緒方社長との再会
キャンプに行った翌日、学校で顔を合わせた沙耶と隼人は、昨日の出来事について話をしていた。
「あの人って……もしかしたら、私たちのお父さんなの?」
沙耶の問いに
「そう……かもしれない。」
隼人も彼からもらった名刺に書かれた名前を思い出しながら答えた。
「『緒方 潤』って名前……お母さんから聞いていたし、あの瞳は、私たちに似ていたよね。」
「俺たちの瞳と同じか……。」
そう言いながら、隼人は屋上のフェンスに寄りかかった。
空には、飛行機雲がいくすじにも流れるように描かれていた。
「あの人に会いに行ってみるか?」
「えっ、私たちだけで?」
「うん。俺たちだけで。
本当の父親だってはっきりしてから、母さんたちには知らせた方が良いよ。」
「そう……だよね。」
「うん。」
隼人が深く頷いた。
「いつにする?」
「今週末、土曜日は?
沙耶、空いてる?」
「うん、大丈夫。
じゃあ、土曜日にあの人の事務所に行ってみようよ。」
「OK。
ちょっと遠いから、朝から出かけよう。」
「じゃあ、9時にいつもの駅で待ち合わせね。」
こうして、潤に会いに行く約束をした二人だった。
土曜日の朝。
雲ひとつない空が広がっていた。
二人は駅前のロータリーで待ち合わせをしていたが、沙耶は少し早めに着き、改札口の柱にもたれて隼人を待っていた。
何だかそわそわする気持ちが抑えられず、何度もスマートフォンの時計を見た。
やがて、隼人がゆっくりとこちらに歩いてくるのが見えた。
落ち着いた面持ちの隼人--。
彼の肩には小さなショルダーバッグがかけられていた。
「おはよう、沙耶。」
「おはよう、隼人。」
「沙耶、ちゃんと眠れた?」
「ううん……あんまり。いろいろ考えちゃって。
二人でちょっと出かけてくるとは、お母さんに言ってきたんだけど……。
隼人は大丈夫だった? おば様から何か言われなかった?」
「大丈夫、大丈夫。
学校の課題で調べたいことがあるから、沙耶と二人で出かけてくるって言っておいたよ。」
「そっか。学校の課題ね。
なるほどね~。
博物館か図書館にでも行ったことにするか。」
二人は顔を見合わせ、小さく笑った。
緊張が少しほぐれたところで、隼人が駅前に停まっていたバスの時刻表を見上げる。
「行こう。乗り換えもあるけど、二時間もあれば着く。」
「うん。」
バスの窓から流れていく景色を、沙耶は黙って眺めていた。
街が次第に遠ざかり、郊外の並木道や川沿いの道が広がっていく。
乗り換えで一旦バスを降りた時に隼人がコンビニの袋を差し出した。
「これ、朝早かったから買っておいた。おにぎり、梅と鮭。」
「ありがとう。」
沙耶は微笑んで袋を受け取り、停留所のベンチに座っておにぎりを少しずつ頬張った。
水筒に入った温かいお茶を飲んで少し体も温まってきたような気がした。
沙耶は緊張で朝から空腹を感じていなかったが、隼人の気遣いに触れ、やっと安心して食べ物を口にできた。
再びバスに揺られて40分位が過ぎた頃、車窓の先に『OGATA OUTDOORS』という看板が見えてきた。
白い外壁の建物が、静かな並木通りの角に建っている。
モダンでありながら、どこか温かみのある佇まいだった。
バスを降りて、二人は建物の前に立つ。
玄関のガラス扉の向こうには、観葉植物と木製のデスクが見えた。
「ここ……だね。」
沙耶の声は小さく震えていた。
隼人がそっと頷く。
「行こう。」
二人は互いに視線を交わし、ゆっくりとガラス扉を押した。
カラン、とドアベルが鳴り、
木の香りのする静かな空間が二人を迎え入れた――。
「いらっしゃいませ。」
受付の女性がにこやかに出迎えてくれた。
「あの……緒方社長にお会いしたいのですが……。」
隼人がそう女性に伝えると……
「お約束されていらっしゃいますか?」
「いえ……すみません、急に伺って。
でも、私たち社長に是非お会いしたくて……。」
沙耶が必死に訴える。
「お待ちください。今、社長に確認させて頂きますね。
お名前は……。」
「竹村隼人です。」
「私は、柚木沙耶と申します。」
「竹村様と柚木様ですね。」
社内電話で女性が社長に確認の電話をしている間--
二人は、ドキドキしながら潤の返事を待っていた。
「社長、お会いになるそうです。」
女性がそう答えると沙耶と隼人は事務所の奥にある部屋に通された。
そこには、外の緑が見える大きな窓があり、木製の机や椅子が温もりを感じさせる居心地の良い空間が広がっていた。
「綺麗な部屋だね~。」
「うん、本当に。広々としているね。
緑が綺麗だな。」
沙耶も隼人も椅子に腰かけると外の景色に思わずみとれていた。
常緑樹の中に紅葉した木々も混じり、まるで一枚の絵画を見るような美しさだった。
15分ほど経っただろうか--。
白いシャツに黒いジャケットを羽織ったあの時の穏やかそうな中年男性が二人の前に姿を現した。
「お待たせしました。
君たちは……この間、川の側で出会った人たちだよね。」
「はい。」
二人がいっしょに答える。
「仲が良いみたいだけど、もしかして兄弟?」
「はい。僕たち、双子なんです。
似てますか?」
「うん、よく似てるから、そうかなと思って。
双子なんだね……。
で、今日はどんな用事でここまで来てくれたの?
アウトドアに興味があったのかな?」
二人が何と切り出そうかと迷っていると……
女性社員が、お茶を運んできた。
「温かいうちにどうぞ。
紅茶だけど……。珈琲もあるけど、好みがわからなくて。」
「ありがとうございます。
いただきます。」
隼人がティーカップを口にする。
沙耶も隼人に倣って紅茶を一口飲んだ。
隼人がティーカップをソーサーに静かに置いて口火を切った。
「あの……実は、僕たち、社長に聞きたいことがあって来たんです。」
「聞きたいこと?
何だろう?遠慮しないで、何でも聞いてくれて良いよ。」
「社長は……柚木真紀という人を知っていますか?」
沙耶が潤の目を真っ直ぐに見ながら聞いた。
「えっ……柚木真紀?」
潤は目を見開き、しばらく時が止まったように沈黙した。
「柚木真紀は、私たちの母なんです。」
沙耶が少し震えながら言った。
「君たちのお母さん?」
潤の瞳は、戸惑いと驚きの色に満ちていた。
その後、そっと二人から視線をそらし、机の上のティーカップを見つめながら
「真紀さんは、元気なんだね……。良かった。
本当に良かった。」
と言いながら、潤は大きな瞳に涙をいっぱいためていた。
そして、いつしか涙を流しながら、うつむいた潤を前にして、沙耶も隼人も咄嗟に言葉が出なくなってしまった。
この人との出会いも偶然ではなく、必然なの?
そんな言葉が沙耶の頭の中でぐるぐると巡っていた。
隼人も涙する潤の姿を前にして全てを悟っていた。
この人は、俺たちの父親に間違いない--。
十数年の時を経て、初めて会ったこの人が自分たちの父親……。
その事実にどう向き合えば良いのか--。
静かな時が三人の間に流れていた。
紅葉した木々から、はらはらと葉が落ちる。
その光景を目の端に見ながら、二人は潤が次の言葉を発するのをじっと待っていた。




