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3話 現実と事実、解釈の有限性

 申し訳ないのだけれど、犬の散歩の時間が来てしまった。少し散歩に付き合ってもらおうと思う。うちの犬はトイプードル、性別はメス、名前はポチ。散歩に行くときはいつも母に首輪をつけてもらう。僕が自分で首輪をつけようとすると、彼女は牙をむき出しにして怒ってしまう。


 僕は母からリードを受け取って、棚から水色とオレンジの水玉模様のバッグを取り出して、サンダルを履いて家を出た。 外に出ると、朝の光に包まれ目を細める。花の甘い香りと、山の土と草木の混じった匂いが風に運ばれ、鼻を通って肺に入る。自然の匂いを吸って肺が満たされるのを感じた。  


 季節は巡り巡って、僕が生まれてから27回目の春が来た。庭の草木はこのときを待ちわびたぞと言わんばかりに勢力を拡大し、スズメたちが電線の上で何やらしゃべっている。

 

 用水路にかけられた橋を渡り、道路に面した歩道に出た。歩道の右側に車道があり、緑の植え込みがガードレールのように続いている。植え込みの隙間から小判草と包丁草が顔を出している。前を見ると、1メートル先を歩くポチのお尻が規則正しいリズムで左右に揺れていた。  

 僕は左側を見ながら歩いた。左側には放置されて草が生い茂った田んぼや去年の稲が残っている田んぼが不規則に続いている。 

 ポチは左に行って鼻を地面につけて匂いを嗅ぎ、右に行ってはまた別の匂いを嗅いでいた。それを繰り返したと思えば、行ったり来たりしだし、その場をぐるぐる回って後ろ脚を大きく開き、前足を抱え込むようにして背中を丸めクソをした。

  

 僕は糞の前にしゃがみ込み、バックからトイレットペーパーを取り出してを包んで中に入れた。彼女はその間、排泄したことなど何も覚えていないように、次の場所に行こうとリードを引っ張っていた。穏やかにリードを引っ張られながら、僕の頭にはいろいろなことが浮かんできた。足が痛いことや朝ごはんのこと、明日のこと、好きだったあの子のことまで、そういったいろいろなことだ。しばらくまっすぐ歩いてから、景色に割って入るようにして建っている小さなの平屋の前で左に曲がった。ふと顔を上げて前を見ると、森の木々が朝の光に照らされ、控えめに光を反射している。そして僕はまたいろんなことを考えた。リードの先の彼女は相変わらず右往左往していた。彼女は僕と違って今を存分に楽しんでいるようだった。  


 しばらく歩くと、左手に水が張られ、田植えがしてある田んぼが目に入った。途中から稲が少しずれていた。空が水面の中に入り込んでいて、別の世界を覗き込んでいるようだった。水面の上でアメンボが動いて波紋が生じ、水面の世界の形をほんの一瞬だけ変えた。水面と土の間はとても短くて、水面に映る世界がどこからが空で水面で地面なのか、よくわからなかった。  


 僕は無事、犬の散歩を終えて家に帰ってきた。彼女の糞の始末を済ませ、足をきれいに拭いて、自分の部屋に帰ってきたところだ。彼女の今を楽しむ姿を見て、思い出したことがある。三つ目の教えについてだ。これは二つ目の教えを残してくれた女性の娘の言葉だ。  

 彼女の母親は運命の人を夢に見ていたが、彼女はどこまでも現実的な人だった。物心つく前に父親を亡くした彼女たち親子は、家でよそ者のように扱われた。経済的支援はあまり得られなかった。母親は仕事が忙しく、彼女はあまりかまってもらえなかった。お金はなかったし、着る服もボロボロだった。それが原因でいじめられもした。  

 

 彼女は経験した不幸や不便に対する、やり場のない怒りを母に向けた。彼女には向き合わなければならない今と、考えなければならない未来があった。逃げている暇などどこにもなかった。現実に向き合うためにはそうするしかなかった。それ以外のやり方を彼女は知らなかったのだ。  

 

 彼女がある程度大きくなると、母親は運命に人に陶酔するようになった。そのことが母親に対するイメージをさらに悪くさせた。現実を見ない母のことが彼女には理解できなかったし、許容することもできなかった。 結局、彼女は母に対する嫌悪を墓場まで持って行った。それは嫌悪というよりむしろ、現実に対する自己防衛のようなものだったかもしれないけれど。 

 

 彼女の言葉を紹介する。 


『母親のようにはなりたくなかった』

「私は母のようにはならない。私は母のように現実から目を背けたりはしない。運命の人なんてやってこない。仮に、運命の人と出会ったとして、自分が魅力的でなければ相手にしてもらえない。分相応な人と結婚して分相応に生きることが現実的に決まっている。母だって最初はそうだった。分相応に親が決めた相手と結婚した。現実を見ない人間に幸せはやってこない。夢なんて見ている暇があったら、晩御飯のおかずについて考えていた方がまだ役に立つ」


 彼女は強い女性だった。彼女は自分の人生を自分で切り開いていくだけの力があった。強い彼女には、母親のことが理解できなかった。運命の人など、そんな現実的でないものは決して認めなかった。  

 彼女は認めないかもしれないが、彼女の母親も強い人だった。彼女の母親は娘がある程度大きくなるまで、運命の人に出会っていない。娘の生存を何よりの優先事項とした。そして、娘の生存が脅かされる危険性が少なくなると、現実を忘れる一つの手段として運命の人に出会ったのだと、僕はそう思う。  


 だが彼女自身は現実を忘れるわけにはいかなかった。彼女が現実を忘れたなら、それはひどくおぞましい未来が待っているに違いなかった。現実を忘れる自由など、彼女の生きた時代にはほとんどなかった。解釈の余地でさえも。だから彼女は強く生きなければならなかったし、母親のやっていることは理解できなかったのだと思う。  


 いずれにせよ、僕はこの人たちのことが好きだ。彼女の母親が運命の人を待ちわびていたことにも同感できる。 一方で運命の人は待っていても来てくれないことも、そこはかとなく理解している。白馬の王子様もシンデレラも待っていてもやってこないのかもしれない。  

 かといって、白馬と王冠を用意して待っていても、素材がダメではそれはただの王冠を付けた馬乗りに過ぎない。絶対に王子様にはなれないし、シンデレラにしたって同じだ。ガラスの靴を用意して待っていても、履けなければ意味はない。そして僕はそもそも馬に乗れないし、ガラスの靴を用意するだけのお金もなければ意志もない。  

 

 僕が苦し紛れに主張したいのは、僕が待っているのは運命の人であって、シンデレラでも王子様でもないということだ。そんな立派な人物を待っているわけではない。 一方で、言うまでもないことかもしれないけれど、運命の人という壮大な人物のメタファーが王子様とシンデレラなわけだから、ちょっと苦しい立場に追いやられてしまっていることだけは認めたいと思う。 彼女からの教えをうけて学んだことを以下に残しておく。


『現実逃避と権利——権利を持たぬものが払う代償——』

 「二つの島があった。片方の島にあるのは荒れた大地と山、そしてその中に眠っている鉱物だけだった。人々はその島で鉱物を掘り起こしていた。それが彼らのやるべきことで、現実だった。もう片方の島には人々を楽しませるありとあらゆるものがそろっていた。美男美女、食べ物はたくさん星がついてる料理からゲテモノまで、ハネムーンの話に出てくる水色の海に面したビーチ、空調の利いたスポーツ場、なんでもあった。人々はその島を楽園と呼んだ。 二つの島は荒れ狂う海で分断されていた。


 人々が楽園に行くためには船に乗るしかなかったが、船は毎日のように二つの島を行き来していた。人々は船に乗って好きなときに楽園に行くことができた。楽園に行くための乗船料はとられなかった。 

 いつでも楽園に行けるにもかかわらず人々はそれほど頻繁に楽園に行かなかった。楽園にいるよりも多くの時間を鉱物を掘るのに費やした。それはこの世界の二つの伝承をみんなが信じていたからだった。二つの伝承は、乗船料と夜の楽園についてだ。 

 

楽園に行くのに乗船料はかからないが、楽園から帰るのには乗船料が必要だった。けれど、人々は乗船料がいくらかわからない。ただ、先祖代々こういわれてきた。『しっかりと現実をみておけば船に乗れなかったものはいない。船に乗れなかったのは、現実から目を背けた奴だけなのだ』と。そして実際にそうだった。 彼らにとっての現実は鉱物を掘ることで、その現実から目を背け楽園に行った人間はある日突然、乗船料を払うことができなくなった。そして、楽園が人々にとって楽園であるのは、日が昇っている間だけだった。夜になれば、そこは極寒なり、化け物たちの住処となった。夜の楽園で、人々は生きたまま化け物たちの餌食になるか、あまりの寒さに凍死した。


  しかし、実際にそのことを確認した人はいない。人々は夜になる前に楽園を後にする。 次の日、楽園に帰ってきた人達は、夜の楽園に残された者たちの姿を見つけることはできない。消えていった人々はどこに行ったのか、化け物たちに食われて死んでしまったのか、さらなる楽園に導かれたのか。夜の楽園は本当はどのような場所なのか、彼らにその答えはわからない。だが、わかる必要はなかった。彼らには現実と楽園の二つの世界があればなにも問題はなかった。 いずれにせよ、この世界では、現実を忘れるには権利が必要で、権利をもたぬものは代償を払わされると、そう信じられている」


 彼女は現実を見ることの大切さを教えてくれた。現実を見るのが嫌いな僕にはいまいち同感できない話ではあるけれど、言っていることは事実だと思う。 

 彼女たち親子の教えについて考えていると現実についての疑問がわいてくる。現実とは何なのだろう。運命の人は待っていてもやってこないのは事実かもしれないが、運命のひとを待ち続けるのは非現実的なことなのだろうか。彼女の母親が運命の人がやってこないのを知っていたかどうかはわからない。だけど、彼女の母親は運命の人を待つことに決めたのだ。  


 運命の人は事実上、存在しなかったのかも知れないし、彼女が運命の人に巡り合うことは実現しなかったのかもしれない。 だけど、彼女が運命の人を待ち続けていたのは、事実なのだ。それは少なくとも現在の僕たちからしてみれば、実際に起こったことで、今となっては変えることのできない不変的な事実なのだ。おそらく当時の彼女にとってもそれは実際に起きていて、変えることのできない不変的なもので、そして紛れもない現実だったと、僕はそう思う。

 最後に彼女たち親子からの教えを受けて僕が考えたことを残しておこうと思う。 


『現実と事実——解釈の有限性——』

「いま、あなたの少し先の頭上に黒と茶色、赤色が混じった球体が浮かんでいて特有の匂いを放っている。そういう事実がある。多くの人はそれを醜いものだと見なし、その球体が放つ匂いを悪臭だと認める。彼らにとってその球体は醜く、臭いものであるという現実がある。


 あなたは、その球体を色鮮やかで自分好みの匂いだと解釈しようとする。だが、どうしてもうまくいかない。体に刻み込まれた本能が、培ってきた社会的知性がその球体はひどく醜く、悪臭を放っていると告げてくる。 あなたは目を閉じる。すると球体は見えなくなる。次に鼻をつまみ、においを消す。これで目の前にある球体は消えてなくなる。代償に視覚と嗅覚を失う。目の前は真っ暗になり、何の匂いも感じない。あまりの代償の多さに別の方法を考える。


 例えば、鼻にアロマオイルを塗りたくり、濃いサングラスをかけ、もう一度球体を見上げてみる。すると、球体は醜く臭いものでなくなりアロマオイル臭の黒色の球体になる。同時に、視界はすべて黒色で、すべての物体にはアロマオイルのにおいが混じっている。 その球体に触れることは絶対にできない。球体は常にそこにあり続ける。現実の中で黒色のアロマオイル臭の球体はいつもあなたの少し先の頭上に浮いている。だが、球体の色や臭いを変えることはできる。いささかの不都合が伴うのをいとわなければ」

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