長い春を越えて
「真紀、あなたたち、いつ入籍して結婚式挙げるのよ。」
姉から言われて、真紀は困惑した表情を浮かべた。
「えっ?結婚式って今更……。」
カフェで姉の由紀と向き合って珈琲を飲んでいた真紀はそっとカップをソーサーに置いた。
「まさか、結婚式しないの?」
由紀は真剣な面持ちで聞いた。
「だって、こんな歳でウェディングドレス、着れないでしょ。」
「何で?」
「何でって……。
やっぱり……恥ずかしいじゃない。」
「そんなことないわよ。一生に一度のことなんだしね。
式場は私たちで予約するから、内輪で結婚式、挙げましょうよ。」
「ちょっと待って。考えてみたら、私、潤さんからプロポーズされてないし。」
「えっ?本当に?」
由紀が驚きの声をあげた。
「むかし、むかし……まだ潤さんが行方不明になる前にプロポーズされたけれど……あれ、まだ有効なのかしら?」
呑気な妹の発言に呆れた様子の由紀。
「あなた、有効かしらって……。
何十年ぶりに再会できたんだから、今度こそ二人は結婚するべきでしょう。」
「結婚するべきって……。
何だか潤さんにも言い出しにくいし。」
「じゃあ、私から潤さんに言うわ。」
バッグの中から今にもスマホを取り出しそうな由紀を見て……
「あぁ、姉さん、潤さんに電話はしないで!
私から聞いてみるから。」
と慌てて由紀を思い止まらせた。
「本当なのね。
あなたから逆プロボーズしても良いし…。」
「逆プロポーズ?
そんな恥ずかしいこと、私、するの?」
「もう、私たちだって、この先何があるかわからないんだし、絶対結婚しなさい。
沙耶ちゃんだって喜ぶわよ。」
姉からこんな風に命令口調で物を言われるのも何十年ぶりだろう……と真紀は思った。
由紀とカフェを出て、家に帰ってから真紀は、しばらくソファーに座って考えていたが……ついに決心してスマホを取り出し、潤にLINEでメッセージを送った。
『近いうちに会えますか?
話したいことがあって……。』
送ったと思ったら、すぐに潤から返事が返ってきた。
『いいよ。いつにする?
今日は、早く仕事が終わりそうだから、夕食でも一緒にどう?
良かったら、お母さんと沙耶ちゃんも一緒に。』
「えっ?お母さんと沙耶も一緒にって……
それは困るわ。」
真紀は、そう呟いて
『私とあなただけで会いたいんだけど。』とまた送った。
『了解。じゃあ、そっちの駅まで行くから。
あのいつか一緒に食事したレストランで会おうか。』
『レストラン、ミラージュね。
わかった。じゃあ、6時半頃でどう?』
『えぇ。6時半で大丈夫。
じゃあ、後でね。』
真紀は、潤と約束すると立ち上がり、キッチンに向かう。
母と沙耶の夕食作りのためだった。
冷蔵庫を覗き、今ある食材を取り出してから、手早く料理に取り掛かった。
そして、数時間後--。
夕暮れの街に、淡い金色の灯りがともり始めた頃、潤はレストラン「ミラージュ」の前に立っていた。
ガラス越しに見える店内は、柔らかな光に包まれ、
まるで温かな家の明かりのようだった。
久しぶりに訪れたはずなのに……
不思議と胸がほっとする。
ゆっくりドアを開けると――
奥の席で、笑顔で小さく手を振る真紀の姿があった。
「ごめん、待たせた?」
「ううん。大丈夫よ。」
二人は向かい合って席に着く。
落ち着いた音楽、琥珀色に照らされたテーブル。
けれど真紀の胸の内では、静かに波が揺れていた。
料理が運ばれ、軽い会話をしながら食事が進んでいく。
しかし、真紀の瞳にはどこか迷いと緊張が浮かんでいる。
食後のコーヒーを一口飲んだ後……
真紀は、そっとカップをソーサーに戻した。
「潤さん……少し、話してもいい?」
「もちろん。」
真紀は小さく息を吸い込み、
膝の上でぎゅっと自分の指を握りしめる。
「……あのね。
私、ずっと考えていたことがあって……。」
言葉が震える。
でも逃げずに、ゆっくり、真っ直ぐに潤を見つめる。
「私たち……結婚しませんか?」
潤の表情が、驚きからゆっくり微笑みに変わる。
真紀は慌てたように続けた。
「こんな歳で逆プロポーズなんて、
自分でも変だと思うのよ?
でも……あなたと心を通わせる日々がすごく幸せで……
この幸せを、ちゃんと形にしたいの。」
緊張と恥ずかしさが入り交じってどんな表情をしたら良いか……真紀はわからなかった。
思わずコーヒーカッブに視線を落とす。
照明の光が、カップの柄を持つ彼女の指先をそっと照らしていた。
「……真紀ちゃん。」
名前を呼ぶ声が、どこまでも優しい。
「俺もね、ずっと言いたかったんだ。
もう一度、君と人生を一緒に歩きたいって。
ただ、君とお母さん、沙耶ちゃんとの生活を壊したくなくて言い出せなかった。
でも、もう君と離れたくない。
これから先は、ずっと真紀ちゃんの隣にいたいと思うんだ。」
真紀は、潤の言葉に顔を上げ、真っ直ぐに彼の瞳を見た。
「だから――答えはイエス。
結婚しよう。
真紀ちゃん、俺と一緒にいてください。」
真紀の頬には一筋の涙が零れる。
真紀は涙を手で拭い、こくりと頷いた。
「……ありがとう、潤さん。」
しばらく見つめ合っていた二人だったが……
「まさか、真紀ちゃんに逆プロポーズされるとはね。」
と潤がいたずらっ子のように目を細める。
「ちょっと、潤さん。
私、恥ずかしいのを堪えてプロポーズしたんだからね。
茶化さないでよ。」
二人はそう言いながら、ふっと笑い合った。
ゆらゆらと揺れるろうそくの炎の前で新たな二人の物語が始まろうとしていた。
レストランを出た潤と真紀を幸せな春の夜が優しく包み混んでくれる。
「これからは、ずっと一緒ね。」
潤を見上げる真紀。
「うん。」と頷いた潤は、真紀を愛おしそうに見つめ、ゆっくりと歩き出した。




