繋がる過去の記憶
「あの……緒方社長、大丈夫ですか?」
潤の様子を心配した沙耶が、とうとう言葉を発した。
彼が話してくれるのを待つつもりだったが、もう目の前で涙する姿をそのまま黙って見ていられなかった。
「あ……ごめんね。
こんな姿を見せてしまって。」
潤がやっと顔を上げた。
「いえ……。
こちらこそ何だかすみません。
僕たち、社長に辛い思いをさせてしまっているみたいで……。」
隼人も申し訳なさそうに潤を見た。
潤は、ハンカチをポケットから取り出して涙を拭い、
改めて隼人と沙耶の方を向いて、尋ねた。
「何で……君たちは、僕に会いに来たの?
お母さんから、僕のことを何か聞いたのかな?」
「それは……。」
沙耶がそう言いながら口ごもった。
隼人がそんな沙耶を見て、決心したように話し出した。
「僕たちがあなたに会いに来たのは、あなたが僕らの父親だからです。」
「えっ?」
潤はそう言ったきり、しばらく黙ってしまった。
「ちょっと待って……。僕が君たちの父親?」
困惑した表情を見せる潤。
「母は、あなたが山で遭難し、行方不明になった後に自分が妊娠していることに気付いたんだそうです。
そして、一人で産む決心をし、僕らが誕生しました。」
「そんな……。
まさか……そんなことがあったなんて。」
潤はあまりのショックに顔色がなくなっていた。
「緒方社長……驚かせてすみません。
私たちも最近、母からこの話を聞いたんです。
それで、この間、キャンプ場の近くの川で社長にお会いして、私たちに似た瞳をされていたから、驚いてしまって……。」
沙耶が話を続ける。
「名刺をいただいて、お名前を見てはっとしました。
お顔を見たら、何だか僕らと近いものを感じたので、今日は是非お目にかかりたいと思い伺いました。」
「真紀さんが君たちを一人で育てたの?」
「1歳までは僕たち、一緒に育ったんですが、その後、僕は母の姉夫婦の養子になり、オーストラリアで暮らしました。」
「姉夫婦と言うと……由紀さんと壮一さん?」
「はい。」
由紀と壮一の名前を潤は覚えていた--。
そのことに隼人は、少し嬉しさを感じた。
「僕は何も知らないまま……こんなに年月が経ってしまったんだね。」
潤は、複雑な思いを抱いているようだった。
「あの……社長は今、結婚されてますか?」
沙耶が恐る恐る聞いた。
「いや、していないけど。」
「母もずっと独身のままです。
社長が現れるのをずっと待っていたんだと思います。」
「そう……なの?」
驚きを隠せないといった表情の潤。
「はい。」
沙耶が頷いた。
その時、ドアをノックする音が聞こえた。
「社長……。
次のお約束の時間ですが……。」
女性社員がそっと顔を出した。
「あっ、そうだったね。
ちょっと待っていて。すぐに行くから。」
緒方社長は、沙耶と隼人の方を向き、落ち着いた口調で話し出した。
「ごめんね。この後、仕事の約束が入っていて。
何だか大変なことを知ってしまったから、このままにもしておけないな……。
今日は、時間が取れないけど……後日、また君たちに会いたいと思う。」
「わかりました。今日は急にお邪魔してすみませんでした。」
隼人と沙耶が頭を下げる。
「いや、遠いところ、来てくれてありがとう。
連絡先、教えてくれる?」
「はい、勿論。」
そう隼人が答え、二人は隼人とLINEを交換した。
「今日は、家まで送ってあげられなくてすまない。
今度きちんと君たちのご家族にもご挨拶に行くよ。
それまで、待っていてくれるかな。」
「わかりました。
お待ちしています。」
沙耶が嬉しそうにそう答えた。
二人がオフィスから帰るのを潤は笑顔で見送ってくれた。
突然、父親だと言われて戸惑ったに違いないが、今はそのことを受け入れてくれたのではないかと二人は思った。
実の父親と出会えるなんて、隼人と沙耶にとって奇跡みたいなことだった。
このことを真紀や由紀、壮一、そして祖母である光恵が知ったら、どんなに驚くだろう?
二人はその場面を想像しては、胸が高鳴るのを感じていた。
帰りのバスを待つ間に隼人が沙耶を見て言った。
「取り敢えず、また潤さんから連絡があるまで、家族には彼に会ったことを秘密にしておこう。」
隼人の言葉に
「わかった。」と沙耶も頷いた。
自分にお父さんができるなんて……。
沙耶はこの夢のような出来事に嬉しさと何だかくすぐったいような不思議な感覚を抱いていた。
お母さん、喜ぶだろうなぁ。
長年待ち続けていた母、真紀のためにも、潤さんに会えて良かったと思う沙耶だった。
沙耶が喜ぶ顔を隣でそっと見守っていた隼人もこれで良かったんだと思い、ほっとしていた。
「沙耶、駅に着いたら、何か美味しいものでも食べようか?」
「うん!」
温かな午後の日差しを受けて二人の瞳がキラリと光った。
二人の影は寄り添うように並んで、長く伸び、歩道に影を落としていた。
隼人、沙耶、真紀、そして潤--。
途切れたはずだった時間が、再びゆっくりと結び直されていく。
その結び目は、まだ小さく頼りないかもしれない。
けれど四人の確かな絆がそこにはあった。




