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第7話 生物としての眠りと日々の眠り

 最後の教えは僕の祖父が残してくれた教えだ。祖父は数年前に死んでしまった。祖父はよく眠る人で、なおかつ、口数の少ない人だった。彼は歳をとってからも八時間は寝ていた。若いときは十時間以上寝るのが普通だったらしい。


 彼の部屋は家で一番日当たりの悪いところにあり、部屋の窓には遮光カーテンが二重でかかっていた。ベッドはそこはかとなく高級感があって、マットレスは低反発で表面には凸凹があった。枕元にはオーダーメイドの枕とアイマスク、シリコン製の耳栓が置いてあった。 彼は寝る二時間前には部屋の照明を落とし、読書やストレッチをして眠くなるのを待った。そして朝はいつも決まった時間に起きた。 彼の睡眠へのこだわりは目を見張るものがあった。

 僕と祖父母の3人でお茶をしていた時の話だ。僕たちはこたつ机を三人で囲むように座っていた。テーブルの上には米菓やチョコレートなどが入った茶色の菓子鉢がおかれていた。祖母の横にはポットと急須、スプーンやナイフが入った小さめの棚がおかれていた。僕たちは祖母が入れてくれたお茶を飲みながら何を話すとでもなく時間を過ごした。しばらくたって祖母がトイレに行くといって部屋を出ていった。


 祖父と二人きりになると、決まって少し居心地が悪かった。彼は口数の少ない人だったし、僕も自分からしゃべることもしなかった。二人きりになったとき、いつもしばらくの間、一言も口を利かずに黙っていた。僕はテーブルの上の菓子鉢からお菓子を一つ取って食べ、お茶を飲み、また気まずくなってはお菓子に手を伸ばした。


そんなことを何度か繰り返しているうちに祖父が口を開いた。

「よく眠れているか?」

 祖父は縁側の外を見ながら言った。

「うん、ちゃんと眠れてるよ」

 僕は彼の方を一瞬だけ見てから手元に視線を戻した。

「よく眠ることは大切なことだ。お前が寝れているならそれでいい」

 そういうと祖父はまた黙ってしまった。


 祖父は二人きりになると決まって、よく眠れているか聞いてきた。僕は決まって、よく眠れていると答えた。なぜそんなことを聞くのか聞いたことは一度もなかった。僕がよく眠れているというと、祖父はいつも満足そうな顔をした。僕は彼が満足したならそれでいいかと、話すのをやめて、あとは気まずさを紛らわすためお菓子に手を伸ばしたいた。

 祖父との思い出話をしすぎてしまった。そろそろ彼の教えを紹介しておこうと思う。

 

『よく眠りなさい』

「眠ることを軽視してはいけない。私の周りではいかに睡眠時間が短いかを争っているやつがいるが、滑稽な話だ。睡眠時間が短くても偉くもなんともない。私は毎日8時間寝ている。あいつらは5時間しか寝ていないと自慢げに語る。だからいつもイライラしているんだ。

 私は他の全てを投げ打ってでも睡眠を確保してきた。飯を食べて睡眠時間が減るくらないら、飯を食べなかった。風呂も同じだ。寝不足でもやっていけるという人間は何かを勘違いしている。私は生産性の話をしているわけではない。我々人間はより良い活動をするために眠るのではない。よりよく眠るために活動しているのだ。お前たちは眠りを疎かにしないように。いいか、私たちは眠るために生きているんだ」


 彼は人は眠るために生きていると言った。僕は彼の言葉を聞くまで、気持ちよく明日を迎えるためによく寝るものだと思っていた。睡眠不足だと小さなことでもイライラするし、なんのやる気も起きない。健康のためにはよく眠る必要があるし、激しめの運動をする前日にもよく眠らなければいけない。頭を使う前日にも眠る必要がある。僕はより良い明日を過ごすために寝ていた。


  人は眠るために生きている? 彼は何が言いたかったのだろう。一つの仮説として、彼は「死」のことを眠りと言っているのではないか。だけど彼は睡眠の話もしている。彼が伝えたかったことはなんだったのだろう。睡眠の大切さを伝えるための表現の一種だったのだろうか。僕にはわからない。でも、彼の言葉がずっと気になっている。

 使い古された言葉のように、満足して死ぬために精一杯人生を生きろというのだろうか。僕にはそんな先のことは考えられない。僕が考えられるのは、せいぜい明日のことくらいだ。


 明日のことを考えると、時々、どうしても寝れないことがある。なぜ寝れないのかは僕自身にもわからない。寝た方がいいのはわかっているけれど、どうしても寝ることができない。無性に明日が来てほしくないと思うときがある。

 明日、嫌なことが待っているなら寝たくないのもわかるんだ。寝たらすぐに明日が来るから、起きている間は明日が来るのを先延ばしできる。だけど、明日、特に嫌な予定がない日でも明日が来てほしくないと思うときがある。下手したら、楽しみにしている予定がある日ですらも。


 彼は人は眠るために生きているといった。僕が眠れないのは、眠りを蔑ろにしているからなのか、それとも日々の活動が悪いのか。僕はただ、静かに安らかに眠りたいんだ。でも、何かが僕の眠りの邪魔をする。この何かと仲良くなりたいとずっと思って生きてきたけれど、いまだに仲良しになれない。いまだに顔も名前、性別すらわからない。彼か彼女なのかわからないけど、そいつはかなりの隠れ上手みたいだ。僕がかくれんぼの鬼だったら見つけれなくて途中で帰ってしまうかもしれない。でも、ずっと隠れて見つけてもらえない方がもっと悲しいのかもしれない。だから僕はいつの日か、僕の眠りの邪魔をするそいつを見つけ出して、仲良くやってやろうと思っているんだ。


 最後にそいつのことを思って考えたことを書き留めて祖父の教えは終わりにしようと思う。


『眠りと死神——予行練習としての日々の眠り——』

「なかなか寝付けない夜、あなたの意識はとめどなくあふれ出る思考に飲み込まれる。呼吸は浅くなり何をしても焦燥感が消えない。その焦燥感から逃げるために、次々にコンテンツを消費していく。やがて肉体が限界を迎えるその瞬間まで頭の中でうごめくものを忘れさせてくれる、そんなコンテンツを見続ける。そうすることで、呼吸を浅くし焦燥感を駆り立てる何かから一時的に逃れることができる。だが、何かは絶対になくならない。その何かはいずれあなたのもとへやってくる。生物の仕組みに組み込まれた防衛システムが日々の眠りを通して警告する。あなたはそれを、言葉にできないそこはかとない不安だと考える。将来への不安、人間関係でのストレス、そういったもう少し具体的なものに変換するかもしれない。しかし、それはそんな具体的なものではない。それは魂に刻まれているものなのだ。来るべき眠りがあなたを駆り立て、恐怖させ、無力にする。逃げることはできない。今はまだ、実態を伴わないそれは、いつの日か実態を伴って確実にあなたのもとにやってくる。


 人生の最後の日、あなたの家のインターホンが鳴る。玄関カメラを確認すると、大きな鎌を持ち黒いマントで全身を覆った不気味な存在が映っている。顔の部分は暗くなって見えない、足はなく、宙に浮いている。あなたは驚いて飛び上がり、片手を口に当て、目を右往左往する。


 そのとき、再びインターホンが鳴る。あたりを見回し、手に取れる武器を探す。台所に行って包丁を取り出し手に取るが、鎌のことを思い出し、握った包丁を流し台の上に放り投げる。

 何か武器はないかと右往左往しているとき、鏡に映る自分の顔に気づく。瞳孔が開き、口は堅く結ばれている。あなたは自分の呼吸が止まっていたことにきずき、肩で大きく息をする。そのあいだもインターホンはずっとなり続けている。唾を飲み込んでから、鏡の前を後にしてカメラの方にゆっくりと歩きだす。


 カメラにはまだ死神が映っている。あなたは死神が家の中に入ってきていないことに一瞬安堵するがすぐに我に返る。死神の襲撃に備えるために、再び武器を探そうとする。カメラから目を外し、振り返る。

 そこには鎌を構えた死神が立っている。体の内から湧き上がる恐怖で、とっさに後ずさり叫び声を上げようとする。しかし、声を出すことはできない。恐怖が喉を通り声になる前に、死神の鎌があなたの首を刈り取ってしまう。

 死神はいつの日か、家のインターホンを鳴らしにやってくる。抵抗しても死神から逃れることはできない。


 あなたには二つの選択肢がある。一つは最後の最後まで恐怖にさらされながら抵抗することで、もう一つはお茶とお菓子を準備して客人として迎え入れることである。どちらにせよ、恐怖は感じるし、待っているのは死である。違いがあるとすれば、多少の満足感があるかどうかだ」

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