冬の光の中で
ホームの一階にあるリビングは、大きな窓から冬の柔らかな光が差し込んでいた。
テーブルに置かれた白いカップから、湯気が細くたちのぼっている。
長谷川夫妻が紅茶が好きだというので、沙耶たちも職員さんに紅茶をお願いしていた。
車椅子に座る貴史を取り囲むように思い出話に耳を傾ける真紀や潤、沙耶。
その輪から少し離れた場所に隼人は一人で腰掛けていた。
隼人は、温かなミルクティーを飲みながら、久しぶりにオーストラリアの老人ホームを思い出していた。
ここと同じように大きな窓から美しい中庭の緑が見えていたな……。
中庭には、季節の花やハーブが植えてあって時々、隼人は入居者の車椅子を押しながら、庭を散策したものだった。
隼人が物思いに耽っていると……
陽子がそっと隼人の隣に座った。
「隼人君、さっきは夫の車椅子を押してくれてありがとう。
前にボランティアしていたことがあるんですって?」
「はい。オーストラリアのホームで。
今、その頃のことを思い出していました。
皆さんでガーデニングを楽しんだり、ゲームをしたり……。
僕も一緒に花を植えた時は、楽しかったです。」
「そうなのね。
ガーデニングなら、このホームでも時々やるわよ。
お花植えるの、楽しいわよね。
あっ、玄関の前にあった花壇の花も私たちが植えたのよ。」
「あぁ、さっき入り口にあった……。
ビオラ、とっても綺麗でした。」
「あら、見てくれたのね。」
陽子が微笑む。
「隼人君は、凄く優しい人なのね。
小さな花にも目をとめる人なんだもの。」
「えっ、どうなんだろう?
優しいのかな、僕は。」
少し表情を曇らせた隼人を陽子はじっと見つめた。
「……あなたは、きっと苦しいわよね。」
カップを持つ隼人の指先が、かすかに震えた。
「ここに来る前から、ずっと……。」
隼人は、目を伏せた。
自分の心の奥を覗かれたような気がした。
ずっとたまっていた感情が溢れていく--。
「最近は、家族にさえ優しくできているのかわからなくて。
いったい僕はどうしたら良いのか……。」
陽子は、隼人のカップに視線を落として隼人に優しく話しかけた。
「隼人君、迷っている自分を、責めなくていいのよ。」
「……。」
「人はね、大切に思うものが増えるほど、心は揺れるものなの。」
陽子の声は、隼人の心の奥に静かに染みていく。
「隼人君は、ちゃんと大事にしようとしているのね。
育ててくれたご両親のことを。
そして、真紀さんや潤さん、沙耶ちゃんのことも。」
そう言いながら、陽子は、貴史と話している潤たちの方をちらっと見た。
隼人は、小さく息を吐き、決心したように陽子を見た。
彼女には聞いても良いような気がした。
「……どうしたら、うまくいくんでしょう?」
その問いは、誰にも見せたことのない正直な声だった。
陽子は隼人の問いに静かに答えた。
「うまくいかなくて良いのよ。」
隼人は、驚いたように顔を上げた。
「あなたが、うまくやらなきゃって思わなくて良いってこと。
ただ……ご家族と一緒にいる。
それだけで、もう十分よ。」
陽子は更に続けて言った。
「あなたは、とても優しい人だから、周りに気を遣いすぎて疲れてしまうんじゃないかしら?
たまには、家族からも離れて良いのよ。
一人になるのは、優しくないわけじゃない。
自分の心を守るためよ。」
「一人に……なる。」
「そう。」
陽子の言葉は、隼人の誰にも見せなかった痛みを、まるごと抱きしめてくれるような温かさがあった。
「また、話したくなったら、いつでもいらっしゃい。」
隼人は、わずかに目を赤くしながら、静かに頷いた。
「……ありがとうございます。」
誰にも話せず、一人で悩んでいた隼人だったが、陽子に会って心が柔らかくほどけていく--
そんな気持ちになった。
ここに来て本当に良かった……
隼人は心からそう思えた。
この時、陽子は隼人にとっても大切な人になったのである。




