海が見えるレストランで
潤の会社に二人が出かけてから数日が経った頃……
沙耶と隼人に潤からLINEが届いた。
ランチでも一緒にという彼からの誘いに二人は応じることにした。
潤は、隼人と沙耶を最寄り駅まで車で迎えに来てくれた。
駅前のロータリーに落ち着いたグレーのワゴン車が停まる。
「どうぞ、乗って。」
後部座席のスライドドアが開き、二人が車に乗り込むと車は滑らかに走り出した。
車内は、広々としていてソファーも柔らかく、座り心地が良かった。
アウトドア好きな潤に似合う車だった。
「今日は、来てくれてありがとう。」
潤が運転しながら二人に話しかける。
「いえ。
わざわざ迎えに来て頂きすみません。」
隼人が答える。
「今日は、また社長にお会いできて嬉しいです。」
沙耶がそう言うと
「社長じゃなくて、潤で良いよ。」
と彼は気さくに答えた。
車は市街地を抜け、やがて開けた海沿いの道路へと出た。
「ここからだと、海がよく見えるんだ。」
潤がそう言うと二人は、思わずガラス窓の外に目を向けた。
どこまでも広がる水平線。淡い冬の日差しに照らされた海は、柔らかく光り、遠くできらきらと揺れていた。
「わぁ……。」
沙耶が小さく息をのむ。
「綺麗だね。」
隼人も思わず声を漏らした。
潤は少し微笑んだ。
「そう言ってもらえると嬉しいよ。ここの海を見ると、いつも心が落ち着くんだ。」
ほどなくして、車は白い外壁のレストランの前にゆっくりと停まった。 大きな窓が海に面していて、風がよく通りそうな明るい店だ。
「ここ、オーナーとは少し縁があってね。気に入ってもらえるといいんだけど。」
店内に入ると、潮の香りとほんのりとハーブの香りが混ざった心地よい空気が流れていた。
白と木目を基調にした落ち着いた内装。窓際の席に案内されると、海がまるで目の前にあるかのように見える。
「わぁ……。」
沙耶がまた声を上げると……
「気に入ってくれた?せっかくだから、ゆっくりしていって。」
と潤は嬉しそうに微笑んでいる。
三人が席につくと、店員が水とメニューを置いていった。
隼人は少し緊張したように背筋を伸ばしていたが、沙耶は時々海を見ながら、その美しさに心奪われているようだった。
「この間は、君たちが僕に会いに来てくれて、嬉しかったよ。」
潤の声が、柔らかく響く。
「二人と話して……あの日から、ずっと考えているんだ。これからのことを。」
沙耶も隼人も、ゆるやかに視線を潤へ向けた。
「すぐにどうしたら良いかわからないけど……また君たちと一緒に時間を過ごしたいなと思った。」
「……はい。」
沙耶が静かに頷いた。
隼人は、じっと潤の瞳を見つめている。
この人の言うことに嘘はないように思う--
心の中でそんな言葉が浮かんだ。
窓の外では、波が寄せては返している。
穏やかな時間が流れていた。
三人は料理や飲み物を注文し、しばらく無言でいたが……
「あの……。少し伺いたいことがあるんですが……。」
沙耶の言葉に
「何?何でも聞いてくれて良いよ。」
潤がにこやかに答える。
「潤さんは、山で遭難した後どうされていたんですか?」
「あぁ……。気になるよね。
実は、山で足を踏み外して滑り落ちた時、たまたま下まで落ちずに運良くある窪みで止まったんだ。
そこでしばらく気絶していて……ようやく気がついて何とか自力で下山したんだけれど……。
どうも、頭を打ったみたいで、記憶を失ってしまった。」
「え……記憶を?」
二人は、ほぼ同時にそう言うと驚いて潤の顔をじっと見た。
「うん。そうなんだ。
自分が誰なのか、誰と登山に来たのかもわからず、途方にくれてしまって……
そんな時にあるご夫婦が僕を助けてくれて、黙って何年も世話してくれたんだよ。」
「そうだったんですか。
私の母も潤さんをずいぶん探したようなんですが、見つからなかったと言ってました。」
「真紀さんには申し訳ないことをしたよ。」
そう言うと潤は窓の外を見つめた。
遠くで波が岩にあたり、白くほどけていく。
「今、お仕事をされているとすると……途中で過去を思い出されたんですか?」
隼人が聞いた。
「うん、そうなんだ。
全てを思い出すのにだいたい5年の月日がかかった。
思い出した時に真っ先に真紀さんを思ったけれど、彼女は誰か別な人と一緒に幸せになっていると考えて会いには行かなかった……。」
「そうだったんですね。
潤さんは、今……母に会いたいですか?」
沙耶が一番聞きたいことを思いきって尋ねた。
潤は少し考えるようにコップの水を飲んだ。
飲み終えると静かに口を開いた。
「うん。君たちとこうやって会えた今…真紀さんとも会いたいよ。
会って謝りたいし、色々話してみたい。」
「良かった。母が喜びます。」
沙耶は弾んだ声をあげた。
「潤さんは、悪くないですよ。
事故で記憶を失っていたんだし……ずっと姿を現さなかったのも、母を想ってのことだったんですよね。」
隼人が潤を庇うように言った。
「それは、そうだけど……。」
「潤さん、僕らも兄妹だって知ったのは最近のことなんです。」
「えっ?そうなの?」
「はい。僕は長くオーストラリアにいたし。
日本の高校に転入してきて、偶然沙耶に出会ったんですよ。
だから、本当の母親が真紀さんだって知って驚いたし……。
僕は潤さんと同じで今の状況にまだすっかりは慣れていないですから、潤さんの戸惑われる気持ちが少しわかるような気がします。」
隼人の言葉に
「君たちもずっと離ればなれになっていたんだね。
知らなかったよ。何だか悪かったね。」
「潤さん、自分をもう、責めないでくださいよ。
僕は、沙耶がいてくれたこと、凄く嬉しかったし。
育ててくれた両親のことが大好きだから。」
「私も隼人が今、側にいてくれること、潤さんにこうして会えたことに感謝しています。」
「ありがとう。そう言ってくれて。」
潤は瞳をうるませた。
その後……
「お待たせしました。
魚介のペスカトーレでございます。」
料理が次々と運ばれてきて、三人の顔に再び笑顔が戻った。
海の波が寄せては返すように隼人たちの人生は離れたり、近づいたり--
しかし、今こうして一緒にいられるのは、正に奇跡のようなことだった。
もしも神様がいるとしたら、心からありがとうって伝えたいな……。
潤や隼人の顔を見ながら沙耶はそう思った。
食事は美味しく、時が穏やかに流れていく--。
隼人や沙耶が楽しそうに会話している。
そんな姿を見ながら、潤は、目の前にいる二人が自分の子どもたちだということを次第に受け入れようとしている自分がいることに気付いていた。
彼の胸の奥には言い知れぬ温かな感情が芽生えていた。




