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第1話 才能と天才、プロローグを添えて

 僕は今、窓越しに外の景色を眺めている。すべてを投げ出してしまおうかと、そんな気持ちが頭をよぎる。死んでしまおうとか、そういうことじゃない。やるべきことをほったらかしにして、布団で携帯でもいじって過ごそうと、そんな考えが頭をよぎっていた。 


 窓から入る風にレースのカーテンがふわりと揺れる。室内に差し込む日差しは少し強く、僕は日差しに当たらないぎりぎりのところに立っている。窓越しに見える景色では、庭に植えられた白くて小さな花、、洗濯物干しにかけられた服や下着、物干しの下に広がる芝生。芝生と喧嘩するようにあたり一面に生えているラベンダー、漂うように飛んでいる黄色い蝶々、そういったものが目に入る。


 遠くの空と山は一体となって見える。それらが窓枠で区切られて、どこか画面に映し出された映像を見ているようだった。葉が風にあおられて木からはなれ、ゆらゆらと揺られて地面におちていく。その葉は裏と表で太陽の光を違う形で反射している。森と庭の境目あたりで蝶々が飛んでいる。かと思えば、上の方でとんぼが飛んでいる。蜂が庭の植木鉢の花から蜜を吸っている。 


 そして、僕の頭には小説のことが思い浮かぶ。書かなければならないそいつのことが。今日は一文字も書いていない。昨日は1000字書いて、一昨日は1500字書いた。その前の日は一文字も書いていない。


 だめだ。なにも書きたくないし、書くこともできない。でも向かい合わなければならない。だから僕は今もこうして書いている。僕には本を書く才能がないのかもしれない。だが、どうにかして一冊を完成させなければならない。それが目標なのだ。 どこかの誰かが自分の知っていることを書けといったらしい。僕も自分の知っていることについて書こうと思ったけれど、僕が知っていることはありふれたもので、ほかの人も知っていることばかりだった。そして、誰もが知っていることを面白く書ける才能が僕にあるとは思えなかった。 


 それでも何かないかと、ずっと考えた。小説の書き方の本を数冊読んだ。プロットのつくり方、会話から書き始める方法、アクションから始める、物語を先に進める文とキャラクターを説明する文との違い。そのほかにもたくさんのことが書いてあった。でも、僕の脳裏に焼き付いているのはどこかで見た、『小説家になるような人間は、小説の書き方なんて調べている暇があったら、小説を書いている』という言葉だった。 


 毎日、森の中を散歩した。思いついたアイデアは紙に書き残した。考えることは書くことに比べて僕を満ち足りた気分にした。でも、実際に書き始めたら手が止まってしまう。物語の登場人物は勝手にしゃべり始めたりしなかったし、情景は浮かんできたと思ったころには消えていった。物語の設定はむこうのほうからやってきたりしなかった。彼らは僕の考えていたよりもずっと恥ずかしがり屋だった。 書いてはやめ、また書いては止めた。それらつなげることで物語性を与えようとしたけれど、道半ばで挫折してしまった。それらの多くは日の目を見ることなく文字の羅列として保存されている。 


 それらの試みが役に立ったのかはわからないけれど、あるとき、ふと閃いた。もっとうまく説明できればいいのだけど、本当にふと閃いたんだ。 僕は何かを書く必要もなく、すでに書くべきものを持ち合わせていた。それは、僕の家に伝わる七つの教えだ。これはご先祖様たちが残してくれた遺言で、僕だけが知っていて僕にしか書けないものだ。 これからその教えを紹介していこうと思うけれど、本題に入る前に僕のことについて少し話をさせてほしい。すごい人たちが本題に入る前に簡単に経歴を並べるのと一緒な感じだ。まあ、僕には語るだけの経歴は何一つないけれど。  


 僕が生まれたのは21最初の年の、夏のある日の早朝だった。出産当時、母はインフルエンザにかかっていて僕が生まれるまでに三日三晩かかった。難産だった。僕は今も基本的に引きこもっているけれど、これは生まれる前からだったみたいだ。 生まれてからすぐに事件が発生した。脳にばい菌が入って、どこかの部屋で隔離されてしまった。幸いなことに何事もなく一週間後には退院した。


 だがこのばい菌は僕の脳内の重要な部分を書き換えてしまったのだと思う。もっといえば、このばい菌は今も僕の脳内で健やかに暮らしていて、僕の人生の重要な場面で顔を出し、僕に余計なことをさせるんだと思う。そうでないと、なんとなく高校をやめたことや彼女ができたことがないこと、就職率99%のなか当たり前のようにどこにも就職できなかったことなど、その他のたくさんのことにも説明がつかない。


 そんなこんなで僕は26歳になった。大変遺憾ではあるけれど、気づいたときには26歳になっていた。瞬きしていたら26歳になっていたんだ。ちょっと言い過ぎだけれど大体そんな感じだった。26年間の人生は、特にこれと言って語ることはなかった。人生は山あり谷ありというけれど、僕の人生には山も谷もなかった。ごくごく平坦な道のりで、ちょっとだけ普通の人とは違っていただけだった。おそらく悪い方に。 


 26歳になった僕は特別なことは何もしていない。なんなら26歳の人間が普通はやらなければならないこともしていない。僕は普通ということについて何かが言いたいわけではなくて、多くの人がきちんとこなしていることを、僕はやっていないということを言いたいだけだ。 現在の僕の仕事や経済状況、見た目とかそういった話をするのはやめておこうと思う。僕はそういった現実的なことはあまり得意ではないし、さして面白い話もできない。そのかわり、26歳になった僕が持ち合わせているものについて話をしようと思う。 


 26になった僕は才能を持っている。それはもう、いろいろな才能を持っている。 1つ例をあげるとするなら、いまだに子供心を失っていないことだ。今でも雨の日には水たまりに入ってバシャバシャして遊ぶし、雨に濡れて柔らかくなった粘土で泥団子を作る。どうにかしてピカピカの泥団子を作ろうとしたけれど、汚くてざらざらした泥団子しか作れなかった。僕には泥団子づくりの才能はなかったみたいだ。 


 その他にもいろいろな才能を持っている。失われてしまった才能もあるけれど、新たに手に入れた才能もあるし、現在進行形で獲得中の才能もある。そんな才能が何の役に立つんだよ、といわれてしまいそうだけど、僕が言っているのは才能であって天才の話ではないんだ。 


 天才と才能はまったく違う。そのことを僕に教えてくれたのは僕の大昔の祖父だった。 ここで、僕の家に伝わる最初の教えを皆さんにお伝えしようと思う。教えといっても、実際は遺言のようなもので、僕がかっこつけて教えといっているだけなんだけれど。  

  

 

 彼は江戸時代に生まれた。僕は詳しいことはわからないけれど、江戸時代には身分制度があったらしい。身分の移動を成し遂げた人もいたみたいだけれど、今よりもはるかに生まれの制約が厳しかったみたいだ。百姓や町人に生まれた人間が武士になるのは不可能でないにしても難しいことだった。 


 彼は百姓の子供として生まれた。自分の土地を持っている方の百姓ではなく、持っていない水呑百姓の方だ。水吞百姓は水しか飲めないくらい貧しいわけではなく、いろいろな仕事をしている百姓という説があるらしいけれど、難しいことはわからない。だが、彼が裕福でなかったことは確かだ。 

 

 彼は大志を持った子供だった。少なくとも子供時代はそうだった。彼はよく自分の考えを周りに言って聞かせた。それはほかの人からすると荒唐無稽な話だったし、彼自身にもどうやって実行するかよくわかっていなかった。彼の大志の一つに「飢餓をなくす」ことがあった。彼が子供時代にした会話が日記に残されている。これは、彼と友人があれた土地を桑で耕しながらしたとされる話だ。わかりにくい部分は、僕の手直しと想像で補わせていただいた。


 

「俺は飢饉を亡くしてやろうと思うんだ」 

 彼は荒れた土地を鍬で耕しながら言った。


「そんなこと、お前にできるもんか。すごい奴らがなくせてないじゃないか」 

 彼の隣にいる少年が答えた。


「あいつらはよ、馬鹿みたいに年貢を持っていくだろ? まずはそれをやめさせるんだ。それから、村ごとに、もっと言えば家ごとに蓄えさせるんだよ」


「そんなことできたら誰も苦労してないじゃないか」 


「だから誰も苦労しないようにするんだよ。それにな、俺たちは毎年毎年、同じもの作ってるけどよ、違うものも作った方がいいと思うんだ。そうじゃないと、こいつら稲がダメになったときに困るだろ」


「どうやってやるんだよ?」


「それは今考えてるんだよ。それによ、稲の中にも強い奴と弱い奴がいるだろ? たまたま虫に食われたかもしれないし、土壌がよくなかったのかもしれねぇけどよ。人間にもいろんなやつがいるだろ? 稲にもいろんなやつがいるはずだよ。だから、強い集めて虫に強くして寒さに強くしたら、たくさんとれて、みんな腹いっぱい食えるんじゃねぇか。お前もそっちの方がいいだろ?」


「そりゃ、そっちの方がいいけど、それは夢の見すぎだろう。作ったもんはもってかれちまうし、虫は食うし寒いと枯れちまうよ」


「でもよー。そっちの方がいいと思うんだよなー」 



たわいもない会話をしながら少年時代を過ごし、大人になって死んでいった。そのどこかで、彼は僕たちに遺言を残してくれた。才能と天才についての遺言を。 遺言は大昔に残されたものだから、皆さんにお伝えするにあたって、誠に恐縮ながら僕が翻訳のようなものをさせてもらった。原文のニュアンスを残しつつ、現代の言葉に書き換えた。彼の遺言はこうである。 



『才能と天才——世の中の凡夫たちへ——』

「ふざけるな! バカどもが、アホが、死んでしまえ。どいつもこいつも俺のすごさを理解できない、ろくでもない人間たちだ。あいつらは俺の才能を理解できない。そりゃそうだよな、凡人なんだから。だが、あいつらは俺のことを才能がない凡夫だと思っていやがるんだ。ふざけるな! 俺はお前たちには理解できないとてつもない才能をもっている! お前たちがそれを理解できないだけだ。天才とはその時代の凡夫たちが理解できるものを生み出して評価されるやつらのことだ。その能力が凡夫たちよりかけ離れていればいるほど天才呼ばわりされる。だが、時代に即さない才能はその真価を発揮できない。俺は紛れもなくずば抜けた才能を持っている。俺の才能を受け継ぐ子孫たちよ、お前らが適切な時代に生まれてこれることを祈っている。お前らは死ぬまでに一つ、子孫たちに遺言を書くように」


 いきなり過激な内容が出てきてびっくりさせてしまったかもしれない。彼が僕たちに残してくれた言葉はだいたいこんな感じのニュアンスだった。大抵は恨みつらみが書いてあったけれど、最後に申し訳ない程度に僕たち子孫の幸せを願ってくれている。 


 彼が子供のころに抱いていた大志はどこに行ってしまったのだろうか。僕たちの家に伝わる資料には彼がどんな才能を持っていたのか書いていなかった。彼は才能なんて持っていなかったのかもしれないし、彼の言うように生まれ来る時代が早すぎたのかもしれない。 


 僕が知っている彼の才能が発揮された唯一の事例は、僕たちの家系に遺言を残す風習を作り出したことだ。そんなものは僕たちの家系にはなかったのに、彼は零から一を作り出した。途切れ途切れではあるけれど、彼が残した風習は今も続いている。 彼は「天才とはその時代の凡夫たちが理解できるものを生み出して評価されるやつらのことだ」といった。


 僕は天才ではない。天才テストがあったら僕は箸にも棒にもかからない点数で落第すると思う。僕の才能を形にしてくれる機械を誰かが発明してくれて、僕の才能が形になったらあなたはきっと度肝を抜かれるだろう。そして僕も自分の才能の形をみて驚愕すると思う。それはきっと、その時代には適さない形をしているはずだから。


 評価されない才能は才能といえるのだろうか。それはただの、なんて言うか興味や特技ではないかと思うけれど、僕には難しいことはわからないのでこの辺で考えるのをやめておこうと思う。言葉にしない方がいいこともあると、どこかの天才が言っていた。 最後に彼の教えを受けて、僕が考えたことを書き残しておく。 



『天才と才能——才能の昇華——』

「才能は昇華させなければならない。才能が天才になるためには、それぞれに固有なものが必要になってくる。それは日々の鍛錬か特別な経験、はたまた別の何かかもしれない。それらを積み重ねることで才能は確実に磨かれていく。Ⅾランクの才能はC、B、Aと順に研ぎ澄まされていく。しかし、Sランクには届かない。天才に昇華するにはまだなにかが足りない。 

あなたは日々の鍛錬が足りないと思い、これまでにも増して鍛錬をこなす。経験が足りないと思い、以前にもまして様々な経験に身を投じる。それでも、天才には至らない。あなたの才能はいまだ才能のままである。 いつの日か何気ない生活の中で、才能を天才に昇華させる最後のピースに気づく。その事実はあなたを興奮させる。『最後のピースがようやくわかった、必要だったのは別の才能だったんだ。鍛錬された二つの才能を組み合わせれば、才能は天才に昇華されるんだ』と、それからあなたは鍛錬していない別の才能を研ぎ澄まそうと、嬉々として毎日を送る。その才能を研ぎ澄ますための鍛錬や経験、知識を取り込んでいく。そしてしばらくしてから気づく。そんなものは、はなから持ち合わせていなかったことに」



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