第40話 新たなプレイヤーたち (3)
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長時間のフライトは60代の私、カール・ミュラーには少々過酷だったが、遂に日本に辿り着いた。主の福音が届かない大地、日本。ここには八百万の神々が共生しているというが、同時に仏の教えも重んじられているのだとか。
今回、枢機卿である私がわざわざ日本に来た理由はとあるEメールにあった。それはカトリック教会信者の減少が激しいヨーロッパでの布教活動に関して幾つかの助言をくれたインターネット上の友人、<楽園の賢者>の主人からの連絡であった。
ドイツ人である私には理解できない日本語の怪文書。最初は趣味の悪い悪戯か新手のカルト教団の勧誘かと思っていたが、あの<楽園の賢者>の主なのだ。彼は敬虔なキリスト教徒で、私と幾つもの宗教的議論を重ねた。その内容は単なる議論の域を超え、宗教会議でもしている様だった。私はその内容を論文にまとめ、近いうちに発表する。枢機卿である私をここまで動かした人物なのだ、きっと何かあるに違いないと踏んだ私は日本を訪れることにした。
郊外を散策すると、住宅街や繁華街と神社やお寺が完全に共生している。それは日曜日に通う場所ではなく、日本人の毎日に溶け込んでいる。何か、自然宗教の完成形を目にした気分だ。この国では神話の世界から続く血脈が帝となり、今でも国家の象徴であると聞く。キリスト教を含む殆どの宗教はその神話の世界と歴史の世界に大きな隔たりがあるが、この国にはそれがないのだ。本当に不思議な国だ。かつてラフカディオ・ハーンという西洋人が陶酔したのも頷ける。
我々ヨーロッパ、否、西洋人はこの一見未開の文明をあまりに過小評価していたのだ。お陰でイギリスもシチリア島も日本に追い抜かれまいと、世界冒険者教会の東洋本部を台湾に設置したり研究に関する利権で争っているが、それも限界に近い。
私もこの街並みを見るまでは心のどこかで、主の福音が届かないアジアの島国だとしか思っていなかった。しかし信仰の観点から考えると、如何なる道徳や教義も押し付けない日本の信仰は美しく、また二項対立の様な単純さが通用しない現代に即している。更に神社も仏閣もこの国ではただの象徴であり、我々の教会の様に信仰の根幹ではない。信仰が物質世界に依存していないのだ。もしこの国に預言や奇跡の類を行使できる者が存在するならば、西洋の一神教は崩壊しかねない。<楽園の賢者>もこう言っていた。
『神の実在と主の教えは哲学的に未開の世界で生きる意味を発見するための宗教的街道である。』
それはキリスト教の存在意義を確定させる力強い言葉であると同時に、神も福音も「街道」という全くの人工物であることを意味していた。神道や日本仏教の教えは「当たり前」や「決まり」の様に人々の道徳に溶け込んだが、キリスト教は決して慣習法にはならないのだ。人間の誕生・存在・死という形而上学的問題を一つの結論へと統制する装置だ。その根幹である預言者という概念が覆れば、絶望と妄信が混在する狂気の世界が生まれる。一神教という、究極の二項対立はとっくの昔に死ぬべきだったのかもしれない。
「せっかくの遠出だ。難しいことを考えるのはやめにしましょう。」
私はホテルに戻っていった。
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