キャンプ場での出会い
沙耶と隼人の家族が初めて一緒に食事をしてから、何かにつけて、両家は集まるようになった。
祖母、光恵の誕生日を皆で一緒に祝ったり、由紀が得意な料理を作ったと言っては沙耶たち家族を自宅に招いたりした。
由紀の彩り豊かな手料理を食べながら、
「由紀も真紀も料理上手になったわね。
何よりこうやって皆で集まると楽しいわ。」
と光恵が顔を綻ばせると……
「おばあちゃん、最近よく笑うようになったし、顔色が良くなって、長生きしそう。」
と言って沙耶が笑った。
「うん、おばあちゃんが笑っているのが僕たちも一番嬉しいよ。」
隼人もそう言って光恵を見た。
「隼人におばあちゃんって呼んでもらえて嬉しいわ。
こんな日が来るなんて、思いもよらなかった……。
もう、思い残すことは何もないわよ。」
光恵が目を潤ませて隼人を見た。
「そんな……オーバーだよ。
思い残すことはないだなんて。
まだまだ、おばあちゃんには長生きして欲しいのに……。」
隼人は、少し不安そうに光恵の顔を覗いた。
「お母さん、ちょっと大丈夫?
年をとって弱気になってきたのかしら……。」
真紀もそう言いながら、姉の由紀の方を見た。
「何だか、湿っぽい雰囲気になってきたわね。
そうだ、今度、皆でキャンプにでも行く?
屋外に出れば、お母さんの気持ちも明るくなりそう。」
由紀がそう提案すると……
「それ、良いね。
外で皆でバーベキューでもしようよ。
僕、車を出すから。」
壮一も嬉しそうに妻の由紀の案に応じた。
「わぁ~、楽しそう!」
沙耶もわくわくしながら思わず声をあげた。
「皆でキャンプに行けるなんて考えてもいなかったよ。」
そう言う隼人の声も弾んでいた。
「まぁ、キャンプに行くなんて、私は初めてよ。
近所にピクニックに行くことはあったけれどね。
長く生きてみるものね~。」
光恵も初めての体験ができるとあって楽しそうだった。
その後、日にちを調整し、六人でキャンプに行くことになった。
季節はすでに12月に入っていたので、泊まるには寒いということで、日帰りでキャンプ場まで行き、バーベキューをする予定にしていた。
澄みきった冬の空気の中、キャンプ場に着いた一行は、吐く息を白くしながらテント代わりに日差しや雨を避けるタープを張り、バーベキューの準備を始めた。
山の木々の紅葉もほとんど終わり、赤や黄色の落ち葉が、焚き火の炎に照らされ光っていた。
「寒いけど、空気が澄んでいて気持ちいいね。」
沙耶がマフラーを直しながら空を見上げると、隼人が炭に火をつけながら頷いた。
「うん。焚き火の匂い、なんか落ち着くよね。
あの学園祭の時のキャンプファイヤーを思い出すぁ。」
「そうだね。」
沙耶も隼人の言葉に頷いた。
火が安定すると、由紀が「はい、野菜も焼くわよー!」と声をかけ、色とりどりのピーマンやナス、かぼちゃが鉄板の上でジューッと音を立てた。
壮一は肉を焼きながら、ビールを片手に上機嫌だ。
「由紀の下ごしらえ、さすがだな。お肉が柔らかいよ。」
真紀は持ってきた温かいスープを紙コップに注ぎ、光恵の前にそっと置いた。
「お母さん、冷えないようにね。」
「ありがとう。こうやって外で食べるのも悪くないわね。空気までごちそうみたい。」
焚き火のパチパチという音と、家族の笑い声が静かな森に響く。
食後にはマシュマロを焼き、沙耶と隼人がそれを互いに食べさせ合って時々笑い声をたてた。
「マシュマロって焼くとこんなに美味しかったんだね。」
沙耶は感激したように言いながら、熱いマシュマロを頬張っていた。
「沙耶ちゃんたら、本当に嬉しそうね。」
光恵もそんな二人を微笑ましく見守っていた。
食後の片づけも一段落し、山の向こうへ傾きかけた冬の日差しが木々の間を金色に染めていた。
沙耶と隼人は、「ちょっと川を見てくるね」と言って焚き火のそばを離れた。
冷たい風が頬を撫で、遠くから水のせせらぎが聞こえてくる。
二人が並んで歩いていくと、透明な川面が木漏れ日を映してきらめいていた。
「すごい……水が透きとおってるね。」
沙耶が屈んで指先を浸すと、隼人が笑って言った。
「うん。冷たそうだな……。
でも気持ちよさそう。」
持ってきた小さな釣り竿を取り出して、隼人は糸を垂らした。
「魚、いるかな。
隼人、釣りが得意なの?」
「うん。
オーストラリアでは、よく釣りしてたからさ。
魚はねぇ……冬はどうだろう?
いるかわからないけど、でも、のんびりするにはちょうどいいよね。」
穏やかな時間が流れた。
水音と風の音しか聞こえない。
そんなときだった。
「釣り、よくするの?」
不意に男性の声がした。
二人がはっとしてその声の方を見ると、少し離れた場所にひとりの男性が立っていた。
釣竿の糸を水に垂れたその男性は、黒いダウンジャケットにアウトドア用の帽子を被っていた。
年の頃は五十代半ば。
柔らかな笑みを浮かべて、二人を見ていた。
「びっくりさせたかな。いやぁ、若いのに、こんな時期に川釣りする人は珍しいと思ってね。」
「いえ……。」
隼人はその男性を見つめながら、少し緊張したように答えた。
「僕もこの辺でよく釣るんだ。会社が近くてね。休日はたまに息抜きに来る。」
彼はそう言いながら、自分の釣り竿を軽く持ち上げた。
どこか穏やかで、包み込むような声。
そしてその目――深い琥珀色を帯びた瞳が、光を受けてきらめいた。
沙耶は思わず見とれた。
隼人の目に、似てる……。
それって私の目にも似てるってことかな?
不思議な既視感があったが、今はそれを言葉にはできなかった。
「僕たち、今日家族でバーベキューをしてて……。
川が近いから来てみたんです。
魚は、まだ全然釣れてませんけれど。」
隼人が説明すると、男は優しく頷いた。
「いいね。家族でアウトドア、最高じゃないか。
そういう時間を持てるって言うのは貴重だからね。」
そう言って、彼はおもむろにポケットから名刺を取り出した。
「もし、アウトドアに興味があるなら、良かったらここに連絡してくれる?
うちはキャンプ用品とか企画してる会社でね、若い人のアイデアも取り入れたいんだ。」
「ありがとうございます。」
隼人は少し驚きながらも、その名刺を受け取った。
そこには--
『緒方潤 OGATA OUTDOORS 代表』
と印字されていた。
沙耶が名刺を覗き込んだ瞬間、胸の奥がざわめいた。
緒方……どこかで聞いたような……?
「今日はもう、魚は釣れないから帰るよ。」
潤はそう言って、リュックを背負うと
「それじゃあ、また。」
と沙耶と隼人に軽く手を振った後、川沿いの道をゆっくりと去っていった。
その背中を、二人は黙って見送った。
冬の陽射しの中、男の姿が遠ざかっていく。
やがて、沙耶が静かに口を開いた。
「ねえ……あの人の目、何だか……私たちに似てなかった?」
「……うん。」
隼人も小さく頷いた。
名刺を見つめる指先が、わずかに震えている。
「緒方潤……って書いてある。
この名前、父さんから聞いたことがあるような気がする。」
二人は顔を見合わせ、言葉を失った。
風が吹き抜け、枯葉が水面に落ちる。
その瞬間……
新たな秘密を知ってしまったような--驚きと怖れが二人の間に芽生えたのである。
このことは、すぐに大人たちには伝えない方が良いかもしれない。
沙耶と隼人は、その場に立ちすくみ、しばらくそのまま動けなかった。




