5話 弱さと適性、強者の世界の歩み方
最近、弱者とか強者という言葉をよく耳にする。それらについて何かを言いたいわけではないし、僕には難しいことはわからない。僕は弱者ではあるけれど、かといって社会の強者の皆様に言いたいことは特にない。もちろん、弱者の皆様に向かって言いたいこともない。
ちょっと疑問なのだけれど、弱者と強者でもない人たちはなんと呼ぶのだろうか? 別に僕は強者でも弱者でもない人たちに対しても言いたいことは何一つないし呼び方も正直どうでもいいのだけれど、一番多そうな、弱者でも強者でもない人たちに適当な呼び方をあてがうこともしないで、弱者と強者で話を盛り上げるのはよくないことではないか? これはいわゆる、ハブりというやつではないのか? しかも、弱者でも強者でもない人の方が多そうだから、もしかしたらハブられているのは弱者と強者の方なのではないか? ハブられているのは一体全体、誰なんだ?
僕はみんなで仲良くしようと義務教育で習った。あの頃は、嫌いな奴とも仲良くしなければならなかった。空気を読まずに、仲間に入れてと言ってくるやつも仲間に入れなければならなかった。いや、僕は空気を読まずに仲間に入れてという方だった気もする。ハブられるのは悲しい。僕が言いたいのはそういうことだ。
僕は強者と弱者について何かがいいたいわけではないのだ。僕が言いたいのは強さと弱さについてだ。そしてそれを僕に教えてくれたのはご先祖様で、これからその人の話をしようと思う。
彼は男らしくない子供だった。少なくともそう言われて育ってきた。彼の夢は強い男になることだった。誰にも舐められない、自分を犠牲にしてでも大切な人を守るそんな男だ。彼はひたすら強くなろうと努力した。
少年期を迎えた彼は転んで怪我しても泣かなくなっていた。辛くて悲しくても、大丈夫だと言った。涙があふれ出そうになるのを必死にこらえていると、さすが男の子だとほめてもらえた。男は人前で涙を流すものではないと、そう教えられていたし、そう信じていた。
少年期後半、14、5歳の頃になると彼はますます男らしさに憧れるようになった。男らしくなることは彼の小さい頃からの夢であり、その頃になると周りはますます男らしくなり、異性たちの体は丸みを増した。彼は自分の性を意識せずにはいられなかった。
そのことが、彼をますます男らしさに傾倒させた。
このころになると、彼は男らしくないと言われた。怪我をしても泣かず、辛くても大丈夫というだけではもう、男らしくはなれなかった。人前に出ると、顔を赤らめ言葉に詰まった。初対面の人とはうまくしゃべれなかった。先頭に立ってみんなを導くような存在でもなかった。男らしくない、彼自身もそれをわかっていた。
彼を男らしくさせるためには異性が必要だった。異性の気を引けるもの、勇敢な行動、グループの中心、そんなものが彼の男らしさには足りていなかった。だが、少年期に彼がそれらを得ることはなかった。そのことは彼の内面に消えない傷を残した。彼は少年にして敗北者の烙印を自分自身に押した。
少年期を終えて青年期を迎えた。未だ彼の心には消えない傷と敗北者の烙印、そして男らしさへの憧れが残っていた。その憧憬は前ほどの激情ではなかったが、以前として彼の中にあった。
彼の青年期は敗北者の烙印と胸の内でくすぶる憧憬との間で、板挟みだった。彼のなすこと全ては劣等感からくるか、そうでなければ憧れからくる行為だった。彼自身はそこには存在しなかった。そして、熱さを失った劣等感も憧憬も、彼の原動力にはならなかった。それらはあるときにふと燃え上がり、彼を駆り立てたが、すぐに消えてなくなり灰になった。振り返ったときには何もできなかった自分だけが残っていた。その灰が彼の劣等感と憧憬でできた心に、穏やかに降り積もっていった。
灰で埋もれた彼の心を救ったのは、目的だった。彼自身の遺書にそう書かれている。具体的な目的はわからない。彼は誰にもそれを明かさなかった。目的を見出した彼は、それに向けて邁進しようとした。だが、弱さが足を引っ張った。男らしさはすでに問題ではなかった。敗北者の烙印は消えてなくなった。彼はすでに弱者ではなかった。だが、弱さはそこにあった。それでも諦めたりしなかった。
彼は決断した。弱いなら、何かを捨てるしかないのだと。
彼の残した教えを以下に残しておく。
『取捨選択の果てに残ったもの』
「俺は弱い人間だった。強くなろうとしたが強くはなれなかった。それでも、俺にはやるべきことがあった。それに対する意志も有していた。だが、俺は意志を形にするだけの強さを持ち合わせていなかった。目的に向かって走り出して、そのまま目的まで走り続けたいのに、どうしても足が止まってしまう。俺には走り続けるだけの強さがなかったが歩いている時間もなかった。
だから選ばなければならなかった。何を捨てて、何を得るのかを。
俺が捨てたものはとるに足らないものだったが、他の人達にとっては命の次に大事なものだったのだろう。ほとんどの人間は俺の行為が理解できていないようだったし、そもそも理解しようともしていなかった。
俺はいらないものを捨てて、目的に向かって歩き続けた。悲しいことだが、結局、目的地には辿り着けなかった。俺に残されたものは蔑みやその他のあまり好ましくない評価、そして、枯れ果てて灰になった意志だけだった。その意志は、もう二度と燃え上がることはないが、残ったかすかなぬくもりが心を温めてくれた。
幸せの人生ではなかった。後悔もある。しかし、ほかに何ができたのだろう。弱い人間は強くなれる。これはあくまで絶対的にだ。相対的には弱いままだ。
強くなろうとしたところで、得られるものは普通以上の苦しみと、普通以下の能力だけだ。俺は何がしたかったのだろうか。強者になりたかったのか。それはとても傲慢なことだったのだろうか。弱いままでもよかったのだろうか。だが、どうしても……。
俺は目的に近づいた。目的地に到達することはなかったが確実に近づいた。その事実は俺の人生に穏やかな温もりを与えてくれている。それでも、それ以上の寂しさが消えてくれない。何度も何度も繰り返している。俺は強くなりたかったのか、認めて欲しかったのか。この微かな温もりが人生の全てなのか。わからない……。だが、いずれにせよ、俺には、こうするしかなかったのだ」
彼は目的と目標を持っていた。だがそれを成しうるだけの実行力や幾分かの運と才能がなかった。そのことにうすうすきずいていたんだと思う。彼は目的に向かって歩いていくことしかできなかった、走っていかなければ間に合わないにも関わらず。
努力を怠ることを怠惰だというなら、彼はおそらく怠惰な人間だった。そして彼自身、誰よりもそのことを知っていた。そして、彼のやるべきことにはある程度の努力、継続的な鍛錬が必要だったんだと思う。彼は人生の前半、目的を見出すまではただただ強くなろうとしたのだと思う。強くなること自体が目的になるほどに、彼は日々強くなろうとしていつまでも弱いままの自分に失望した。それでもめげずに強くなろうとした。しかし、強くはなれなかった。
強さの呪縛にとらわれた彼を救ったのは目的だった。彼は目的を手に入れたが、その過程では、やはり強さを必要とした。彼の怠惰性やその他もろもろの特質はその足かせとなった。そして残された時間はあまり多くなかった。残された時間が具体的に何を言っているかはわからない。彼の寿命のことなのか、目的のためには若さが必要だったのか。
だが、時間が少ないことは彼に決断をさせた。彼はありのままの現実を――自分は決して強くなく、むしろ弱い人間であるという現実を――受け入れた。そして、己を強くすることではなく、障害物を減らす選択をした。
彼のその選択は周りからの反感を買った。社会の常識的なルートから自ら外れようとする行為は周りから承認されなかった。
だが、その承認は必要ではなかった。彼が必要な承認は目的地に辿り着いたときに得られるものだった。けれど、彼が目的地にたどり着くことはなかった。
僕は彼のことを思うといたたまれない気持ちになる。彼は目的を達成できたら、幸せになれたのだろうか。彼が周りの意見を聞いて、周りからしてみれば現実的に生きたところで、彼は幸せになれたのだろうか。彼が言うように、弱い人間が強くなったところで、相対的に弱いままだ。待っているのは普通以下の能力と普通以上の苦しみだ。それを受け入れることはとても難しいことのように思える。僕にはできないし、受け入れていると思っていても、それは別の何かにそらしているだけではないか。彼が目的に酔狂して現実を忘れたのと同じように。
彼の教えを受けて考えたことを残しておく。
『他人が作った世界——適性のないものの幸せ——』
「強者が作った強者のための世界があった。この世界で強者は、落ちているものをすべて拾い上げていく。そしてより大きく、また多くのものを拾い上げたものがこの世界の強者となる。この世界で弱者は、すべてを得ることはできない。強者と同じように、すべてのものを拾い上げることはできない。もし、強者と同じようにすべてを拾い上げようとするなら、拾い上げるものは強者のそれと比較して小さくなる。弱者は強者と同じように多くの荷物を抱えるだけの力はない。
もし弱者が、何か大きなものをその手に拾いあげたいのであれば、その代償として抱えている荷物は地面に転がりおちる。手が空かないことには拾い上げてみることさえできないが弱者がそれを拾い上げるだけの力を備えている保証はどこにもない。
強者のための世界で、弱者のままで幸せになる方法を見出した二種類の人間がいた。一種類目は、強者と同じように現実のすべてを拾い上げていった者たちだった。彼らが拾い上げたものは、強者のそれと比較して小さかった。ときには目が当てられないほどに小さかった。しかし、彼らは自分たちが幸せ者だと認識する方法を知っていた。彼らは自分たちより小さいものしか持てないものや、より少ない種類しか持てないものを探した。そして彼らはその人たちに向かってこう言った。
『きみのもっている荷物は私のより幾分か小さいし、種類も少ないみたいだね。でも、君がうらやましいよ。私みたいに多くの荷物を抱えるとそれはそれでしんどいんだよ。私も君みたいに身軽になれたらいいんだけどね』と。
彼らはつらくなるいつもそのようなことを言って自分たちを慰めた。そしてつらさが和らぐと、また落ちているものを拾い集める生活に戻っていった。彼らはそれを幸せと呼ぶことにした。
二つ目は、すべてを拾い上げるをやめた人間だった。彼らはすべてを拾い上げるのやめて、代わりに、目についた興味深い形のものを拾い上げた。そしてそれを大事に大事に抱え込んだ。彼らが抱え込んだものは、ときにどんなものより大きかった。またあるときどんなものよりも小さかったが、ほかのどんなものよりも美しく輝いていた。そういった特別なものを見つけた人は幸福に満ちた顔をしていたがその数はとても少なかった。
彼らは往々にして、特別なもののすばらしさを他人に説いて回った。それを見つけて拾い上げることがどれだけ素晴らしくて崇高な行為かを。けれど、この世界でそんなものを見つけられる保証はどこにもなかったし、見つけたとしても救い上げるだけの力があるわけでもなかった。特別なものが死ぬまで特別であり続ける保証があるわけでもなかった。
誰よりも小さく、少ない種類しかもてない人間は社会を呪った。すべてを拾い上げるのをやめて、自分だけのものを拾い上げようとした多くの人間は、そんなものは見つけられなかったし、見つけたとしても拾い上げるだけの力を持っていなかった。彼らの大半は、一種類目の幸せを手に入れるか、そうでなければ社会を呪った。いくばくかの人間は、この世界で歩くことをあきらめてしまった。
ここは強者のための強者の世界だ。この世界で幸せになるためには強者になるしか方法はない。少なくとも、自分が強者だと自認できる何かを見つけなければならない」