、とくに不自由な思いをする事なく育ててもらった。両親は普通の、善良な人達だった。それだけにわたしが結婚した時、二人にはかなりの気苦労をかけてしまった。いきなり上流の家系に加わってしまったんだもの、慣れない事がたくさんあった。きちんとわたしがフォローするべきだったのに、自分自身余裕がなかった。つい冷たくしてしまって、披露宴では末席のテーブル1つに親族全員が追いやられて、肩身の狭い思いをさせてしまった。わたしは凄く自分を恥じた。また、夫の家族はわたしの家族には無関心で、何度か両親の職業や年齢について揶揄する言葉を聞いてしまった事もあった。それを同席していたわたしに詫びもせず、夫もまた抗議しなかった。ずっと気持ちを隠しているけれど、くやしくて堪らなかった。

 わたしは夫の家族内で少しでも強い立場を得ようとした。それがショップを経営したい、と願った理由だ。しかし夫を見返すために夫の力を借りた、本末転倒の甘ったれた女のやる事なんか、世間が認めるはずなかった。緊急事態宣言なんていう天罰まで加わって、経営は大赤字が続いて末期を迎えていた。そんな時…父がウイルスに感染した。


 介護どころか見舞いすら夫に否定され、反対を押し切ってひとりで実家に数日間滞在したところ、経営を放っている事を強く咎められ、さらに帰宅を禁じられた。1週間を過ぎたところで母が感染、発症し、持病があった父は容体が急変して入院後まもなく亡くなった。父を看取れず重体となった母もまた、生きる気力を失ったように、それからおよそひと月で後を追った。母が入った棺桶を見るまで姿を見せなかった夫を、わたしは公衆の面前で非難した。夫はそれに対して、世界中が同様の困難に立ち向かっているのに、自分だけを憐れんで責任を放棄するな、ともっともらしい説教で以て、わたしを罵倒した。

 それがワクチンを接種した30代の健康な男の言い分なのか。死に瀕した義理の親を無視しておいて、困難に立ち向かっているなんて偉そうな事が言えるのか。わたしが自分だけを憐れんでいる?夫の親族は誰ひとり亡くなっていないのに、どうしてそんなふうに言われなくてはならないのか。

 夫は完全に別人になってしまった。もしくは本性を現したという事なのだろうか。両親を失い、夫も失い、孤独感に苛まれたわたしは仕事を、家庭を保つ気力を失った。だけど… 憎しみだけはまだ残っている。


 酔って、泣きじゃくってしまったわたしを、彼女は強く、優しく抱きしめてくれた。わたしと同じくらい細いけれど、背が高く、手足が長い彼女の体がわたしの全身に絡みついて、まるで補強してくれているように感じた。わたしは…たぶん彼女もゲイではないけれど、触れ合った肌は熱くなって、口づけに膣を濡らした。

 弾力のある滑らかな肌は20代としか思えないが、言葉や纏う雰囲気はずっと年上のものに思えた。彼女は自分の事を断片的に、わずかしか話さないが、どうやら年上のようだ。もしかしたら30を超えているかもしれない。たとえそうでなくとも、精神的にわたしよりも成熟しているのは間違いない。そして、ただのホステスではない事は明らかだ。おそらく粉河遊姫という名前も偽名だろう。でも、夫とわたしを天秤にかけて、より効率よく大金をせしめようとしている…そんなちっぽけな悪女じゃない。


「わたしの代わりになってくれるなら、あなたの味方をしてあげてもいいわ」

「代わり?」

 個室のあるカフェでわたし達は会っていた。それまでに、わたしが探偵を雇って夫の身辺調査を行っていた事がばれてしまっていた。それはやはり、夫もまたわたしを調べていた事を証明していた。しかし、まだ彼女との密会が発覚していない事は、夫とも頻繁に会っている彼女自身が保証してくれた。…わたしの中ではもう、彼女を信じる事がすべての前提になっていた。

「わたしの本当のお仕事を手伝ってもらう。ホステスはあくまで副業なの」

「どんなお仕事ですか?」

「言うなればスパイかしら。ターゲットの内側に入り込んで、情報を盗む、あるいは協力者をつくるの」

「スパイ? 協力者をつくるって…」

 彼女は二人掛けのソファに並んで座っていたわたしを抱き寄せ、首筋に唇を近づけた。

「色仕掛けで、勧誘するのよん」 かわいい声と一緒に、甘い吐息を吹きかけられた。くすぐったくて、思わず笑い声を上げてしまった。

「何それ」

「わたしがカタギ(・・・)じゃない事はもう分かっているでしょう?」

「…味方になってくれるなら、なんだってする」

 彼女はさっと体を離すと、値踏みするようにわたしの全身を眺めた。微笑んで、顎の下に軽く握った手を当てて、少し考えているふうでもあった。

「とは言っても、素人をテストもなしに採用するわけにはいかないわね。まずは適性を確かめなくちゃ」

「なにをすればいいの?」

「ついでにあなたの目的を果たしましょう。その方がやる気も沸くだろうし」

「え?」

「つい先日ね、ご主人のお買い物に付き合ってあげたのよ」

「買い物?」

次回


第5幕 勧誘者<Recruiter> Part 3 & 4(最終回)

3月末~4月頭に投稿予定です


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